187-3 田中朋久/田中朋久建築設計事務所

2015年10月12日 at 6:32 PM

一歩ずつ丁寧に道を拓く

今月は、「目黒M邸」を設計された、田中朋久氏にお話を伺いました。
ご自宅は、落ち着いたたたずまいの二世帯住宅で、なんと吉村順三設計の「八雲の家」(1979年)でした。お祖父様がご縁で設計を依頼されたとのことでしたが、空間の持つ魅力が田中氏を建築の道へ歩ませたのは必然的なことだったでしょう。

―M邸の建て主様とは家族ぐるみのお付き合いで設計のご依頼があったそうですね。
田中:そうですね。一つ一つのご要望に丁寧に応えて、なるべくお気持ちを活かした建物を作り上げたい、と感じていました。
今回のプロジェクトで正式に独立して事務所を立ち上げましたが、それまでの4年間、卒業した千葉大学の研究室の先生の下で、千葉大医学部同窓会を中心に集められた寄付金などによって建てられた「ゐのはな同窓会館(設計:鈴木弘樹+鈴木弘樹研究室、2014年1月竣工)」の実務設計を担当しました。天井高9m以上のホールや60畳の和室があり、学生や卒業生、教職員が交流する場所として利用されており、普段は学生の部活動の会館としても機能します。学生に設計実務経験の場を与えるため、実務経験のある僕ら卒業生も関わって、設計が行われました。

千葉大の研究室にいる間も、自分の仕事は傍らで行ってきました。大学院を卒業してから最初に入った設計事務所が下吹越武人さんのA.A.Eです。そこで、まず建築設計の実務を教えていただきました。その後、自分でも従兄の住宅設計を鎌倉で行いました。細かい要望があって、時間をかけて、きちんと一つ一つ学んでいく、という感じで作っていきましたね。高台にあるのですが、途中から道路がなく、手運びの工事でなかなかの難工事でした。
―それは大変だったでしょう。
田中:改修では、松戸で法律事務所の設計を行いましたが、既存スプリンクラーを移設するのを避け、Rの壁で仕切って打ち合わせ用の個室を作るなど、コスト管理を行い、新たな空間を作りました。
親友の三軒茶屋の歯科クリニックは、「小さい子供からお年寄りの方まで、誰もが入りやすい木を使った、心地よい空間」を目指しました。それから、高校時代の友人がオーナーの松本のカフェの改修工事は楽しかったですね。いわゆるブックカフェですが、本屋さんが隣接していて、いろいろな人が集まる空間を意識する、面白い計画でした。
―大切にされてきたネットワークで、どんどん仕事が来そうですね。
田中:そうですね。今、高崎で住宅を設計していますが、それも建て主は友人で、一つの仕事が終わるとまた次に何か依頼があるという感じで来ています。今回のコンクリート造建築での緻密な設計・施工は新たなキャリアとなりました。
―そういえば、もともと経済学部でいらしたのに、その後、建築学科を目指されたのは、どういういきさつですか?
田中:大学は、経済学部に行けば潰しが効くという理由で進学しました。当時は勉強もせずに、このままではいけないと思い、進路変更をしました。今は、自分に合った仕事を見つけられたと思っています。また、寄り道はしましたが、その分いろいろな出会いに恵まれました。

―ご自宅は、先ほどから、とてもよい雰囲気の住宅だと感じていましたが、吉村順三さんの作品なのですね。
田中:祖父の知り合いの縁で依頼したそうです。生まれた時から、ここに暮らしていますが、ずっと改築もせずにここまで来ています。庭の桜は僕が生まれた時に植えられたものです。2世帯住宅の先駆けのような建物で、今は隣に叔父の家族が住んでいますが、ここはM様と違って、入口が最初から別なんですよ。
―築30年以上で、キッチンやリビング、階段のトップライトなど、時代の変遷にも影響されないモダンなデザインは、お仕事にも張り合いを与えてくれそうですね。本日はどうもありがとうございました。

「建物に託した人の思いを受けとめ、長く使っていただけるものをつくっていきたいですね」

田中 朋久

1978年 東京生まれ
1997年 慶應義塾高等学校 卒業
1999年 慶應義塾大学 経済学部中退
2006年 千葉大学大学院自然科学研究科建築学専攻修了
2006年 A.A.E.(~2008年)
2010年 千葉大学工学研究科・特任研究員(~2014年)
2015年 田中朋久建築設計事務所 設立