223-1 西荻窪

 

西荻市庭 - Nishiogi Ichiba -  (YSディセンダンツビルⅡ) 撮影:アック東京

西荻市庭 – Nishiogi Ichiba -  (YSディセンダンツビルⅡ) 撮影:アック東京

中央線の高円寺から吉祥寺の各駅周辺は、住宅街が広がる中それぞれ個性的な発展を遂げてきました。
高円寺といえば、阿波踊り、そして小さな飲食店やライブハウスが多い若者の街。
阿佐ヶ谷は大きなケヤキ並木が延び、夏の七夕祭り、秋のジャズイベントでにぎわい、作家や芸術家が移り住んだ街として知られています。
荻窪は近衛文麿の荻外荘に代表されるように多くの文化人の別荘として名を馳せ、今でもゆったりとした雰囲気が残るところです。
そして吉祥寺は、南に井の頭公園を擁し、北側には大型商業施設が展開されて、都心へのアクセスもいいことから、雑誌の「住みたい街ランキング」のNo.1に何度も名前が挙がっている街です。

 

そんな中、西荻窪です。通称「西荻(にしおぎ)」、快速は止まりません。
荻窪と吉祥寺の流れを受けて、特に商店街が大きく発展しているわけでもありません。
むしろ駅周辺にある昔からの個人商店がそのままご商売を続けているという感じです。そんなに大儲けしたいわけではない、でもお客さんがいるから続けなくちゃ。
40年以上前から有機食材を扱っている「ほびっと村」、ケーキとレストランの「こけし屋」、ジャズライブハウス「アケタの店」・・・、そんな心意気が感じられます。
駅の南側ではガード下の飲み屋に多国籍料理の店も加わり、今や解放区といった庶民的な活気が広がっています。自分のペースで暮らしを楽しむ人たちの街、それが「西荻」です。
写真はこの度、その西荻窪駅北側の商店街の中に建ち上がったテナントビルです。建て主は、阿佐ヶ谷で15年以上にわたって地域活性化の活動をされてきた、㈲ジー・エヌ・エヌ/GNN代表取締役の東島信明様。NPO法人「知の市庭」の代表も務めています。東島様に電話でお話を伺いました。

 

「平成12年、阿佐ヶ谷で小さなテナントビルを建て、1階にフレンチレストラン、2階は貸し料理スタジオ、3-4階にNPO法人を入れ、5階は自分たちの折々の活動スペースとして、街の活性化を図ってきました。
『市庭』という言葉は、練馬の著名な歴史学者、網野義彦氏の著書『農民は百姓にあらず』にある『市場は市庭である』という言葉から着想を得ています。『市庭』は神社・仏閣にあったり、博多のような中洲だったところに集まっていたもので、この現代においてもそのようなモノとモノを交換する場、コミュニケーションが生まれる場が必要だと感じたのです。人は自ら進んで生涯勉学し、自己向上に努め、自己実現を図りたい願望を持った存在です。そのことを真摯に受けとめ、自分達の組織を『知の市庭』と名付けて、自己学習の場を提供しています。

 

阿佐ヶ谷での活動が街の活性化につながったことから、さらに杉並でもう1か所拠点を作りたいと不動産を探していたところ、西荻のこの場所に出会い、立地の良さに惹かれて購入しました。
阿佐ヶ谷のビル建設でお世話になった、㈱TK²(ティ ケイ スクエア)の楠元孝夫氏に企画、設計を依頼し、1階はイタリアン・レストラン、2階には美容院、3階には面接の上、地元のNPO・シェアリングカフェ「KOKO PLUS」が入り、4階はこれまで一緒にやってきた10人の仲間たちと作った『西荻BASE』という組織が利用するスペースとしました。
今回、施工を辰にお願いしたのは、10年以上うちのNPOの経営レポートを作成してくれている吉田健司氏が、辰の監査役もされているということから。
地主さんもとてもいい方で、『市庭」を通しての新たなご縁に感謝しながら、西荻での皆さんの交流の場を作っていきたいですね」と東島様。

 

『西荻市庭』の管理は息子の弘明様が行うとのことで、西荻にありそうでなかった若い世代の方たちが自由に利用できる場所となりそうです。

222-1 ボランティア

「代々木4丁目プロジェクト(Y邸)」 撮影:斎部功

「代々木4丁目プロジェクト(Y邸)」 撮影:斎部功

写真は、このたび代々木に建った住宅です。建て主ご夫妻は、毎朝、近くの参宮橋公園に散歩に訪れ、この高台に家を建てられることにしました。
さらに、奥様はこのたび、お仕事の他にも新たにNPOを立ち上げて、若い人たちの力になるべく活動を始められました。

 

