141-3 溝口健二/溝口健二建築設計計画

2013年4月4日 at 12:00 PM

中尾実氏   撮影:アック東京

街と建築家

今月は、「神宮前バルカ(La Barca)」、「神宮前 335」、「神宮前トーラ ス / TAURUS」、「神 宮 前 新 中 ビ ル」、そ し て 今 月 ご 紹 介 し た「La Tolda」など、神宮前で数多くのテナントビルの設計を手がけている、溝口健二さんにご登壇いただきます。弊社では、2003 年「三ツ木ビル(府中市」の施工を担当させていただいております。

―早稲田を卒業された後は、東孝光さんの事務所に入られて、独立されてから、イタリアに留学されていますね。
溝口:独立後、1989 年からしばらく中東やヨーロッパ各地の建築を観て廻りました。帰国してみると、景気はバブル崩壊の真っ最中。結婚して 3 年、妻も後押ししてくれたこともあり、34 歳の時に、イタリア政府給費留学生として 2 年間、ローマ大学に留学することにしました。
イタリア人って子供が好きですね。半年間、家族に先行して一人で現地に行って準備していたのですが、それまでわりとよそよそしかった近所の人たちが、妻と生まればかりの子供が来たら、それは親切にしてくれまして、コミュニケーションの輪が広がりました。日本はそれに比べて、子供に不親切だなぁ、と思いますよ。地方に行けばまた、違うかもしれませんが。
「古来から都市に集合として住むことに慣れ親しんでいるイタリア人にとって町の広場や通りといった公共の空間はコミュニケーションの場である。都市を一つの家と見なせば広場や路地は彼等にとって自分達の家の延長である中庭であったり、居間だったりするのだろう。 時代の流れの中で建物に囲われながら自然発生的にできていったイタリアの広場は生活の一部として存在する活き活きとした空間だ」と溝口さんは述べている。

溝口:帰国して、また事務所を再開して、軌道に乗ってきたのは、40 代くらいでしょうか。特に自分の領域を決めてはいませんが、周囲の人も 50 代くらいからだんだん、専門が決まってくるようなところがありますね。住宅もやりますが、僕の場合は比較的テナントビルの仕事が多いです。「住宅」は施主家族の要望から、どうしても内部空間を重視することになりますが、テナントビルは、外的要因からアプローチすることが多いですね。隣とどうつながっていくか、さらに街の中で建物がどう折り合いをつけるかが大事なのです。歴史的にも、環境的に街とどうつながるか、特に、そこで暮らし、商売をしていく人達にとって、街を盛り上げる意識を持つことが求められます。
建築家もまた、社会とコミットしている存在であることを忘れてはなりません。彫刻や絵画などの純粋芸術作品をつくるアーティストととちがって、経済とは切っても切れない関係があるわけですし、独立して「建築家」という存在ではないと思いますね。
イタリアのように、街とは人が住んでいる賑わいがあり、公園があり、近くのバール ( イタリア語で バーのこと)で飲んでいる人もあり、オペラハウスもあり、という雑多なものが本来の姿だと思います。しかし、今の日本は住むところと働くところ、遊ぶところが離れていて、それが地方の疲弊にもつながっていると感じます。「遊んだら、5、6 分で自宅に帰れる」―理想的な街とはそういうものだと思います。そういう意味で「神宮前」は不思議な街ですね。住宅街に商業地域が接近していて、公園もある、学校もある、文化施設もある。地価は、高いけれども、理想的な場所ですね。

キャットストリートの「TAURUS」ビル。DKNY の旗艦店「DKNY キャットストリート店」、オークリーの日本初直営旗艦店「O-STORE Harajuku」、バートンスノーボード日本初直営店「BURTON STORE 」が入った。

特に、子供が街にいるということは、ほんとにいいんです。 子供は未来に繋がる存在であり、子供の声が聞こえるだけで、街は、その無垢な存在で活力があふれます。子供が健やかに暮らすためには、子育てをするのにいい環境でなくてはならない。この事務所の近くのキャットストリートに公園があるのですが、いろんな国の子供たちが来て結構賑やかですね。仕事の合間に癒されます。
―本日は、どうもありがとうございました。

 

「土地固有の歴史と連続性を持つ建物をつくっていきたいですね」

1959 年  佐賀県生まれ
1983 年  早稲田大学理工学部建築学科卒業
1986 年 ~ 1989 年 東孝光建築研究所入所
1994 年 ~ 1996 年 イタリア政府給費留学生としてローマ大学留学
1996 年  帰国後、溝口健二 / 建築設計計画設立
2002 年~ 有限会社溝口健二 / 建築設計計画 取締役