225-1 大宮

 

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FUKUMI APARTMENT  ドローン撮影:アック東京

今月ご紹介する「FUKUMI APARTMENT」は、大宮駅東口のすぐ近くで完成した、店舗・賃貸住宅・オーナー邸の8階建てのビルです。正方形の開口部を表現するために、ドローン撮影を試みています。

大宮駅というと、「昔は、東北新幹線の始発駅だった」くらいしか、鉄道知識がなかったのですが、今回調べてみて驚きました。なんと今や14路線が乗り入れる巨大ターミナルになっています。

東京と東北地方・信越地方を結ぶ路線の分岐点に位置し、乗り入れ路線数が東京駅に次いで全国2位。 東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線(長野新幹線)、秋田新幹線、山形新幹線、京浜東北線、宇都宮線、高崎線、埼京線、川越線、東武野田線(東武アーバンパークライン)、さいたま新都市交通・伊奈線(ニューシャトル)で12路線。さらに湘南新宿ラインと、朝夕に乗り入れる武蔵野線を合わせると計14路線になります。
また、1日の乗客者数においても全国でも常に十指に入るほどです。(Wikipedia参照)

そもそも鉄道の駅としては、明治維新の日本の鉄道の第1期線(上野駅~熊谷駅)が開業したものの、浦和駅と上尾駅の間に大宮駅は設置されませんでした。宿場町の役割が低下して、大宮宿の戸数は243戸まで低下していたことが原因でした。
そこで危機感を抱いた白井助七(後に大宮町長)ら地元有志が、自分達の土地を提供して、駅の誘致活動を始めたとのことです。
そして上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅、前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になり、アメリカ人技師のクロフォードが「宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべし」といった意見を出して最終的には井上勝(長州藩士。イギリスに留学した長州五傑の一人。「日本鉄道の父」と言われる)の決断によって大宮はその起点として駅が設けられることになったそうです。

さて、大宮は、1894年には白井が提供した土地を基に駅の北に隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所)が設置され、さらに日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝となって、「鉄道の町」として栄えるようになりました。
元々は、氷川神社、市役所、さらに繁華街の南銀がある東口が駅の表口でしたが、西口は新幹線の駅ができてから再開発が進み、そごう、アルシェ、DOM等の商業ビル、ソニックシティ、それらをつなぐペデストリアンデッキが整備され、すっかり都会の雰囲気となりました。

しかし、ここにきて、遅れていた東口の再開発も動き出したようです。さいたま市は、「⼤宮駅グランドセントラルステーション化構想」を策定し、「日本経済の中枢を担う企業が東京に一極集中しているという現状の中、例えば、国際競争の最前線としての『東京』に対し、東日本ブランチが集まるビジネス拠点を大宮が担うことにより、日本経済全体のリスク分担を図る。

また、首都直下地震の発災時には、さいたま新都心と連携して首都圏機能のバックアップ拠点として機能させるとともに、日本海側にも太平洋側にもつながっているという立地特性から、リダンダンシー(冗長性、余剰:予め交通ネットワークやライフライン施設を多重化したり、予備の手段が用意されること)の確保にもつながる」と東日本の顔となる街を目指しています(さいたま市HPより)

2021年度竣工予定 (市民会館おおみやが移転)の大門2丁目地区の複合ビルや、2019年度供用開始予定の大宮区役所新庁舎と図書館など、まずは公共施設再編による街並みの整備が進められています。

