190-3 光井純 光井純&アソシエーツ建築設計事務所代表取締役

2016年1月13日 at 2:40 PM

対話と協働

 

今月は「カルツェドニア新宿ビル」を設計された、光井純氏にお話を伺いました。光井氏はご自身の設計事務所とアメリカで最も影響力のある建築家の一人、シーザー・ペリの日本事務所代表という日米2つの事務所を運営されています。

―建築家を目指されたきっかけは?
光井:大学入学時は建築家などという職業があることもよく知らなかったので、専攻を選ぶときに1度は電子工学系の学科を選んだのです。ところが、総合科学として多彩な領域に携わることになる建築家という仕事を知り、絵を描くことも好きでしたので、翌年、専攻を受け直し、結局この道に進むことにしました。今ではよかったと思っています。
当時の建築学科にいらした芦原義信先生から、大学院に行くにしてもいったん社会に出てからの方がいいと勧められ、卒業後は岡田新一先生の事務所で4年間お世話になり、その後イエール大学に留学しました。

アメリカの大学は研究室といっても実践的な教育を重視していて、設計や模型作りを24時間やり続ける、不夜城のような有様でした。フランク・ゲーリーやマイケル・グレイヴスなど、ポストモダン建築の錚々たる建築家たちが講師でいらしたのですが、中でも当時学部長だったシーザー・ペリがよく教室に見えて学生たちを気にかけてくれました。日本ではアメリカ大使館の設計者として有名ですが、私は「事務所でアルバイトをやってみないか」と誘われ、ペリの事務所でその建築を目の当たりにしたのです。それが私の設計活動の礎となり、卒業後もシニアアソシエーツとして「シーザー ・ペリ アンドアソシエーツ」で仕事をすることになりました。

―ペリの事務所で学ばれた建築の考え方とはどんなものなのですか。
光井:ペリは、師であるイーロ・サーリネンの考えを引き継ぎ、「建築は『デザイン・レスポンス』という理念を下に、個人の美学を超えて、街並みの一部となって、成長していく生き物のようにとらえてデザインしていくものだ」と言われました。私も、その考え方を引き継いで、敷地を取り巻く自然環境や街並み、文化、歴史、関わる人々など多くの条件を活かして、的確な「レスポンス」を行うものだと思って、設計を行っています。

―その後、92年に帰国して、「ペリ クラーク ペリ アーキテクツジャパン/PCPAJ」の代表となり、95年ご自身の事務所「光井純アンドアソシエーツ建築設計事務所/JMA」も設立されたわけですが、ちょうど2015年11月が設立20周年ということで、これまでの歩みをまとめた『BEYOND BOUNDARIES~境界を乗り越えると“まち”は面白くなる~』を新建築社から上梓されたとのことですね。タワーマンションからリゾート施設、商業施設やオフィスビルなど、大きな物件を数多く手掛けられていて、一言でお尋ねするのも難しいのですが、2つの事務所を運営されて感じる日米の相違点はどんなところですか。

光井:双方に良い点、改善したい点があると思いますが、デザインプロセスが大きく違いますね。まず、日本のゼネコンのようなものはアメリカにはない。日本独自のスタイルです。施工面の管理の良さやチームワークは良いのですが、設計も含めてよくも悪くもゼネコン次第のところはあるので、以心伝心という日本独特の文化や「皆、昔からそうしていたから」という部分は海外から見れば、信じられない点かもしれません。
しかし、今後、特に2020年の東京オリンピック以後は、日本人も国内外で、海外の事業者と仕事をせざるを得なくなってくるでしょう。その時には的確なコミュニケーションを図るための語学力と、多文化を理解する
柔軟な頭脳が不可欠になっていると思います。当事務所では、様々な国の人材を縦横無尽に配置しています。アメリカのペリ事務所に日本からスタッフを配置し、さらに日本事務所に外国人スタッフもいるというように、人材育成に重点を置いています。今後、アジア地域での都市計画、街づくりの機会が増えていくことを視野に入れて、情報収集を行い国際競争力を養っていきたいと思います。

―東京オリンピック以降の日本の建築環境は、どうなるでしょうか。
光井:人口は減るので、ますますコンパクトシティ化が進むでしょう。また、昨今の海外からの訪日客数の増加を見ても、都市機能は24時間対応できるようなものに変っていかなければならないでしょう。
特に私が着目しているのは、ウォーターフロントのデザインがまだまだヨーロッパやほかの国々に比べて立ち遅れているという点です。バンクーバーやシドニーの水辺のデザインを見てください。東京の水は世界的に見てもきれいだし、川もきれいですが、観光面から都市資源として生かせていません。理由の一つに港湾行政の縦割りのシステムがあります。官民が一体となって進めるべき分野だと思っています。

―都市部の水辺が、もっと素敵な空間に生まれ変わると楽しそうですね。本日はどうもありがとうございました。

 「建築、ランドスケープ、インテリアは単体でなく、一体的にデザインされることが重要です」

 

光井純

1955年   山口県生まれ
1978年   東京大学工学部建築学科卒業
1978-82年  岡田新一設計事務所
1982-84年  イェール大学建築学科大学院修士号取得
1984-92年  ペリ クラーク ペリ アーキテクツにて勤務
1992 年       ペリ クラーク ペリ アーキテクツ ジャパン代表取締役
1995年    光井純アンドアソシエーツ建築設計事務所代表取締役
主な作品
日本橋三井タワー、東京国際空港(羽田)国際線地区ターミナル、デビアス銀座ビルディング、ジ・アイスキューブス、パークシティ浜田山、愛宕グリーンヒルズ、ほか