158-3 内木博喜/AMS Architects 代表取締役

2013年5月14日 at 12:51 PM

恩師に学んだ、建築と向き合う姿勢

「建築は予測できない変化を続ける、その変化を受け止められる骨格が必要です」

今月は、「GLH」を設計された「鈴木恂+AMA Architects 」の代表取締役、内木博喜氏にお話を伺います。弊社では、「スタジオエビス」や「KOH8608」「HAH7710」「SIH7311」などの改修工事を手がけさせていただいています。

―鈴木恂先生の事務所に入られたきっかけを教えていただけますか。
内木:もともと吉阪隆正先生に惹かれて、早稲田に行きたかったのですが、1980年に亡くなられた後、そのまな弟子である鈴木恂先生の研究室に入り込みました。そして卒業後に、AMSに入所。当時は、住宅を担当したくて入ったのですが、学校や研修センターなど官庁物件を連続して担当しました。その後、住宅も何件かやらせていただきましたが、昔の先生の作品の増改築、改修工事なども多く担当し、そのほとんどの施工は辰にやってもらっていますね。

過去の作品を見ていると、原形が作られたとき、その建物がどう変化するか、先まで見越して時間を設計に盛り込んだ建物が少なくありません。実際の設計の中でもそういうディスカッションにかなりの時間を費やします。例えば、スタジオエビスでもそうでしたが、予想される変化や新たに生まれてくる要求にどう対応し、それを享受するのか―そういう設計姿勢を感じます。GAギャラリーでも、元々駐車場などの外部空間だった1階の部分が、今は内部化されてギャラリーになっていますが、建築のある骨格が作られて、その後展開していく―そういう変化への予測と可能性に目が向けられています。

―設計事務所としてあとを継ぐ仕事も、魅力的な建物が多いわけですね。
内木:そうです。学ぶところが多いですね。設計の中に「建築とは未完であり、予測できない変化を続ける。その変化を建築の骨格がうけとめられるかどうか」という視点が必ず含まれています。1つ1つの作品に深く触れると、必ず新しい発見があります。

―例えば「NAH」の場合はいかがでしょうか。
内木:「NAH」の場合はRC造と木造の混構造ですが、建物は木造の部分がかかわってくると、かなりこまめに手を入れてあげないと長く維持できないものです。RC造は強靭なだけに、「あまり手をかけなくてもいい」という意識が住まい手にも生まれがちで、メンテナンスのスパンもつい長くなってしまう。すると建物の劣化が進んでしまいます。この建物もほぼ半世紀経っており、今回も一部腐食部分の取替をしたり、塗装をしたりと手を入れましたが、そうして建物はまた永らえていく。逆に木造であることが建物の維持に向けての意識を掘り起こすということもあると認識しました。
―確かに今、日本全体でインフラ整備の見直しが問わわれていますね。道路や橋など土木だけでなく、地方の公共の建物など、維持管理にも予算がつかなくて、悲惨な状態になっているものも見かけます。
内木:建築は、人間の身体のように自分で再生しませんからね。手をつけなければ、古くなる一方です。そういった意味では柔らかで柔軟性のある木造建築の持っている特質は、そのような状態を回避するための方法論として役立つ可能性があるのかもしれません。

「NAH」(手前)と「GLH」(奥)の模型

 

―「JOH」は鈴木恂先生の代表作品(1966年竣工)ですが、資料(都市住宅7103)の参考写真によると、いくつも同じ家が並んで見えますが、これは集合住宅となったのですか?
内木:いいえ、それはモンタージュですね。「KAH」や「GAH」といった住宅でも同様なモンタージュをつくられています。鈴木先生は集落の実測をされていますが、1つの住宅を作ったときに、その住宅の骨格が都市の中で集合し、集落となるような可能性を持ち得るかどうか、それがスタディされています。最近は、窓をずらしてくれなどと隣家に言われることもあるようですが、それは、都市住宅として集合していく空間の骨格を持っていないと言えます。このアトリエも、小さな敷地の中で隣地に対して、本体構造とはずらしたいくつかの壁を設けることで、お互いの視線を遮りながら、通風や採光を可能にしています。

―AMSは今後はどういう方向に進むのでしょう?
内木:AMSという名称は、組織的には「I am」の「am」が集合して「am’s」(=AMS)、すなわち個人の集合体であることを意味しています。鈴木恂先生を含む我々全メンバーが、イメージとアイディア、経験を出し合い、議論しながら設計する。その中でシンプルであっても、深さと厚みを持つam’sとしての建築をつくっていきたいと考えています。東日本大震災を経験して以来、我々建築家は建築に対して、どういう姿勢で向き合っていくかが問われています。強度だけではなく、1つ1つの出会いの中で、何が求められ、その向かうべき本質はどこにあるのか。それを問う中で、長く時間に耐え得るような建築をつくり続けていきたい。今回の「GLH」の計画は、その1つの回答であったと思います。

―本日はありがとうございました。

内木博喜

1959年 岐阜県生まれ
1982年 名城大学理工学部建築学科卒業
1985年 早稲田大学芸術学校建築設計科卒業
2003年 早稲田大学大学院修士課程終了
1985年 鈴木恂建築研究所(現:鈴木恂+AMS Architects)入所 現在、AMS Architects 代表取締役、一級建築士
1999年~早稲田大学芸術学校講師 2001年~04年名城大学講師
主な担当作品
「三春中郷学校」「大宮市総合研修センター(プロポーザルコンペ1等入賞)」「都幾川村文化体育センター(プロポーザルコンペ1等入賞)」「早稲田大学理工学総合研究センター(日本建築学会作品選奨受賞)」、「東京家政大学教育会館・小講堂・8号館」「住宅URH」「集合住宅LiF」など

 

神宮前のアトリエにて。
地下1階は天井の高さが 3.6mもあり、数々の模型が部屋に飾られていた