224-1 街をつくる

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kaede 撮影:上田宏

写真は8月お引渡しを終えた、中野区の集合住宅です。オーナーは地域に複数の集合住宅を建設されており、設計者との良好な関係で街並みづくりに尽力されています。
設計の田村芳夫先生への取材の折、「建設費の高騰による事業費の圧迫で、せっかく『良い建物を』とオーナーが言ってくださるにもかかわらず、採算が取れなくなってしまう状況が残念だ」とのお話をいただきました。
結局「コストを低く抑えるハウスメーカーと戦えない」ということでした。
確かに、基本性能を満たした工場生産のパネルで、工期を短く抑えられる建物は、設計者がデザインし、施工者の手数が入った建物に比べれば、簡単に建ってしまいます。
ハウスメーカーには、広告宣伝費、営業・管理部門の人件費、など建築に関係のない費用が薄く広く載せられており、建物にかけられている経費がどのくらいなのか、をよく見てみる必要があります。もちろん弊社もこのように広報をしておりますので、そのような費用がないとは言えません。
しかし、基本的に「何処に建っても同じ」というスタイルを日本全国で展開されるわけですから、ハウスメーカーのデザインだけでは満足できない方々もいらっしゃいます。そのような方々のために、建築家の先生方が、そして、その施工を行う者としての弊社の存在価値があるわけです。
建物の性能をよりよくする、あるいは、魅力的な新しい資材、設備を導入してみる、というのは、設計をする先生の常であり、そういうものづくりがなければ世の中進歩しないわけです。それにお応えするためにも施工会社も努力を重ねております。が、他の製造業の給与水準と比べると建設業界全体は、まだまだ低いようです。
昨今の建設費の高騰が作業労働者の高齢化など「人材不足」という理由からなら、やはり人件費などが上がってくるのは致し方ないのですが、東京オリンピックの特需も根本的な解決にはつながらないのですから、今後も建設費がすごく落ちる時期が到来するとは言えない状況のようです。
一方で、免震・耐震装置、という地震国日本ならではの設備に対して、先ごろまた事件が起きました。
装置メーカー、「KYB」で検査データの改ざんが引き継がれ、マンションや病院、教育施設など全都道府県の物件で不正が続き、2015年に表面化した東洋ゴム工業の免震偽装を規模で上回る、というニュースが流れました。
いろいろな対策を考慮されても莫大な費用が掛かるようです。
それにしても、最初にこのような装置を考えた人は、そんな運用を想像したでしょうか。関わった一部の人の想像力の欠如が、とんでもない結果を生み出してしまったということです。
222号でご紹介させていただいた「代々木の家」の建て主Y様が、関係者一同を招いて「ねぎらいの会」を開いてくださいました。
「良い建物を建ててもらった」というお客様からの感謝の言葉が、施工者の一番の喜びです。
ときにお叱りを受けようとも、そのことを大事に思っていることに嘘はなく、その後のメンテナンスに、関わったもの一同が長いことお付き合いをさせていただけるように、今日も頑張っています。
その場所にあった、環境に配慮した機能的な建物を建てていただき、魅力的な地域にするためのお手伝いを、弊社は今後も続けてまいります。

223-1 西荻窪

 

西荻市庭 - Nishiogi Ichiba -  (YSディセンダンツビルⅡ) 撮影:アック東京

西荻市庭 – Nishiogi Ichiba -  (YSディセンダンツビルⅡ) 撮影:アック東京

中央線の高円寺から吉祥寺の各駅周辺は、住宅街が広がる中それぞれ個性的な発展を遂げてきました。
高円寺といえば、阿波踊り、そして小さな飲食店やライブハウスが多い若者の街。
阿佐ヶ谷は大きなケヤキ並木が延び、夏の七夕祭り、秋のジャズイベントでにぎわい、作家や芸術家が移り住んだ街として知られています。
荻窪は近衛文麿の荻外荘に代表されるように多くの文化人の別荘として名を馳せ、今でもゆったりとした雰囲気が残るところです。
そして吉祥寺は、南に井の頭公園を擁し、北側には大型商業施設が展開されて、都心へのアクセスもいいことから、雑誌の「住みたい街ランキング」のNo.1に何度も名前が挙がっている街です。

 

そんな中、西荻窪です。通称「西荻(にしおぎ)」、快速は止まりません。
荻窪と吉祥寺の流れを受けて、特に商店街が大きく発展しているわけでもありません。
むしろ駅周辺にある昔からの個人商店がそのままご商売を続けているという感じです。そんなに大儲けしたいわけではない、でもお客さんがいるから続けなくちゃ。
40年以上前から有機食材を扱っている「ほびっと村」、ケーキとレストランの「こけし屋」、ジャズライブハウス「アケタの店」・・・、そんな心意気が感じられます。
駅の南側ではガード下の飲み屋に多国籍料理の店も加わり、今や解放区といった庶民的な活気が広がっています。自分のペースで暮らしを楽しむ人たちの街、それが「西荻」です。
写真はこの度、その西荻窪駅北側の商店街の中に建ち上がったテナントビルです。建て主は、阿佐ヶ谷で15年以上にわたって地域活性化の活動をされてきた、㈲ジー・エヌ・エヌ/GNN代表取締役の東島信明様。NPO法人「知の市庭」の代表も務めています。東島様に電話でお話を伺いました。

 

「平成12年、阿佐ヶ谷で小さなテナントビルを建て、1階にフレンチレストラン、2階は貸し料理スタジオ、3-4階にNPO法人を入れ、5階は自分たちの折々の活動スペースとして、街の活性化を図ってきました。
『市庭』という言葉は、練馬の著名な歴史学者、網野義彦氏の著書『農民は百姓にあらず』にある『市場は市庭である』という言葉から着想を得ています。『市庭』は神社・仏閣にあったり、博多のような中洲だったところに集まっていたもので、この現代においてもそのようなモノとモノを交換する場、コミュニケーションが生まれる場が必要だと感じたのです。人は自ら進んで生涯勉学し、自己向上に努め、自己実現を図りたい願望を持った存在です。そのことを真摯に受けとめ、自分達の組織を『知の市庭』と名付けて、自己学習の場を提供しています。

