73-3 建築家紹介23 渡辺真理+木下庸子/設計組織ADH

2005年2月10日 at 6:44 AM

パートナーシップ

木下庸子氏(左)渡辺真理氏(右) 写真撮影:ナカサアンドパートナーズ

今月は、モデルナ(TS集合住宅)を設計した、設計組織ADHの代表、渡辺真理、木下庸子夫妻にご登場願います。

―ご夫婦の事務所としてこれまでやってこられていますが、建築家としてのスタートはどういうものでしたか?
渡辺:大学卒業後、京都の大学で教えたり、磯崎アトリエで半年間アルバイトをしてからアメリカへ行き、ハーヴァード大学のデザイン学部大学院に1年間入って、その後アメリカの事務所でも仕事をしました。帰国する頃、磯崎新アトリエに「ロサンゼルス現代美術館」の担当スタッフとして入れていただきました。その後「パラディアム」というNYの巨大なナイトクラブをつくったり、いくつか別のプロジェクトにも参加したりして帰国しました。
木下:私は、もともと子供の頃から、父の仕事の関係で日本とアメリカを行ったり来たりの生活で、ハーヴァードで建築を専攻し、24歳で帰国して、内井昭蔵事務所に入りました。
―渡辺さんとはハーヴァードでお会いになったんですね。
木下:突然、「ハロー、ハワユー」と話しかけてくる人がいるから、「この人はいったい何なのだろう」とびっくりしましたね(笑)。
渡辺:日系の人もいるし、日本人とは思わなかったから。僕は多少なりとも英語に自信があって渡米したんですけどね。最初は大変でした(笑)。
―その後ADHとして事務所を設立されたのは、どういうきっかけだったんですか。
木下:1987年、二人ともちょうど独立した頃ですが、ある仕事を引き受けることになり、二人ではやりきれそうもなかったので、独立したばかりの牛田英作さんと妹島和世さんと4人でチームを組みました。
渡辺:ところがその仕事は会社組織として契約する必要がでてきたので、僕が代表で会社を作りました。最初は「ad hoc」(そのために特別に作った、という意味の英単語)という名前が背景にあったんです。しかし結局、その仕事は実現しなかったんですね。
―ああ、聞いたことがあります。六本木のディスコ「トゥーリア」で照明落下事故があって、それでプロジェクト自体がなくなってしまったとか・・・。
渡辺:ええ、そこで<ADH>という会社を引き継いで我々2人で仕事をしていくことになりました。
木下:でも「建築は、一人の作家で作るものではなく、チームで作る―それがいいところ」という姿勢は当初からありました。事務所に入って1年目の人でもいろいろアイディアで提案できるものはある。10年やった人が1年目の人より、いつもいいアイディアを出せる、というものでもない。いろいろなレベルで経験年数のある人の方が長けている部分はもちろんあるが、ルーキーでも参加できることがあります。
ですから事務所の名前にはあえて個人名でなく、ADH-Architecture Design Harmonics (建築設計和音) として、どの仕事も2人の代表者名でやっています。
渡辺:それは僕たちだけの特徴ではない、われわれの周りにはそういう人はいっぱいいます。ユニットとしてはみかんぐみとか・・。時代がそういう方向になっている、ということはあると思いますよ。
―お二人とも一方では、大学の先生という役割をお持ちですね。いろいろな行政のミッションに参加されていたり、社会的な役割を積極的に果たそうとしているようにみえます。
渡辺:意識しているというより、年代がそのように声がかかるようになってきたということはありますね。時間が許す限り、自分の経験から貢献できることはしたいと考えています。
木下:もちろん作品も重要ですが、アーティストのように作品を見てもらいたい、ということではなく、やはり社会に役に立つことをしていきたいというスタンスではあります。
大学では、若い人がどういうことを考えているのかを知ることが楽しいですね。提案してくる事柄、フレッシュなアイディアに接することは面白く、刺激になりますね。
―お二人で共同作業をする点でのメリット、デメリットは?
