51-3  建築家紹介02 北山恒/architectureWORKSHOP

2004年6月1日 at 2:48 PM

「建築家という仕事 」

―今回は「集合住宅 20K」を設計された北山恒氏にお話を伺います。

北山さんの設計は毎回新しい提案が盛り込まれて、一歩先を行っている感じがしますね。
 僕は、建築はすべて「特殊解」だと思っています。どうでもいいようなものは建てたくない。設計事務所が設計するとはそういうことです。どこでも同じマンションを建てるというのは、間違っていると思いますね。その辺のことを、デベロッパーやユーザー、マーケットも気がつき始めていて、これから成熟した社会になると、「建築家」は非常に重要な仕事になってくると思う。巨大再開発をするのはエンジニアの仕事です。大きな都市建築は「合目的的」であり、それをやる人たちは技術者であればいいと思う。設計事務所は、大きな会社組織でなくていい、スタッフ10人以下で、たくさんの仕事はやらない、というのが理想でしょうね。ではどこに設計事務所の仕事があるのか、というと、都市を大きな「海」と考えてみればいい。そこに巨大再開発という「島」がいくつか浮かんでいる。大事なのは、その周りの多様で猥雑な「海」の部分。そこに建築家の仕事がある。若い人たちには、そこでやらなければならない仕事がたくさんある、と僕は常々話しています。その多様性の中で変えていかなくてはならない部分があるということです。
―北山さんは横浜国大でずっと教えていらっしゃいます。
 今年は、横浜国大、東工大、芸大、日本女子大で授業を持っています。4つは多いですね(笑)。お世話になった先生からの話でお引受けしていますが来年は2つに減らしたいと思っています。
―今、学校で教えるということは、実際に現場で仕事をしている人でないと無理ではないかと見ていて思います。
 建築の解答は数学の解答と違います。もっと多様なもの。現場にいる人でないとわからない部分は多いですよ。例えばテニスをすると考えましょう。ラケットとボールがあればできる。でもまったくやったことのない人は、始めはとても打ち合うまでは行かない。複雑なこと、例えばラケットの面をつくることだったり、筋力だったり、ガットの張りだったり、それらを瞬時に解けるようになったときに初めて出来るわけ。建築も同じように、出来上がったものを見れば素人でもその良し悪しは瞬時にわかる。でもそれを作ることが出来るようになるためには、すごく多様な事を一瞬で判断して多面的に解決する能力が求められる。構造、ディテール、寸法、マテリアル。一気にそういうものを見ていく。いずれも大事な事で、それは経験して体の中で憶えることと言ってもいい。建築を作っていくということはロジックだけではない、運動選手と似たところがあります。イチローだって3割をキープするには、瞬間的にすごい判断を絶えずしている。そこにいくまでのことがあるわけです。
―北山さんは、建築家とはどういう仕事だと考えますか。
 僕は、「目に見えないものを扱っている」と思います。空間、関係性、人間そのもの、生活、生き方さえもデザインするのが建築家だと思う。メディアはつい目に見える形態だけで話をしてしまう。それは結果でしかない。ほんとは作っていくプロセスの中で考えていくことに意味がある。それなのに「建築の情報」というと、すぐに見える方の話から入っていく。建築の評価が、逆の方向から入っていく。目に見えない建築のあり方から考えていく方が重要だと考えます。作っていくプロセスの中で合理性がないものは、「こちらの方が格好いい」とか「気持ちがいいだろう」とか言われても切り捨てています。「快適」ということ一つとっても、それは数値化できるものではない。その人自身の問題であり「心の豊かさ」はそんなにイージーなものではないですよ。
「当たり前」というのは、我々の記憶とか習慣の中でわかっていることであって、僕は「新しい当たり前」を作っていきたいと考えている。「誰もが共感すること=当たり前」だとすると、それはある意味で「束縛されている」ことと同じです。例えば旅行してみればすぐわかる。その土地で「当たり前」のことが異邦人にとっては、とても不思議なことであったりする。我々の「当たり前」なんて、非常にあいまいで不確かなものにすぎない。それなら僕は「新しい当たり前」を作っていきたいと考える。そのためには、どうやってその「共感」を発見するか。我々の社会の問題を考えながら、新しいことを考えていかなくてはならない。アイデンティティがあって、ちゃんとプライドもあるものでなくてはならない。情けないものではなくてね。建築とはそういうことだと思います。今回は集合住宅でしたが、学校や病院などの公共建築でも、まさにそういう問題が顕在化している。僕は、以前都立戸山高校の設計を芦原太郎さんと共同で依頼されて、途中で降ろされたことがあります。我々は新しい自由な学校、生徒が入ってよかったと思えるような学校がいいと思っていた。そのためにソフトウェアから考えて、プランを立てていったけれども、学校の教師、都の職員たちに内容について理解してもらえず「畳の部屋」を注文したのに「板の間」を設計してくるようなとんでもない設計士だと言われました。日本の教育空間については、非常に閉じた状況を感じています。施主は役所の人ではない、「未来の子供たち」だと言いたいですね。建築家は、社会のソフトウェアを作っていくのだという気持ちでなくてはならないと思う。最近、そういう若い人が少なくなった。建築がファッションになってしまってはだめです。東京という市街地は今後も変わらざるを得ない。次の時代に残るものを仕事としていきたいですね。
―本日はどうもありがとうございました。
1950年  香川県生まれ
1976年  横浜国立大学建築学科卒業
1978年  ワークショップ設立(木下道郎、谷内田章夫と共同主宰)
1980年  横浜国立大学大学院修士課程終了
1987年  同大学専任講師
1995年  同大学助教授 architecture WORKSHOP 設立主宰
1996年 「HOUSE IN HOUSE」 で東京建築士会住宅建築賞受賞
1997年 「白石市立白石第二小学校」(芦原太郎と共同)で第17回建築学会東北建築賞作品賞、第38回BSC賞受賞  日本建築学会作品選奨 受賞
1998年   「Lime House」で東京建築士会住宅建築賞 受賞
2001年  「Z-House]で東京建築士会住宅建築賞 受賞
2004年  現在 横浜国立大学教授