195-4 枝松玲子/Twigdesign

「レトロビルのシェアオフィスとカフェが、とても心地よい環境です」

今月、ご紹介した「上原の家」の設計者、枝松玲子さんは「フレッドペリーショップ東京」の設計者、大堀伸氏のお弟子さんです。今回は師弟(妹)で登場いただきました。そんな枝松氏が取材場所に指定したのは、本郷3丁目の「エチソウビル」に3月オープンした、「ファロコーヒー・アンド・ケータリング」というお店。
本郷通りと春日通りの交差点近くにあるこのビルは、昭和初期に建設されたもので、創業者の糸屋、越前屋惣兵衛から「エチソウビル」と名付けられました。戦後はテナントビルとして活用されています。
本郷通りに面した見逃してしまうような小さな入口から、せまい階段を上って引戸を開けると、思いのほか広いスペースが広がります。レトロ感あふれるカフェには、まず左側に、中が調理スペースになっている大きなカウンター。周囲はコンクリートむき出しの壁で囲まれ、高い天井、昔の小学校の校舎のような木の床が懐かしい雰囲気を醸し出します。書棚には洋書が並び、ギャラリー、ライブスペースとしても利用されるとのことです。
奥には、隣接するファロデザイン一級建築士事務所(カフェの改装設計担当、施工も一部セルフで行う)への扉があり、枝松さんは、別の場所でも仕事をされていますが、一部間借りしてこちらでも作業をしているとのこと。
カフェのオーナーも友人ということで、入居者の方たちとのコラボレーションが、今後も魅力的なお仕事を生み出していきそうです。

枝松玲子(えだまつ りょうこ)

1974年 静岡県生まれ
1997年 多摩美術大学美術学部建築科卒業
1998年 guesthouse勤務
1999-2005年 ジェネラルデザイン勤務
2008年 twigdesign一級建築士事務所設立

193-3  中村和基 出原賢一 /LEVEL Architects

 1+1=2 ではないメリットを活かす

 

今月は、「上大崎の住宅」の設計者、「LEVEL Architects」(レベルアーキテクツ)の中村和基代表と出原賢一代表のお二人にご登場いただきます。
これまで2か所で運営されていたオフィスを、この1月、品川オフィスに統合、落ち着いた佇まいのマンションで、お仕事にもますます力が入ることでしょう。

―お二人とも、納谷建築設計事務所(納谷学、納谷新兄弟の設計事務所)の出身でいらっしゃいますね。その折、2人で運営されている事務所のメリットを感じられたということでしょうか。
中村:そうですね。まず、1人でやるより2人の方が仕事のスピードが速い。また、ダブルチェック機能が働きますね。複数の住宅設計を、同時にこなせるのも2人だからこそです。1+1=2以上の仕事ができますね。

―昨年まで、大井町と横浜の2か所に事務所を置いていらっしゃいました。
出原:都内と私の自宅がある横浜方面の両エリアを抑えられるという営業的な側面がありました。それぞれスタッフ3名ずつ割り当てていましたが、スタッフ間のコミュニケーションや効率を考え、12年目を迎える今回、一つにまとめることになりました。
中村:ここは品川駅に近く、国道1号線の車の音も少し内側に入ったところにあるのでほとんど聞こえません。静かで、プリンスホテルに隣接している裏側のテラスが緑に囲まれていて、実に気持ちいいんですよ。2人で内見して即決でした。

―お仕事する上で、お2人の役割は決まっていたりするのですか。
中村:特に決めているわけではありません。その時々でメインに回ったり、サブに回ったりして仕事を進めています。性格的には、自分がオープンで、出原はきちんとしているというところでしょうか(笑)もちろん、事務所を一緒にやろうということですから、基本、気が合ってますね。

―住宅設計中心のお仕事ですと、細かいところまで詰めるので最後まで大変だと聞きます。年間かなりの数をこなされているようですね。
中村:そうですね、もう大変ですね。でも、そこでお客様としっかり向き合っているところがいいのだと思います。

―「LEVEL Architects」という事務所の名は、どういうところから来ているのですか。
中村:「LEVEL(レベル)を取る」と言う建築用語がありますが、いろんな人との関係において、同じように「フラットにバランスを取る」というコンセプトですね。
出原:お客様に対しても敷居が高くないように、お話をしやすい関係を作る。一緒に何かを作っていく感覚を大事にしています。
中村:ですから、お客様と私たちの間はとても雑談が多いですね。竣工後の1年メンテナンスのときなど、たいてい飲み会になります。