木下:やはり別の視点から同じプロジェクトを見ることができるメリットが大きいです。責任は2人とも代表なので感じていますが、常に50、50の分担ではない。状況に応じて一人が多めにやらざるを得ないのですが、そのとき主ではない方が客観的に見ることができる。ちょっと全体から引いたところでクールに判断できる人が同じ事務所内にいる、ということは私にとって心強いですね。
渡辺:磯崎さんのところで働いていたから、一人の建築家のもとでやることの良さとそうでないやり方があるとは理解しています。チームで仕事をする上では複数の視点の良さを強調しないとならない。複数の視点とか考え方は重要だし、ダブルチェックをして、建築の質を高めたいことはある。しかしオリジナリティを失わないようにしなくてはならない。組織が大きくなれば、チェック機能は高まるけど、どんどん個性はなくなって、問題点もないが長所もないということになっていきます。だから小さい組織はその存在意義があるようにと、常に考えています。
木下:デメリットではないが、事務所スタッフは重要事項を我々2人に確認することになっているので、施工現場には決定が遅いという迷惑があるかもしれないですね。工事監理になると、どちらが主体で現場に行くかは決めています。一人の発言のあとに、もう一人が違うことを言うということは避けていますね。
―先ほどの学校の先生としてのお立場のように、個人の活動が事務所としての活動の活性化に繋がるということもありますね。
木下:昨年、「都市再生機構」で発足した「都市デザインチーム」のチームリーダーの要請があり、私は現在週3日くらいそちらにも出社しています。仕事の内容は、昨年6月全面施行した「景観法」をふまえて、都市を考える部署として、これからのプロジェクトを進めていくものです。
ご存知のとおり、今独立行政法人となっている「機構」は大量の賃貸集合住宅を管理しているわけです。基本的には今後新築は行わずに、今までの建物の建て替え利用をしていかなくてはならない。また土地をプロデュースする仕事にシフトしていくことになります。そのためには都市の将来の景観を見据えたビジョンを持って仕事を進めなくてはならないのです。大きな組織なので、仕事の運営上のシステムが完成してしまっていて、量産時代に必要だったルーティンで仕事をこなしていくシステムが、適合しなくなってきている。私のような外部の血を入れることも有効ということでしょう。情報発信などの役割も期待されていると感じます。
―後に続く女性建築家の励みになるでしょう。渡辺先生も地方の問題について、雑誌などで発言されている記事を拝見しておりますが・・・。
渡辺:大学で教え始めてからいろいろと意見を求められますね。サイドエフェクトとして学生には、設計だけでなく「社会に発言しなくてはいけない」ということを伝えたいですね。それぞれの問題は一筋縄ではいかないし、全てが建築で解決できるわけではないのですが、「社会を見る」ことの重要性を教えたい。
また、建築家として、今後は「通りすがりの素人が見ても良さがわかる、何か伝わるものがある建築」を作っていきたいと感じています。
―どうもありがとうございました。
profile
渡辺真理
1977年  京都大学大学院終了 1979年 ハーヴァード大学デザイン学部大学院終了
1981年  磯崎新アトリエに勤務。ロサンゼルス現代美術館、ブルックリン美術館など担当
1987年  設計組織ADHを設立。現在同代表。法政大学工学部建築学科教授
木下庸子
1977年   スタンフォード大学卒業 1980年 ハーヴァード大学デザイン学部大学院終了
1981-84年 内井昭蔵建築設計事務所勤務
1987年   設計組織ADHを設立。現在同代表
      日本大学生産工学部他講師多数
2005年より都市再生機構都市デザインチーム チームリーダー
ADH
主な作品
「湖畔の住宅」、「沼津の住宅」、「NT」、「SK」、「TN」、「NN」、など
主な受賞
1988年SDレビュー入選、吉岡賞受賞
2000年日本建築家協会新人賞
2001年日本建築学会作品選奨
2002年日本建築士会連合会優秀賞
2005年JIA環境デザイン賞など