206-3  児玉卓士/アーキベルク一級建築士事務所

2017年5月10日 at 12:14 PM

建築と人間性

今月は、「大門KUROGIビル」の設計を担当された、アーキベルクの児玉卓士氏にお話を伺います。

―今回、「くろぎ」様のビルを手掛けることになったのは、どういうご縁ですか?
児玉:店舗などの和空間のデザインで多くの実績のある、京都の杉原デザイン事務所からのお誘いですね。これまでも、私が入れ物の建築をつくり、杉原さんが内部のデザインを担当するという仕事をいくつか手掛けています。
30年ほど前、私はドイツの留学から帰国して、恩師相田武文先生の事務所に勤め始めたのですが、金沢で当時流行り始めた億ションの設計を急きょ担当することになり、クライアントの方に1棟が完成後、「内装は知り合いの京都のデザイナーの方に頼みたい」と紹介されたのが、最初ですね。当時、彼はまだ今ほど和空間に拘っておらず、2棟目はだいぶ柔らかな仕上げで、2つの棟が男女のような対比で、都市美賞を頂くほどの、良いマンションになったと思います。
最近の仕事では、埼玉県吉川市の川魚料理の老舗料亭「福寿家」とか、金沢の「金城樓」の増築計画で、その後が今回の「大門」ですね。都心で大きくはない建物ですが、どうしても路地空間はほしいので、わざわざ内部に縦型の路地を作り、道行きを楽しんでもらう―これが杉原スタイル、と言えますね。
―芝浦工業大学ご出身で、長年、教鞭も取っていらっしゃいます。
児玉:もともと広島出身で、芝浦工大に入り、大学院まで相田武文先生にお世話になり、4,5年ゆっくりしていたわけですが(笑)、ちょうど卒業時にオイルショックがありまして、就職なんか考えられない状況でした。留学も流行っていまして、僕はポストモダンに移る時期でもあったし、「シュペーアも面白いぞ」とドイツを選びました。

また戦後閉じていた古文書館がオープンとなり、建築資料も初めて出てきた時期だったので、ベルリン工科大学に行くことにしました。当時はまだベルリンの壁があり、西ベルリンにはいくつも大学があったのですが、都心のベルリン工科大学に入学すると兵役、社会労働が免除になるというので、西ドイツから若い人が集まってきていて活気がありました。

1981-83年までいましたが、父が亡くなり、急きょ帰国し、相田武文設計研究所を経て、広島で自身の事務所を立ち上げ、その後3年ほどたって、事務所を東京に移転して、現在に至っています。
最近は、郷里の広島でも福祉関連の施設の計画、開発を行っています。地元では過疎化が進んでいますが、今、森林組合の研修所を福祉施設として再利用する計画を手伝っています。授産施設(福祉法人自身が起業したもの)として、レストラン、宿泊施設に改修する一方、周辺の高原野菜が有名な山間農地の耕作支援から、農家の空き家利用のエコツーリズムへの発展が期待されています。

 設計は、施設関連が多いですね。個人の住宅はそれほど多くありません。大学での研究では、「せっかくドイツまで行ったのだから」と博士コースができた時に、相田先生に勧められて「ドイツ近代建築史」の位置付けで、ナチス期の収容所の研究をまとめました。各収容所は個々に研究も進み、記念施設になっているところもありますが、俯瞰して全体像を眺めることをドイツ人自身はやはりやりたがらないんです。そこで外国人の私がやる意味もあるかと思いました。

―恒常的な意味合いもありますね。
児玉:そうですね。収容所のプランニングをやったのもユダヤ人、末端で管理者として働かされたのもユダヤ人、ということがわかっています。組織管理は集団行動の合理化であり、最終的に人間性を保てるかどうか、それが問題ですね。今、介護の現場では、終の棲家ということが問題になっています。実際には社会に戻れないまま、高齢化が進むと「最期まで集団の中でケアを受けるのではあまりに寂しい」と個室化が進んでいます。

一方で「山ゆり」みたいな事件があると、地域に開いた授産施設、福祉施設であっても、セキュリティが大事ということで、運営する側も方向性を変更せざるを得なくる。災害が起こったときにも、一般集団から隔離せざるを得ない現況がある。

私の研究対象においては、反面教師的に「こういうことはしてはいけない」ということがわかります。ニュルンベルク裁判の時に、「人の尊厳を保てる空間は4立法メートル」という基本が言われたそうです。それが本当かどうかはともかく、最低限守らなければならないボリュームはありますし、究極的にうるおいのない空間は建築ではないということです。

―本日はどうもありがとうございました。

児玉 卓士

1953年   広島県生まれ
1976年   芝浦工業大学建築工学科卒業
1980年   芝浦工業大学大学院修士課程修了
1981-83年  ベルリン工科大学留学
1983-87年  相田武文設計研究所
1987年   アーキベルクを広島に開設
1990年~   事務所を東京に移転、現在に至る
1993-2000年 芝浦工業大学非常勤講師
2000年   博士”学術”学位取得
2000-2003年 芝浦工業大学特任助教授
2004年~  東京農業大学非常勤講師
2006年~  芝浦工業大学非常勤講師
2007年   芝浦工業大学相田武文賞受賞