―毎回、1年メンテの時はそうなるのですか。いい関係ができていないとできませんね。新たなご要望も出てくるでしょう。
出原:そうですね。お子さんが大きくなってくるとか、ご家族の構成の変化でいろいろ条件が変ります。長いお付き合いになるものですね。
中村:無事1年間、家を使いこなしてくれたかな、ということは当然気になります。竣工写真も、作りたてをそのまま撮るよりは、本当はスケール感や生活感が感じられ、住まいを使いこなしていらっしゃるところを撮っておきたいものです。ですから、1年後、いい写真を改めて撮らせていただくことができるように頑張っています。
(事務所のHPには、暮らしを楽しんでいらっしゃるお客様を写した写真もところどころ差し込まれている)

―竣工写真は、ほんとに難しいですね。お引渡しの時のタイミングがとれなかったりすることも多いです。
中村:施工会社も、住宅の場合は特に、お客様からの要望にはまずスピードを持って当たってほしいですね。新築施工時だけでなく、メンテナンスのお話があったら翌週にはなんらかの形で動いていないと、お客様の機嫌を損ねてしまう。「まずは連絡」ということが大事です。

―今回の「上大崎の住宅」の現場施工について、建築専門誌の『日経アーキテクチュア3/24』の特集で評価いただきましたが、その中で「建築家の先生方のネットワークが、施工会社の情報交換に非常に有効」とおっしゃっていましたね。
中村:やはり「この建築にはこの施工会社」という的確な情報を知っておきたいですね。お客様には施工の比較はできませんから、普段から設計者間で情報のやり取りするのが、実際には役に立ちます。
―施工者側もきめの細かい対応が求められますね。本日は、ありがとうございました。

 

「的確なレスポンスがお客様とのよい関係をつくります」

 

中村和基

1973年生まれ
日本大学理工学部建築学科卒業
納谷建築設計事務所を経て、
2004年LEVEL Architects設立

 

出原賢一

1974年生まれ
芝浦工業大学大学院工学研究科建設工学専攻修了
納谷建築設計事務所を経て、
2004年LEVEL Architects設立

 

 

 

191-3加藤正三/加藤正三建築設計事務所

もっとコミュニケーション

今月は、「YON-KAビル」の設計者、加藤正三氏にお話を伺いました。
加藤:若松均先生には大学院を卒業してから9年半もお世話になりました。何度かそろそろ独立すべきかと思う事もありましたが、長きにわたりとても貴重な経験を沢山させて頂きました。感謝しています。私が入所した時、先輩方は実務経験のある方が多く、先輩の手伝いをしながら、別荘の設計を担当していました。私自身は大学院の研究室で設計の実務経験はありましたが、まだまだでしたね。数年経つと、新卒の後輩が増えるようになりました。新卒でも担当を持つ事になっていました。ただ完全に任せるまでにはなかなかならず、私は自分の担当をやりながら後輩のサポートをする役目で、作業や現場の状況を見ながら何をしたら良いか、現場に対してどう対応したらよいか、アドバイスしていました。施工定例では、担当者として責任感をもって貰いたく、私は殆ど座っているだけにして、本当に困って定例が進まない時ぐらいしかしゃべりませんでした。そのような経験をして、自分の仕事を俯瞰してみる事が出来たのはいい経験でした。
 自分の担当物件だけでなく、後輩のサポートを任せられている物件についても若松さんの作品である以上、先生とのコミュニケーションはとても大切です。双方で押さえ処を確認したり、なにかしらの判断基準を明確にしておくように意識をしていました。報告や意匠的な部分の変更は当然ですが、どこをこだわるか、どこを現場優先で進めるかなども大事な点です。判断基準などを明確にしておけば、現場監督や職人さんとのやりとりもスムーズですし、打合せに掛ける時間も減り、時間をかけるべき事に時間を費やせるからです。
特に現場では、その場で結論を迫られる場面が多いので、それは常に心掛けていました。とにかくしっかりと「意思疎通」をして、出戻りや取り返しのつかない事がないようにする事はとても大切ですね。
建物のプランからディテールまで自分でいくつも考えたり、いろんな方と議論を重ねたりして、自分の考えが形になっていくことはとてもやりがいがありました。今は携帯電話やメールが当然のように使われてとても便利ですが、時々、疑問に思うこともあります。以前、後輩が重要な指示をメールだけで済ませ、叱った事があります。「メール送信=相手に伝わっている」と思っていたようです。大切な事はしっかりと相手と話をしないとダメですね。メールが記録として残る面もありますが、なんでも当たり前に思ったりせず、そればかりに頼ってはいけません。臨機応変に対応をしないといけませんね。
—若松事務所時代の思い出はありますか。失敗談とか。
加藤:いろいろあるので言えません。入所して2年目ぐらいにちょっと気むずかしい大工さんから直に電話があり「どうしたいのかわからない!!作って欲しいなら今すぐに現場に来い!」と言われ、急いで行った記憶があります。現場に着くと「よく来たな」とニッコリされましたが、恐怖を感じました。図面に対して少しお説教をされましたが、意匠をこうしたいと話すと、こうしたらもっと格好が良いと大工さんに教えてもらいました。あのときに現場に行った「行動」とトコトン2人で「会話」をした事、良い物を作る「同じ目的」があったからこそ、大工さんも動いてくれたのだと思っています。後に同じ大工さんと何回か仕事をしましたが、少しの確認作業をするだけで仕事をしてくれるようになりました。
そんな経験もあり、現場の人に対しても意匠はこうしたい、それにはこう作って欲しいと話します。そこから、現場の方ともどうしたらよいかいろいろなアイディアを出し合うようにしています。一人で出来る事って限られていますからね。設計の仕事の面白さは、お施主様や現場の方とコミュニケーションをとりながら、数字ではなく、何年も何十年も使われ続けて形として残るものをつくることなのです。
—こちらの中目黒の事務所は、都心なのにゆとりあるお庭があっていい雰囲気ですね。ちょっとアメリカの住宅のような感じです。
加藤:ありがとうございます。両親と祖父に感謝です。もともとは父親の実家がありました。30年程前に父親の海外赴任を終えて帰国した時に、二世帯住居と借家に建替えました。我々3人の息子が独立し、祖母が亡くなり、4年ぐらい前には両親だけになったので、祖母が住んでいた部分に私が住むことになり、辰さんにリフォームをして頂きました。今は自宅兼事務所として快適に使わせて頂いています。少し前までは兄貴が隣の借家に住んでいました。
—いろいろフレキシブルに使われているのですね。家族の仲がよいですね。
加藤:よく言われます。週末になると母親からメールが来て、家族全員が集まって実家で食事をする事が多いです。今は小さな甥や姪も来るので、みんなで集まるとハチャメチャといった感じです。
「なんでそんなに仲がいいの?秘訣は?」と言われます。両親とも「みんなで集まる事が大切」という感覚があるからだと思います。その現れなのか、リビングにテレビがありません。母親がリビングにテレビを置くのを嫌っているそうです。食事のときやみんなが集まっているときは、たわいもないことでも会話でのコミュニケーションが大切なのです。テレビを見ながら会話をするってなんだか悲しいですよね。今は、私と両親で住んでいますが、そろそろ集合住宅に建て替えてはどうかとか話も出ています。今の家に愛着はあるのですが・・・。建て替えたとしても、家族全員で集まれる場所は残したいですね。
―本日は、ありがとうございました。
加藤正三
1978年 ニューヨーク生まれ
2004年 東海大学大学院工学研究科 建築学専攻 修士課程 修了
2004年 若松均建築設計事務所 勤務
2013年 加藤正三建築設計事務所 設立