この夏は、酷暑、そして台風の到来が続きました。厳しい気候条件の中、山口県で、行方不明になった2歳の男の子を3日ぶりに発見して一躍有名になったおじいさんがいました。尾畠春夫さん(78歳)です。
大分からやってきて、捜索開始わずか30分で、その子を見つけ出したというから驚きでした。その正体が、「スーパーボランティア」ということで、この言葉も話題になりました。
尾畠さんはいろいろな災害現場でボランティア活動を続けておられ、東日本大震災の時には、500日も現地に滞在して「思い出探し隊」の隊長を務めたということです。
65歳で魚屋を閉じ、その後は年金暮らしをしながらボランティアを続けているとのことで、その体力、精神力に圧倒されました。人生100年と言われるこの頃、誰でもできることではありませんが、70代からでもこんなに活躍できるんだと多くの人が感嘆の声を上げました。

 

日本人はアメリカ人などと比べると、日頃ボランティアに携わる人が少ないと言われますが、こと、災害時のボランティアについては阪神・淡路の時のミスマッチの反省も含めて、統制が取れた効率的な運営がされてきているようです。災害ボランティアセンターにまず登録するなど、行政、現地との連携に従い活動を行うようになっていて、何より自己責任で現地に臨むという大前提があります。
「自己責任」というと何か、「切り捨て」のような意味合いを含んでいるときもありますが、そうでなく絶対に対価を受け取らず、現地に負担になるような行為を慎む、ということで、尾畠さんのような方の実際の行動がそのことを示してくれました。

 

一方で、誰もが被災地まで出かけていける立場ではありません。日常の中で、少しでも地域の役に立てるボランティアに参加することも可能で、例えば、町内の美化運動とか、PTA・子供会の役員など、多くの方が経験されていることでしょう。
ただ、日本では、やはり海外に比べ、特に会社に勤めている人たちのボランティア参加が圧倒的に少ない、ということで、そこでもまた「働き方改革」の話になります。

 

労働力を提供できないときは、「寄付」という形のボランティアがあります。
しかし、そもそも地方創生の目的でスタートした「ふるさと納税」が単なる節税効果ばかりが取りざたされるのを見ると、その貧しさに目を覆いたくなります。日本には「浄財」といういい言葉がありますが、その精神は受け継がれるべきでしょう。使われ方を見届けることも大切なようですが。

 

今回、代々木プロジェクトの建て主の奥様の視点は、今、日本社会全体が抱える問題の改善についてであり、そのような大きな視点で動くパワーもまた、歳を重ねられた経験豊かな方々ならではの活動と思い至ります。

 

いずれにしても「情けは人のためならず」、年齢を重ねてもさらに若々しく生きていく一つの回答なのだと思いました。

221-1 街ぐるみのケアの拠点づくり

「けめともの家・西大井」(『幼・老・食の堂』) 写真:太田拓実

「けめともの家・西大井」(『幼・老・食の堂』) 写真:太田拓実

 

写真は、1月にオープンした、看護小規模多機能型居宅介護施設・事業所内保育所・地域交流スペース・訪問介護、看護ステーションが複合する「けめともの家・西大井」です。2016年に建築・デザインコンテスト「SDレビュー2016」【鹿島賞】を受賞しました。受賞作品名は、「幼・老・食の堂」(設計:金野千恵、アリソン理恵/teco)。竣工間近、昨年暮れの内覧会には多くの人が見学に訪れていました。
運営する株式会社ケアメイト様は昭和33年(1958年)、現社長、板井佑介氏のおばあ様が看護師の経験から「自宅で暮らし続けること」をサポートすべく、城南家政婦紹介所(現・城南ケアサービス)を開始して以来、60年間、「在宅ケア事業」を行っています。
現在、日本における介護保険制度は、施設入居の介護より、「地域包括ケア」「在宅ケア」を根幹にしたものになっています。ケアメイト様では、都内城南地区を中心に、「いま介護が必要な方」だけでなく「これから介護が必要になる方」「ずっとこの街で暮らし続けたい方」の拠り所となり、高齢者介護だけでなく、障害福祉サービスや配食事業、地域保育事業など、支援を必要とする、すべての人たちを対象にサービスの展開を図っています。
この「けめともの家・西大井」は、そんな中でも、高齢者の看護小規模多機能型居宅介護施設、いわゆるカンタキと事業所内保育所が一緒になった、新しいタイプの地域ぐるみの施設です。