 

阿佐ヶ谷での活動が街の活性化につながったことから、さらに杉並でもう1か所拠点を作りたいと不動産を探していたところ、西荻のこの場所に出会い、立地の良さに惹かれて購入しました。
阿佐ヶ谷のビル建設でお世話になった、㈱TK²(ティ ケイ スクエア)の楠元孝夫氏に企画、設計を依頼し、1階はイタリアン・レストラン、2階には美容院、3階には面接の上、地元のNPO・シェアリングカフェ「KOKO PLUS」が入り、4階はこれまで一緒にやってきた10人の仲間たちと作った『西荻BASE』という組織が利用するスペースとしました。
今回、施工を辰にお願いしたのは、10年以上うちのNPOの経営レポートを作成してくれている吉田健司氏が、辰の監査役もされているということから。
地主さんもとてもいい方で、『市庭」を通しての新たなご縁に感謝しながら、西荻での皆さんの交流の場を作っていきたいですね」と東島様。

 

『西荻市庭』の管理は息子の弘明様が行うとのことで、西荻にありそうでなかった若い世代の方たちが自由に利用できる場所となりそうです。

222-1 ボランティア

「代々木4丁目プロジェクト(Y邸)」 撮影:斎部功

「代々木4丁目プロジェクト(Y邸)」 撮影:斎部功

写真は、このたび代々木に建った住宅です。建て主ご夫妻は、毎朝、近くの参宮橋公園に散歩に訪れ、この高台に家を建てられることにしました。
さらに、奥様はこのたび、お仕事の他にも新たにNPOを立ち上げて、若い人たちの力になるべく活動を始められました。

 

この夏は、酷暑、そして台風の到来が続きました。厳しい気候条件の中、山口県で、行方不明になった2歳の男の子を3日ぶりに発見して一躍有名になったおじいさんがいました。尾畠春夫さん(78歳)です。
大分からやってきて、捜索開始わずか30分で、その子を見つけ出したというから驚きでした。その正体が、「スーパーボランティア」ということで、この言葉も話題になりました。
尾畠さんはいろいろな災害現場でボランティア活動を続けておられ、東日本大震災の時には、500日も現地に滞在して「思い出探し隊」の隊長を務めたということです。
65歳で魚屋を閉じ、その後は年金暮らしをしながらボランティアを続けているとのことで、その体力、精神力に圧倒されました。人生100年と言われるこの頃、誰でもできることではありませんが、70代からでもこんなに活躍できるんだと多くの人が感嘆の声を上げました。

 

日本人はアメリカ人などと比べると、日頃ボランティアに携わる人が少ないと言われますが、こと、災害時のボランティアについては阪神・淡路の時のミスマッチの反省も含めて、統制が取れた効率的な運営がされてきているようです。災害ボランティアセンターにまず登録するなど、行政、現地との連携に従い活動を行うようになっていて、何より自己責任で現地に臨むという大前提があります。
「自己責任」というと何か、「切り捨て」のような意味合いを含んでいるときもありますが、そうでなく絶対に対価を受け取らず、現地に負担になるような行為を慎む、ということで、尾畠さんのような方の実際の行動がそのことを示してくれました。

 

一方で、誰もが被災地まで出かけていける立場ではありません。日常の中で、少しでも地域の役に立てるボランティアに参加することも可能で、例えば、町内の美化運動とか、PTA・子供会の役員など、多くの方が経験されていることでしょう。
ただ、日本では、やはり海外に比べ、特に会社に勤めている人たちのボランティア参加が圧倒的に少ない、ということで、そこでもまた「働き方改革」の話になります。

 

労働力を提供できないときは、「寄付」という形のボランティアがあります。
しかし、そもそも地方創生の目的でスタートした「ふるさと納税」が単なる節税効果ばかりが取りざたされるのを見ると、その貧しさに目を覆いたくなります。日本には「浄財」といういい言葉がありますが、その精神は受け継がれるべきでしょう。使われ方を見届けることも大切なようですが。

 

今回、代々木プロジェクトの建て主の奥様の視点は、今、日本社会全体が抱える問題の改善についてであり、そのような大きな視点で動くパワーもまた、歳を重ねられた経験豊かな方々ならではの活動と思い至ります。

 

いずれにしても「情けは人のためならず」、年齢を重ねてもさらに若々しく生きていく一つの回答なのだと思いました。