57-3 建築家紹介08 玉田敦士/LDK

2004年11月4日 at 8:07 PM

「現場で培った感覚を活かす」

今月は、建築プロデューサーの玉田敦士さんです。玉田さんは施工会社の出身ですが、5年前独立し、設計事務所を立ち上げました。
こだわりを持って自分らしい家作りをしたいお客様のために、さまざまな提案を行っています。弊社は、「東京調剤薬局(品川区)」を施工。現在新大久保でもプロジェクトが進行中です。
-辰建設に勤めた後、設計事務所LDKを立ち上げたわけですが、「プラン付土地検索システム」「外断熱コンクリート住宅」「オリジナルキッチン」「car&Home」など、次々と豊富なアイディアを打ち出して、若い設計者とコラボレーションを行っていますね。
玉田: 7年間現場やって、辰建設ではいろいろやらせてもらった、という思いがありますね。育ててもらったなと思います。今思うことは、建設業は設計と施工というレッテルで分けすぎているかなということなんです。現場を一通りやれば、建築はできます。僕は施工会社にいるとき、突貫の現場が多かったんですが、そのときに、自分が今こういうことをやるなんて夢にも思わなかったですね。施工現場ではいろいろな矛盾が起こってくるわけですけど、それが結局、自分の身に降りかかってくることになる。これだけ日にちがかかる、縮めなくちゃならない。「お前この期間しかないけどできるか」と上の人に言われるんです。「男の子だからできるよな」とね(笑)。それで「ハイ」と返事をするんですけど、普通にやっていたらだめなわけ。一人の職人さんがやっているときに、下の足場で別の職人さんが別の仕事をできるように、自分で工夫するんですよ。そんな中で「身体感覚」が育った。社長が営業をやれと言わなかったら、今でも現場で施工監理をやっていたと思いますよ。現場では上長にあこがれていました。現場という社会の中で十分なものでした。任せてもらってうれしかったし・・・。ところが営業をやれ、と言われ、自分で仕事を取ってこないといけない、仲間もライバル、大変でした。今、経営者になってみると、よく自分のような人間に2億円の工事現場なんかやらせてくれたな、と思いますね。でも、やる気のある人にとってはとてもいい会社でしたよ。問題点を自分で考えて抽出して、それを解決しようと考えれば、アドバイスをくれる人が回りにいっぱいいた。職方もすごく親身だった。みんな忙しいでしょう、でも一升瓶持っていくと話を聞いてくれた。そして「またいっしょに現場やるからね」と声をかけてもらえる。狭い分野の中だけど「マーケットイン」がありました。
―そんな玉田さんが営業をやりながら、建築プロデューサーを目指すようになったのはどういうきっかけがあったからですか?
玉田:ある時期から設計事務所の技量が落ちてきたと感じ出して。うちの会社も設計施工をやっていて、みんな実施設計やっていましたからね。
 僕は文学部ですから、「魂はディテールに宿る」という感覚がわかるんです。細かいこと、例えば素材の取り合わせとか「(設計者が)できないのなら、任せてもらっていいんだな」ということでやり始めた。
ちょうどそのころ会社ではESNA(エスナ:「環境に配慮した建物づくり」を提案してモデルルームを作り、事業展開を図っていた)を始めていて、僕は当初現場にいてそんなことをやっているなんて知らなかったんですが、営業に入り、環境に配慮した素材選びなどにも参加し始めた。ピーエス(輻射冷暖房機器)の社長宅の実験ハウスなど、面白かったですね。
でも、決定的だったのは、建築プロデューサーの浜野安宏さんとの出会いです。総合格闘技というのがあるでしょう。プロレスでも何でもありで勝負する。そういう世界を感じたんですよ。手を使っちゃいけないとか足は使わないとか、そんなルールはお構いなしの世界。結果がよければいい。世の中いろいろな経歴の人がいるわけだし、自分もいろんなことをやらされてきたわけだし、何かそういうものがつながりかけてきて自分が見えてきた。
そこで、建築プロデュースの仕事を始めたわけですが、やはりそれはそれで大変でした。5年間は生きているのが不思議というくらい失敗の連続。でもここまで何とかやってこられたわけです。

<浜野安宏さんは、青山のフロムファーストの企画などを行った、街区のプロデューサーとして先駆的な存在。当時チームハマノの事務所であり、パタゴニア渋谷店を1階に擁する「クレインズファクトリー」を渋谷キャットストリートに辰建設で施工。北山恒氏設計のこの建物は、構造や部材の取り合わせなど刺激的な建物だった。>
玉田:僕らが現場で工事をしているころはバブル全盛期。多少の失敗は許された。それに比べて今の若い人たちは、ある意味かわいそうだな、と思いますよ。失敗が許されない。
予算も扱わせてもらえないし、プラスのモチベーションがなければ、いやになるでしょう。現場管理はそれでは続かない仕事ですよ。失敗をしながら、また次につなげる―そのようなフィニッシュイメージを育てることが大事です。
 それから今、若い設計者は皆CADというコンピュータソフトで図面を書いているでしょう。あの害悪をひしひしと感じています。例えばリンゴをCADやCGで描くとする。それはただのイメージが脳ミソを通過して、機械で絵にされているだけで、人間は何も考えてはない。身体感覚の欠如を感じます。昔、手描きで図面を書いていたころは、建築に関する理解度が深まるたびに図面も上手にわかりやすく早く書けるようになる、というのが常識だったんですが、若い人たちのバランスがどうも悪いんですね。そういうものを補う必要性がいろいろな場面で出てきていると感じます。
―今後のLDKは?
玉田:僕は今年42歳で来年後厄が明けるのですが、先日えらいお坊さんに会う機会があって言われたことがあります。「厄年の厄は『役』と心得よ。42歳までやってきたことで自分の社会に対する役目が決まる。厄年以降はそれまでやってきたことを支えに、社会に対して自分の役目を果たせ」と。
 僕は雑誌の連載などで文章を書くときに、「現場監理の経験がなければ、このキャプションは出てこない」とよく言われます。設計は別にやる人間がいる、法律関係も法律に詳しい人間に聞けばいい。これまでの5年はあっという間でしたが、第2のステップとして、どのようにブランド確立を行うか、この5年が正念場だと考えています。社会に対して何ができるか、ローカルブランドでいいからどう攻めるかを見極めたいですね。
―どうもありがとうございました。
1962年 大阪府生まれ
1989年 東京都立大学人文学部中退
辰建設株式会社入社
1999年 LDK設立
主な作品
ワイヤードダイナー (渋谷区桜丘)
X-GIRL  (渋谷区神宮前)
NOS  (港区青山)
その他 約50物件のコンクリート外断熱住宅をプロデュース。
著書
『car&HOME 1,2,3 』(ネコパブリッシング)
現在、CarMAGAZINE誌に「クルマ居住学」を連載中。