142-3 東 秀音/東アトリエ

2013年4月5日 at 12:00 PM

 2次元と3次元

今月は、「Fallingstar Terrace」の設計者、東秀音氏をお迎えしました。大学卒業後、丹下健三・都市・建築設計事務所に入所、海外での巨大プロジェクトや、東京新都庁舎の設計に携わった東さん。まずその頃を振り返っていただきました .
―東さんが入所された頃は、丹下健三事務所には何人くらいの方がいらしたのですか。
東:30 人くらいですね。新都庁舎のコンペがあることがわかっていましたから、我々の代は特に採用人数が多かった。とにかく海外の首都の都市計画など、身に余る巨大プロジェクトばかりでした。
もちろん実現しなかったものもありますが、設計業務のほか『プロセスアーキテクチュア』という建築雑誌で丹下先生の業績をまとめた本の編集に携わったり、パリの展覧会にお供したりもしました。
86 年の東京新都庁舎のコンペでは、所員が全員他のプロジェクトを止めて泊り込んで準備を行ったんですよ。当時は、横浜市美術館やシンガポールのインドアスタジアムも並行して基本設計が行われていました。とにかくプロジェクトが大きいので、フレキシブルにその時点で絞り込んで、皆で取り掛かるという具合でしたね。 8 年ほど在籍し、東京ガス新宿パークタワーの実施設計を終えて、完成1年前に退所しました。
丹下先生には、「美しきもののみ、機能的である」という言葉があります。建築は少なくとも「美しくなければ、機能的と言えないのではないか」ということです。当時の時代状況を反映していると言えますが、この言葉を軸に事務所全体が進んでいて、私自身も、とにかく建築は、「美しくなければならない」という気持ちで作業していました。
もちろん人によって「美しさ」の尺度は違うわけで、私が「美しい」と思っていても「そうではない」と思う人はいます。そのことは、私にとって、後々写真の趣味につながっていくわけです。

独立後は、設計事務所の下請けとして、120 棟くらいマンションの基本計画などを行っておりましたが、最初に自分1人で設計を請け負ったのは、川崎市の Y 医院です(左写真参照)。
7 階建て、内科、整形外科、歯科、上は自宅という集合住宅でした。イメージは、「骨貝」という巻貝で、それを切ったように断面を見せている楕円の円筒部分(壁構造)と、廻りの殻の部分(鉄骨造)があって、その間を梁のないスラブでつないでいる建物です。
そもそも私は丹下事務所からの影響が大きく、空間をマッス、つまり一種の塊として捉える3次元的な発想が常にあります。模型を作って、塊ごとに機能を持たせる。紙ベースの2次元とちがって、絵に描けない 3 次元の配置を常に意識してきました。

川崎 Y 医院。骨貝をイメージした建物は、マッシブな構造の円筒部分と外殻、そしてそれらをつなぐスラブで構成されている。
(撮影:堀内広治)

ところが、対極にあるのが、2次元で空間を捉えている建物。例えば、極端ですが、直方体のある面とある面を塗り分けた建物があるーそういうものは、私としては理解できなかったわけです。 それが写真を撮ることで、ちょっと変わりつつある。6 年くらい前から始めたのですが、以前は同じ空間なら、ある方向から見たものと違う方向から見たものに違いは無いと思っていたのです。もともと撮ることは苦手でした。写真は2次元の構成。3次元空間の感動がどうしても写し込めなかった。 しかし、写真を趣味にするようになって、「いい写真」というものが少し見えてくるようになると「本当は、人間は根源的には2次元でものを見ているのではないか」「多くの人がいいと思うものを、自分は見ていないのでは」と気が付き始めたのです。「いい」写真が白黒で焼いても「いい」ように3次元の空間も敢えて2次元で捉えることが結構大切だということがわかってきたのです。「自分でいいと思っている3次元の美しさは、実はその人の立場に立っていない」という反省も生まれてきました。今回の設計では、2次元での検討をもう少しするべきではないかと、模型に加え 40 枚ほど CG で起こしてみました。写真のように、2次元での検討がこれから創るものに活かしていければ、と思います。

―本日はどうもありがとうございました。

和紙に写真を加工し、俳句と
合成させた「俳絵」から

3 年間にわたって、朝焼けを撮り続けた定点観測の写真集『Heart of the Sunrise」から

1960 年  神奈川県生まれ
1985 年 東京大学工学部建築学科卒業
1985 年~ 1993 年  丹下健三・都市・建築設計研究所
1993 年~ 東アトリエ 主宰
2000 年~ ㈱東京計画研究所 取締役所長
2006 年~ 2011 年  日本大学工学部建築学科 非常勤講師