125-3 八木幸二 東京工業大学名誉教授 建築家  

2013年3月20日 at 12:00 PM

普通の若者の国際化を推進

今月は今年 4 月に東京工業大学を退職された、八木幸二先生に登場いただきます。「風土と建築/都市」をテーマに世界中を訪れ、いろいろな国の研究者とも交流のある八木先生に、ご自身の研究と教育者としての 40 年の足跡を語っていただきました。
―若い頃からずいぶん海外にいらっしゃっていますね。
八木:私が学生だった 1960 年代後半はまだ持ち出し外貨に制限があり(最大 500 ドル=約 18 万円)、海外にはなかなか行きにくい環境でした。ベストセラーにもなった小田実の『何でもみてやろう』にあこがれて、いろいろな建築を実際に見ようと、当時大学で始まったヨーロッパ研修制度を利用し、4 年生の春に出発しました。横浜から 5 週間かけて海路でマルセイユへ渡り、ヒッチハイクでオランダへ。そしてハーグの設計事務所に研修で 3 ヶ月勤務した後、翌年はデンマークの設計事務所で 5 月までアルバイトをし、2 ヶ月間北しました。その後北米に渡り、3 ヶ月で再びヨーロッパへ。北アフリカ、南欧、中近東を経て、アンコールワット、台北とアジアを訪れ、沖縄(米軍政権下)経由で翌年 3 月に帰国しました。

今の若い人は何でも簡単に手に入り、ネットで検索すれば行かなくても行ったような気になるようですが、却って気の毒ですね。当時、世界の現代建築を紹介している本といえば、“Encyclopedia of modern architecture1963 年版” 1 冊しかなかった。私はこれだけ持って、現地で「この建物はどこにあるのか」と設計事務所の同僚などに教えてもらいながら、建物を見て歩きました。金も情報もない、ないないずくしの旅でしたが、いい時期に学生時代を送ったと思っています。実際に行くことでいろんな体験ができました。
―帰国後、清家研究室で万博スイス館や東工大長津田キャンパスの計画に参加されてから、今度はシリアのダマスカスに OTCA(現JICA)の専門家派遣で行かれたのですね。
八木:急遽結婚して行くことにしたのですが、そこで中庭住居や集落構成を行う際に現地の技術者が、欧米風、東欧風に計画するのを目の当たりにして、建物はそこの風土にあったものがいいはずなのに、と違和感を覚えたんですね。それがきっかけで「風土と建築/都市」について研究することにしました。

シリアから帰国後は、茶谷研の助手となり、住宅設計 2 つを行った後、オーストラリアのクィーンズランド大学の熱帯研究所へ。植民地政策の長いイギリスには熱帯建築研究所があり、パプア・ニューギニアなどの熱帯地方とシリアなど乾燥地方の事例比較をまとめ、国際会議で発表する機会を得る。また中国のヤオトン(伝統的な地下住居)の研究も始める。省エネルギー住宅として欧米の注目を集め、地下空間に関するいくつかの国際会議で発表する。その後、オクラホマ大学から客員教授に誘われ渡米。オクラホマでの講義の一部が講談社から「A Japanese Touch for Your Home」という本にまとまる。またそのとき学生と行った大学周辺の町の住宅探訪がきっかけで、アメリカ住宅建築研究が始まり、その後「アメリカの住宅建築Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(講談社)」を上梓する。

 

マカオのカソリック系中高一貫校の跡地に計画中のUSJ(旧 IIUM)大学キャンパス計画。2009 年着工開始。監理はポルトガル系のコンサルタント会社

八木:実際の設計も、常に行っています。88 年には、「アムステルダム NONK 集合住宅」の基本設計に加わりました。「オラニエ・ナッソウ・カゼルネ」と呼ばれるこの建物は、アムステルダム中心から東南に 1.5km の練兵場を再開発したもので、「由緒ある建物を残してほしい」という住民の陳情により計画がスタートしました。実施設計を担当した、ハーグの建築家・ハンス・ファン・ベーク(留学時の研修先のハーグの設計事務所仲間)が、6 つの高層棟の設計を 6 人の外国人の建築家に依頼したのです。住民代表の建築家も加わり、全員が1週間の合宿の中で議論を戦わせました。
それぞれ違った個性の建物が、レンガという共通の素材を使って3 年後の 1992 年に完成、運河にグラスボートを浮かべた風変わりな「ほぼ完成式」には文化大臣も訪れました。集合住宅先進国ならではのシステムで、思い出深いものでした。

―八木研究室では、たくさんの留学生が学んでいますね。
八木:大学の国際化という大きな流れのお陰です。デルフト工科大学、パリ・ラヴィレット大学、ウィーン工科大学などと交流協定を締結するほか、ワークショップを行っています。日本でもヨーロッパの ECTS のように単位互換システムを導入したりして、本当に意味のある留学をさせてやりたいですね。ゼミの議事録を英翻訳するなど、本格的な語学力を育成するようにしてきました。学生には人間関係を大切にするように言っています。若い頃の人間関係は、気兼ねなく長く続けられる特別なもの。将来いろんな仕事に繋がる可能性があるのですから。

―本日は、ありがとうございました。

 

「今後は♪ケセラセラ Whatever will be ,will be のwill が shall に代わる感じかな」

八木 幸二

1944年 愛知県生まれ
1969年 東京工業大学建築学科卒業
1971~74年 都市計画援助のためシリアへOTCA派遣専門家
1975~76年 オーストラリア・クイーンズランド大学研究員
1980年 アメリカ・オクラホマ大学客員助教授
1987年 マサチューセッツ工科大学客員研究員
1987年~ 東京工業大学建築学科助教授を経て、同大学教授 大学院教授
2010年  同大学退職 名誉教授となる。
中近東、東南アジア、中国などの伝統的民家・集落の構成原理を研究。また、さまざまな文化と風土を背景としながら独自の発展を遂げたアメリカの住宅を比較研究。主な作品にトヨタ自動車労働組合会館、アムステルダムNONK集合住宅、プラタナスの家など。

40 年の足跡を A1 サイズにまとめた Biography と留学中に大いに役に立った「Encyclopedia of modern architecture」を前に。自邸「プラタナスの家」で毎年 5 月に研究室 OB・学生を招いて新入生歓迎パーティを開いている。退職後も 10年先までスケジュールを入れている。