今月は、この多世代のつながりを大切にする新たな施設について、ケアメイトの板井佑介社長、設計のtecoの金野千恵氏、アリソン理恵氏にお話を伺いました。

板井氏はまず、都市部の問題として、高齢者の独居問題があるとおっしゃいます。近所の付き合いが昔とは違って本当に少ない、そして一方で、子育て世代もまた地域でのつながりがなく、共働きで子育てしていくには非常に汲々とした状況がある。介護や育児は本来は暮らしをサポートしていく手段なのに、目的化してしまい、業界そのものの魅力が高まらない一因にもなっているということです。目的は、やはり誰もが自分らしい暮らしを維持できること、豊かな気持ちで安心してこの場所で暮らしていけることです。そこで、その二つがつながるような場所・機会を作り、孤立した高齢者、親をつなげて、「お互い様」という助け合いを生みだしたいと思ったそうです。
設計のteco様との出会いは偶然でした。板井氏がある勉強会に行ったところ、何人かの発表者の中に金野さんがいらして、建物の半外部空間に注目し、人の振る舞いと建築が相互に関連付けられている様子をお話しされており、その内容がとても面白かったそうです。
その後、今回の計画を具体化することになり、金野さんの実例もみて、すごく面白いものを考えていただけそうだ、と期待が高まりました。見学に行った建物は団地の一角をリノベーションした、60㎡くらいの介護事業所でしたが、手前に縁側のようなスペースをつくり、街にオープンに開かれたものでした。「これからのケアは、高齢の方、子どもに関わらず、街ぐるみでやっていくべき」と金野さん。もう一つ、スタッフの方がいかに生き生きと働いているかということと、ケアの風景が街の風景となっていくようなあり方が求められているのではないかともおっしゃいます。
「ずっと、我が家で。明日も、この街で。」というのがケアメイト様の想い。地域の中で暮らしていくことをサポートしていく場所作りへの願いが込められたキャッチコピー。続きは、p3の「フロントライン」で。

220-1 発想の転換

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「Peak Cottage」 撮影:阿野太一

 

写真は、2017年8月に竣工した北品川の住宅「Peak Cottage」です。庭の緑も揃いはじめて、やっとご紹介する機会を得ました。
大きなブリッジは傾斜地に建つ建物から、奥の高台へのアクセスとなっています。擁壁に負荷をかけないように片持ちで支えています。
敷地は、起伏のある土地の谷を南北に走る道路に面して、西側から東側に向かって高くなっており、3つのグランドレベルに分けられます。西側前面道路に面する地下1階は、ガレージとユーティリティ、少し上がって1階がエントランスとギャラリー、和室、そして2階はプライベートルームと浴室、3階は大きなリビング・ダイニング、というプランです。
設計のarchitectureWORKSHOPの北山恒氏は、地耐力を見ながら、フローティングの基礎の上に、地下1階から3層目の2階まではRC造、その上の4層目の3階は、木造、という構造を選択しました。
建物の素材は、打ち放しコンクリートや波板型ガラスの外壁、スチールフレームのブリッジやアルミサッシのテラスなど、インダストリアルな雰囲気で、室内の床もフレキシブルボードと、ハードな印象の住宅です。
そのため、うかつなことに私は今回ご案内いただくまで、設計を依頼されたオーナーの方はてっきり男性だとばかり思っておりました。が、子育ても終えられたゆとり世代の奥様でした。
千葉にご自宅もあるのですが、今回は都心でギャラリーやサロンなど自宅を開放して、いろいろな方との交流を楽しみ、お庭も自分好みの木々を植えられて、愛犬と好きな時間を過ごすためのセカンドハウスを建てられることにしたのです。
このような4層の建物では、下から上階に行くにしたがってプライベートな空間を設けるのがオーソドックスなプランです。そのため、当初2階をリビング・ダイニングとしていたそうですが、奥様が以前から気になっていた波板型ガラスを「こういうのも面白いですね」と設計の北山恒氏に伝えたところ、開放的な空間を求められている奥様の気持ちを感じ取った北山氏は、最上階に大きなリビング・ダイニングを持ってくるプランに変更されました。

「もし2階と3階が逆転していなかったら、外に開いた住宅にならなかったし、ブリッジもできていなかったと思います。千葉の家は吹き抜けもあり、その半分の敷地で、どれだけ開放的な空間ができるか、私の中でつじつまが合わなかったいろんなことを、北山先生がうまくリンクしてくださいました」と奥様。

3階のリビング・ダイニングはひとつながりの大きな空間となり、東側の妻から明るい光が差し込みます。2階のバスルームはガラス張りで、モザイクタイルの美しさが目を引きます。1階のギャラリーには、簡易宿泊できるシャワーや和室も用意されて、お友達がしばらく滞在することも可能です。ギャラリーから擁壁へ向かう出口に、庭を手入れするためのコンサバトリーも後から設置されました。
ギャラリーには、奥様が千葉で親交のある備前焼作家や墨絵作家の方の作品が展示されています。「Peak Cottage 」でのすてきな暮らしは、まさに始まったばかりです。今月号は、奥様のご案内で建物をご紹介してまいります。