160-3 菊池恭二/社寺工舎代表 宮大工

2013年7月15日 at 12:00 PM

一歩踏み出す勇気が出会いをつかむ

今月は、グループ企業の池田建設株式会社安全推進大会の記念講演に登壇された、宮大工の菊池恭二氏にご登場いただきます。菊池さんが、「法隆寺の鬼」と呼ばれた故西岡常一棟梁の元で修行を始めたのが、21歳のとき。薬師寺金堂の再建工事です。その工事現場を請け負ったのが池田建設でした。現在は、日本屈指の宮大工として現場を指揮される一方、後進の指導にあたられています。NHKプロフェッショナル「仕事の流儀」にも出演されました。護国寺の月光殿(国指定重要文化財)の工事を手がけるなど、今も池田建設とのご縁は深いそうです。(現場棟梁は長男の菊池寛明氏)講演の内容を再構成してお伝えします。

菊池:大工になったきっかけは、高校受験に失敗したときですね。父が「実家を建ててくれた大工の千葉さん」のところに行くように勧めたのです。4歳年上の兄も千葉師匠の元で修行していました。
大工修行、さて何も出来ない者は、どうやって仕事を覚えるか。それはまず「人の真似」なんですね。いつも箒と塵取を手から離さず、大工の手元として、言われたらすぐに行動する。職人の邪魔にならないように、整理整頓、片付けを徹底する。伸びる新入の持つ要素は「あきない」「まじめ」「素直」の3つなのです。地道に毎日、そのことだけに没頭することが大切です。当時は、私と同じように修行している若い大工は遠野全体で30人くらいで、修行の合間に地域の技術講習の勉強会があり、それが楽しみでした。そこでいい成績を収めた私は、技能競技会の県大会に出たこともあり、そのせいか多くの同期は5年が年季明けでしたが、私は3年で身上がりを許されました。しかし年季奉公があけたからと言って、仕事がすぐにあるわけではありません。たまたま知り合いの大工さんに地元の福泉寺の鐘楼堂の新築工事に誘われて手伝うことになりました。19歳の夏、これが社寺建築との出会いでした。

社寺建築では、住宅ではあまり使わない丸柱、材木も檜や杉などのほか、高価な欅や檜葉(ヒバ)なども使います。また社寺建築の建物には「木割」という約束事があります。「この規模の寺なら、このサイズの部材寸法」と最適の大きさの約束事が決まっているのです。「原寸図」にも驚きました。図面をもとにベニヤなどに型取りし、それに合わせて実際に墨付けをして刻むのです。洋服の型紙のようなものです。鐘楼堂は3ヵ月後に落慶しましたが、私は、すっかり社寺建築に魅了されてしまいました。
あるとき、地元の福泉寺に顔を出した折、住職の奥さんが奈良薬師寺の名物管長、高田好胤氏の著書『心』を貸してくれたのです。高田氏はテレビにも出ている文化人でしたが、実は「薬師寺金堂復興勧進」を発願して、金堂を再建しようとしていました。心のうちに「ぜひこの仕事にかかわりたい」という気持ちが湧きあがってきました。
お盆休みに入るとすぐに遠野から奈良へ向いました。薬師寺金堂の再建現場はすでに下層の建方が終わっていましたが、朱塗りの柱が仮屋根の覆いの隙間から見えます。「何とかここで働きたい。ダメもとでいいから頼んでみよう」といてもたってもいられなくなり、「棟梁は法隆寺の西岡常一さん」と聞いて、すぐにその足で法隆寺を尋ねました。日本屈指の宮大工ということも知らなかったのですから、怖いもの知らずですね。自宅を教えてもらい、門をたたきましたが1時間ほど待たされました。ちょうどNHKが取材に来ていたのです。西岡棟梁は「宮大工じゃ食えんぞ」と言いながら、薬師寺への推薦状を書いてくれました。日本全国から37人の腕自慢の大工が集まっており、私はその中の最年少、21歳の夏でした。

この後足掛け7年間、私は西岡棟梁の元で「お茶出し」をしながら大工修行に励みました。朝5時半に起きて「原寸場」や「加工場」の掃除、宿舎に戻って7時に朝食をとった後、7時半に現場で棟梁を迎え、お茶を出します。自分も現場で仕事をして、夕方5時、再び仕事を終えて原寸場に戻ってきた棟梁にお茶を出します。棟梁や副棟梁の朝夕の打ち合わせを脇で聞くことが出来たことは私の大工人生の宝です。段取りだけでなく、先輩の大工の歩んできた話、人生観も聞けました。
また普通の職人は入ってこられない原寸場にも出入りできたことも幸運でした。原寸が描けなければ、社寺建築は始まりません。毎日棟梁たちの仕事を見て、夜は設計図の模写の練習までやらせてもらいました。模写を続けることで、細部の構造もわかるようになりました。いつも仕事について考えている、どうしてもわからない事を胸に蓄積していると、いつか解けることがある。そういう思いが人の質を、知識を高める秘訣なのです。質問を棟梁にしても「よう考えなはれや」と突き放されつつも、かわいがってもらいました。
昭和51年4月、金堂が完成して、大工は皆解散となりましたが、私は引き続き池田建設に残され、西塔の工事の前に町田の現場にも行き、今度は西塔の原寸場に入って仕事をすることになりました。一番大事な中枢です。そして自分で原寸図を引くことができるようになりました。副棟梁が引っ張りあげてくれたのです。大工は、頭の中で三次元の立体がイメージできなければ、一人前の大工にはなれません。それが出来れば手順として、先が読めるようになります。
結局、人と人との付き合いをいかに濃くして、自分のものとして吸収できるか、それが仕事を早く覚える秘訣だと思います。廻りの人が助けてくれるのも、「こいつはできるな」と、人を見ての話です。人生には岐路があります。「宮大工になる」という気持ち一筋で、西岡さんというすばらしい師匠と出会えた。一歩踏み出す勇気があれば、そういう人と出会えるんだよ、と若い人には伝えたいですね。

 

菊池恭二

1952年 岩手県遠野市生まれ1967年 中学卒業後、遠野で住宅大工の修行を始める
1973年 21歳から約6年間、法隆寺の大工、故西岡常一棟梁の元で薬師寺金堂、 西塔の工事に携わりながら、社寺建築を学ぶ
1990年 38歳で社寺専門の工務店「社寺工舎」を創業
1997年から4年半かけて、池上本門寺の全解体保存修理工事の指揮をとる

日本全国の社寺建築の建立や文化財建造物の保存修理を指揮しながら、弟子の育成にも力を注ぐ

「今は40代の大工が少ない。10年後、在来工法建築が出来る大工は半分になってしまうでしょう」

菊池恭二著「宮大工の人育て」。待つことの大切さをおしえてくれる

池田建設株式会社の安全推進大会にて。池上本門寺の五重塔の改修工事のビデオをバックに流しながらにこやかに語る菊池氏