74-3 建築家紹介24 若松均/若松均建築設計事務所

2005年3月10日 at 6:14 PM

オープンマインド

今月は、練馬の集合住宅を設計された若松均氏にお話を伺いました。
―お仕事を拝見すると、ピロティをよく採用されているのかなと思ったのですが。
若松:特にそんなことはないですが、この練馬と、今事務所がある深沢の集合住宅(fw.bldg)はピロティですね。どちらも駐車スペースを兼ねた大きなエントランスホールの役目を担っています。公道に面しているので、居住者だけのスペースではなく、外にオープンな場所になっています。
特に今回の場合、角地であり反対側も道に面していますので、通り抜けができるパブリックな「道」になっています。オープンスペースとして居住者だけの広場をつくるよりは道路と連結した共用部を道の延長として捉えられたらと・・・。
特に外階段や共用廊下も「道」のように扱おうと考えました。あと密集地に集合住宅を建てる場合、グランドレベルより少し高い方が居住スペースを快適にできるということもあります。
―大規模開発について、森ビルの社長が語っている記事を読みましたが、すべての地域で当てはまるものではありませんものね。
若松:街の中では、少し小さなものを点在していくことで、時間をかけてだんだん成熟していくと云うか、周りと馴染むようなものにしていく、という方法もあると思います。 コンペの時にもそういう話をさせてもらいました。練馬のこのあたりは、駅からとても近いのに下町のような界隈性があって、路地とかよしずがとても多い場所です。
―若松さんのご出身はどちらですか?
若松:東京です。ほとんどずっと世田谷の深沢。東深沢小、中学校、都立の青山高校。
―建築家になろうと思われたのはいつごろですか?
若松:その職業が何かも知らなかったけれども、将来「建築家」と言い始めたのは早かったです。小学校の頃かもしれない。 実家が建材業、ガラスとサッシの仕事をしていました。工場と店舗と家が隣り合った環境で育ちました。「建物」がいつも身近にあった。大工さんと建築家の区別もつかなかったと思いますが。
―それで東工大に入られた訳ですが、若い頃は何かスポーツとかはやってらっしゃったんですか?
若松:高校のときは、水泳部。大学ではヨット部。体育会のキャプテンでした。
―ヨットは、すごくタフな競技ですよね。体力に自身があるとか、人を使うこととか得意ではないですか?
若松:人を使うのはあんまり関係ないんじゃないかなあ(笑。隣に座っている女性担当スタッフに確認する。)
大学卒業後は設計事務所に4年勤めたあと大学の研究室で同期だった奥山信一氏と事務所を設立しました。親戚の集合住宅をやることになって、その後、約10年間いっしょにやってきました。
そういえば、その最初の集合住宅も高床になっていますね。
―お仕事は集合住宅と個人住宅が多かったのですか?
若松:きっかけは共同住宅でしたが、個人住宅がほとんどでした。集合住宅はここ数年多くなってきました。
―住宅をつくる上で頭においていらっしゃることは?
若松:まず、設計を始める前に現場はよく見るようにしています。そんなに大きな規模のものは少ないので、なるべく広がりをもたせたいと思っています。行き止まりのない感じ。あまりつくり込まないほうがいいかとは考えています。
―RC造が多いのですか?
若松:始めの頃は、ほとんど木造です。現在は、特にどの構造が多いというのはないです。
―ご実家がサッシの会社だから、施工部分での選択など、設計者としては得意でしょうね。
若松:今の事務所を建て替えるまで工場もやっていましたので、サッシとガラス工事に関しては、自分で設計したものはほぼ全て、他の設計者のもずいぶんやらせてもらいました。コスト面での選択とか決定の時期とかは、得意というか今までの経験が影響していると思います。
―現在、事務所のスタッフは何人ですか?
若松:7人。男4人、女3人です。仕事は知人の紹介や、雑誌やネットを通じて、あと最近はコンペも増えています。
―学校の先生としてのお仕事はいかがですか?
若松:武蔵野美術大学で教えていて、今回の練馬の敷地も学生の課題にしています。更地のときに学生連れてきたんですよ。週1日なので、僕自身もいい刺激になります。
―集合住宅はこうあるべき、というものがあったらお聞かせください。
若松:こうあるべきというか、その都度、その敷地、周辺の環境をよくみて、検討していこうとしています。
集合住宅は、一戸の住戸の大きさはだいたい同じなので、その組み合わせに依って建物のボリュームやかたちが大きく変わってきます。繋げれば大きな規模の建物になるし、今回のように2棟に分けて周囲の大きさに合わせることもできる。
残った部分をどう考えるかも大切だと思います。2戸からはじまり、公団のように百戸規模のもある。数に依って周囲に与える影響も変わるし、どこに重点を置くかずいぶん違ってきます。この場所が今後住み続けていく中で、街にどう根付いていくか楽しみです。
―どうもありがとうございました。
1960年  東京都生まれ
1985年  東京工業大学工学部建築学科卒業
1989年  奥山信一とDESK5設計を共同設立
1999年  若松均建築設計事務所設立、現在に至る
武蔵野美術大学非常勤講師
主な作品
「青葉台の共同住宅」「深沢の住宅」「石神井公園の住宅」「奥蓼科のいえ」「玉川台プロジェクト」「本町田の住宅」「柿の木坂の住宅」「吉祥寺通りの住宅」「館山海岸の住宅」「本郷台の住宅」「曽谷の住宅」「小村井の家」「ネオパス目白」「F/ Flat」「fw.bldg」「nh.bldg」など
主な受賞
1995年 東京建築士会住宅建築賞受賞