64-3 建築家紹介15 木下道郎/木下一郎ワークショプ

2004年5月5日 at 6:51 AM

「曖昧な空間が豊かさを生む」

木下道郎氏

 今月は、S邸の設計者木下道郎先生にご登場いただきます。弊社では2001年「BALCON」、2003年「二軒家アパートメント」などを施工させていただいています。
―先日三鷹のご自宅が完成したそうですね。
木下:(模型を見せながら)個人棟と家族棟を分けて真ん中にデッキがあって、部屋から部屋への移動はこの外部空間を通ることになって、雨が降るととても不便だけど、それを忘れてしまうくらい快適な空間です。ついお酒を飲みたくなってしまいます。
―ご家族の皆さんもご満足でしょう。
木下:うーん、でも僕のクライアントでこれほど文句を言ったのは、うちの奥さんくらいだよ(笑)。最初なかなかわかってもらえなかった。出来上がったものを見て、やっと満足してくれたんだな。
―例えば、それぞれの自分の部屋からトイレやバスに行くときは、一旦外部に出なきゃならないという不便ですか?
木下:それは理解してくれたけど、空間のトーンとかそういうところ。僕自身はあまりトーンとか雰囲気は重要ではなく、空間構成というところに興味があるわけで、たまたま木を使ったけど、それが真っ白い空間でも打ち放しでもよかった。住宅なら住む人に色づけしてもらえればいいんですよ。
―今「色づけ」とおっしゃったのですが、まさにそうですね。暮らすことをイメージするとき、私も色とかテイストというものが大事だったりして、なかなか構成まではわからないことがあります。
木下:そうそう、部屋の中に置くものがよければいい、ということもある。建築家の方がごてごてに補足しちゃっている場合もあって、そういう建物もあっていいとは思うけど、僕はシンプルに作って住む人がいろんな色をつけてくれればいいと考えていますね。
―建主さんが建築家の先生に何をもって依頼するのかは大変だと思うんですよ。お話が成立するまでの信頼関係が重要ですね。
木下:僕の場合、今回のS邸もそうなんだけど、デザイナーというか、自分のテイストを持っているクライアントが多いんですよ。僕のニュートラルな部分を理解してくれて「建築、頼むよ」という感じで話がきますね。だから、三鷹の自宅と比べるとS邸はかなり違ったデザインでしょう。僕がどこに一番興味があるかというと、2階の北側の階段部分。土間立体縁側というイメージ。こういう緩衝帯が入っていて、お風呂があったり、階段があったり、植物があったり、といろんな可能性が考えられる。もう一つが1階のオレンジ色の入口の中の土間空間。外と直接つながっていて、通り庭みたいになっている。扉を開けると外の空間、閉めると中の空間。そういう曖昧なところに一番気持ちが入りますね。
―木下さんのご出身は関西ですが、町屋に見られるような、そういう文化というか感覚を継承されているのでは、と考えるのは短絡的ですかね。
木下:寒いところで育った人は曖昧な空間なんか作ってはいられない、しっかり閉じて寒さから身を守ろうということになるかもしれませんね。そういう意味じゃ、僕は、若い頃から車はジムニーで、屋根もすっかりオープンに開け放して乗っていたし、レストランなんかも外で食べるのが好きだしね。さすがに最近はオープンカーではないけどね。
-今回この北側の部分を「閾(しきい)」と呼んでいらっしゃいますが、どういう意味でしょうか。
木下:山本理顕さんなんかも使っている言葉ですが、「結び」の領域のことなんです。Aという領域とBという領域の両方に属していて、両側にある装置を閉じたり開いたりしながら、AにもなるしBにもなるし、AでもBでもなくなる。どこかあいまいな「こうもり」空間ですね。建築家が登場するより前に日本人が暮らしの中で培ってきた文化であり、縁側とか濡れ縁とか、そういう空間をうまく使いながら、我々は豊かな文化を創ってきたわけです。
それなのに、都市が過密になり、また西洋から導入された集合住宅の形式に染まってしまって、そういう部分が欠落してしまった。西洋では空間の大きさが違うから、部屋はたくさん作って、ちゃんと区切るんですね。朝食を食べる部屋と夕食を食べる部屋まで分かれている場合もある。日本はちゃぶ台という装置を置いたら飯を食うところで、布団を敷いたら寝るところ。それが西洋に追いつくために、そういうフレキシビリティはまずいということになったんだね。結局2LDK、3LDKという住宅に画一化されて、それでは満足できない人々が出てきてしまった。僕は、日本人が忘れてしまった曖昧な空間の上手な使い方を取り戻す手助けをできればいいなと思っているんですよ。
-「もっと頭を使って暮らしてみようよ」と言われている気がします。
木下:人間モデルで考えるのなら、工業化社会で求められる「お父さんはサラリーマン、お母さんが専業主婦、子供は2人」という標準モデルに従って、皆同じものを得て同じような充足感をこれまで味わっていた。やっとそこから抜け出して人間の多様性を認められる時代が来たと思いますね。標準モデルには当てはまらない人々、例えば結婚しない人、男二人のカップル、そんな人たちも収められる器を用意したい。そこから何か文化が生まれる気がします。皆同じというのは、もういやだね。
―「二軒家アパートメント」が竣工したときに、「住む人がどんな使い方をしてくれるのか楽しみだ」とおっしゃっていましたね。
木下:そう、今僕の事務所も入っていますが、皆さんうまく使ってくださってますね。オーナーのTさんが自分のペントハウスに住民を集めてパーティを開いてくれましてね。インテリアデザイナーの藤原さんや、オーストラリアから東大に研修に来ている建築家、皆さん、気に入ってくれているみたいですよ。
―羨ましいですね。自分の世界を持っている方が住んでいる共同住宅。屋上のペントハウスでパーティ、楽しいでしょうね。
木下:最近2部屋入れ替えがあったんですが、応募者の数がすごくて面接をやったそうです。最近集合住宅が供給過剰気味で、「デザイナーズマンション」も一時ほど行列ができないとは聞いていましたので、そういう中で評価を頂いたのはうれしいことです。喜んでくれるクライアントがいたらそれが一番。次につなげてくれるご縁が生まれます。
 だから一つ一つ失敗できない。それには常に新しい提案を自分で考えていかなくてはならない。受けたからまた同じ、というわけにはいかないからね。建築というのは、いろんな可能性をさらっと受け止めてくれるものがいいですよ。一人の人間だって未来永劫変わらないということはないじゃないですか。人生何が起こるかわからない。僕も第一志望を落ちて北山、谷内田と会って、ゼネコンだとか大手設計事務所の選択肢をまったく考えず、ここまできました。あまりにも的確な人生設計しちゃうより、深く未来を考えない方が思わぬ展開をするね。
―ほんとにそうですね。どうもありがとうございました。
木下道郎(きのしたみちろう)
1951年  兵庫県神戸市生まれ
1975年 横浜国立大学建築学科卒
1978年 同大学院修士課程を経て共同でワークショップ設立
1981年 株式会社ワークショップ代表取締役(共同)
1995年 有限会社木下道郎ワークショップ設立
受賞 (ワークショップとして)
1986 SDレビュー入賞:「ハートランド」
1987 第2回UD賞:「ハートランド」
1993 吉岡賞:「保谷本町のクリニック」
1994 第10回東京建築士会住宅賞:「立川の家」
1994 ディスプレイ産業奨励賞:「横浜市場」