主な作品
美容外科クリニック、Yonkaビル、宮坂の家、TS社本社移転PJ,K信用金庫PJ (以上加藤正三建築設計事務所)
Gridie、南麻布の家、明大前/線路際の長屋  (以上若松均建築設計事務所で担当)

191-4 青木淳氏講演会と事務所十日町分室『ブンシツ』の出張展示 

『3・11以後の建築』展@水戸芸術館
「青木淳氏講演会(1月24日)」と青木淳建築計画事務所十日町分室『ブンシツ』の出張展示

東日本大震災以降の建築家による復興支援の取り組みを紹介している企画展「3.11以後の建築」が金沢21世紀美術館に次いで、水戸芸術館でも開催されました。この企画は、21組の建築家の取り組みを紹介したものですが、今回は青木淳氏の講演会が行われるというので、行ってきました。
磯崎新アトリエ勤務時代に担当された「水戸芸術館」は氏にとって建築家のスタートであり、その後の「潟博物館」「青森県立美術館」などから現在に至るまで、ずっとその考えを更新し続けた原点の建物だということです。演奏や演劇の本番のために時々使う立派なホールを「普段」みんなが使うにはどうすればいいか、展示終了後に原状復帰するのでなく、次の設営をその上に更新していってはどうか、などの自由な発想に、参加者は興味深く聞き入っていました。
一方で、2014年より新潟県十日町市の市街地活性化事業に参加した事務所は2人のスタッフを常駐させて、これからできる建物で行われていく活動を先行して行える場として「分室」(ブンシツ)を設け、市民活動と設計を同じ場所で並走させることによって、「刻々と相互作用が起こる状態」を試みてきました。今回はその一端として、ギャラリー内で十日町の「物産販売」を行ったり、十日町の食材を提供する「まちなか昼ごはん」、大地の芸術祭に参加した林剛人丸氏をゲストに迎えて、伝統工芸品「ちんころ」を制作するワークショップなどを行いました。
地方活性化の新たな手法としての「ブンシツ」の活動、これからも注目していきたいですね。