76-3 建築家紹介26 藤下高士

2005年5月10日 at 9:57 PM

求められる独立したプロの立場

今月は、構造設計の藤下高士氏です。藤下氏には以前、ShinClub69 で「構造計算書偽造問題」について、お話を伺いました。今回は、ご自身の設計者としての歩みについてもお話しいただきました。
―前回の取材でいろいろお話しいただきましたが、掲載スペースが限られて心残りでした。その後耐震偽装事件の再発を防止するために、建築基準法や建築士法などの法律改正も行われましたが(3月31日閣議決定、公布1年以内に施行)、どのようにご覧になっていますか。
藤下:今回の改正で再発根絶とまでは行かないでしょうが、引き続き検討すべき問題としては、9月の国会で、「設備士、構造士の専門資格者の位置づけやピアチェック体制を第3セクターで作る」という話が出てくるでしょう。1年後、そういうものができてくれば、世の中ががらっと変わると思います。専門の「建築士」の資格には、我々構造技術者協会のいろんな提言が今まで反対されてきた経緯があります。
おおまかに言うと、今回、新たに「適合性判定機関」が1年後を目途として立ち上がりますが、2人1組で建物のチェックをおこないます。対象建築物はRC造で高さ20m超の特定建築物となります。判定員は「みなし公務員」になりますが、判定員の責任については明確になっていない問題点が指摘されています。最終責任者は知事となります。そこでは「建築構造士」が判定員として期待されています。
―確認検査機関が民間だから問題だというだけではなかったようですね。「ピアチェック」とは、どういうことですか。
藤下:ある構造設計者の仕事を、検査機関を通じて別の構造設計者がチェックするというものです。欧米では昔から行われていて、フランスでは保険会社がピアチェックを行っています。要するにプロがプロの仕事を評価する、という現実的な話です。プログラムで計算するだけではなく、その設計意図を理解できる人間によるプロのチェックが必要だということです。98年に確認検査を民間に開放したときにも要望があったのですが、結局民間の検査機関の確認検査員の資格には「審査経験が2年以上」という条件がついたので、行政OBでなければできない仕組みだったのです。つまり行政のやり方そのものを民間検査機関に引き継いでいったということですね。
 法律は現状に適応させようとすると、オブラートにくるんだように、当初の主旨がわからなくなってくる傾向があります。誰にでもできるような、どこにでも当てはまるようなことを規定すると、いらない規制ばかりが増える。法律で縛れば縛るほど、逃げ道を作る人は出てくるでしょう。それより、プロをプロとして評価する資格制度があれば、審査そのものも必要なくなるかもしれない。
―仕事をするには専門の資格が絶対必要になってくる、ということですか。
藤下:そうですよ。資格のない人はいずれ他人の資格を使うなど、地下にもぐって仕事をすることになる。設計図書にきちんとサインできない人に仕事をやらせていいのですか、ということになります。
「最低一級を絶対取りなさい」という世の中になるんです。意匠でも構造でも設計は難しいから、一級を取っていない人には仕事は任せられない、ということになってきます。
―藤下さんご自身について伺いたいのですが、どちらのお生まれですか。
藤下:岡山県です。中国山脈の山の中、横溝正史の『八つ墓村』の舞台になったような山深い里です。親父は林業、というか猟師、鉄砲打ちですね。平らなところがほとんどない土地でしょう。農業もままならないから長男以外はみな奉公に出る。分水嶺で鳥取、米子方面に出るんです。親父も鳥取に出ました。祖父の時代はまだ獲物がいたんですけど、親父の代にはいなくなりましたからね。ちなみに私も、東京に出てからクレー射撃をやっていました。秋田でいうマタギの家系なんですかね(笑)。
―すごい話ですね。
藤下:親父が自由業なものだから、私もサラリーマンの世界がわからなかった。高校時代まで課長と部長のどっちが偉いか知らなかった(笑)。
それが、お袋に「田舎にいても仕事はないし、お前は出来るから、世の中に挑戦してごらん」と勧められて、高校は郷里を出てお袋の実家のある静岡の工業高校に進みました。でも大学進学なんて考えず、就職しようと思っていたんですよ。ところがその工業高校で構造力学の授業を受けたら、これが面白かった。駅の近くの商店街でアーケードからとび出ている片持ち梁が、どうしてもっているのかわかって感心しました。世界がぱーっと広がったんですね。
 建築家って意匠の人なんか自己主張が強いでしょう。でも私は最初から構造の世界で生きていこうと思っていたので、「表に出る必要はない、縁の下の力持ちでいい」と思っていました。今は建物の技術が進歩して、プロジェクトが成立するかどうか構造設計者も意見を求められるようになりましたが、いまだに派手なことは嫌いです。
 昭和47年に大学を出てからは自分の思うとおりに仕事をしてきました。同級生はゼネコンやら一流設計事務所に入った人も多いけど、私は構造設計事務所に入り、しかも修行は4年と決めていました。その後は自分で独立しようと考えていました。ところが4年目、オイルショックがやってきて、省エネとか構造不況とか物価上昇で、世の中が急に不景気になり、今独立しても食っていけないという状況になってしまったんです。それでもうちょっと事務所で頑張ろう、とさらに4年いました。お世話になった鈴木建築設計事務所は実務を追及するところでね、パイオニアにはならない。でも地に足のついた仕事をしてきたと思っています。
―そこでのご縁が、今の辰につながっているんですね。
藤下:自分の思った通りの職業についている―それが私の誇りです。この職業になってよかったな、とつくづく思います。あと10年くらいは、一生懸命働きますが、今後それほど仕事量は増やせないと思いますし、将来は世の中の公益のために働こうという気になってきましたね。
この年になると、いろいろな相談を受けます。同年代の友人には会社のトップのような人もいます。彼らは、やたらに周囲に相談できないことも多くなる。社会の表舞台では活躍できるのはあと2,3年です。失敗はしたくないでしょう。だからいろいろな人の知恵を借りようとするものです。
そんなとき、私のように、どこの組織にも属さず、独立した立場を維持している人間は頼りにされるのです。構造設計者としての問題だけではありません。仕事そのものや家庭のことなどについてもです。そういう自由な立場の自分が、今とても心地よいですね。
―本日は、どうもありがとうございました。
949年  岡山県生まれ
1972年  日本大学理工学部建築学科卒業
1972年  鈴木建築設計事務所入社
1977年  藤下高士建築設計事務所設立
主な作品
IDEE ROOMS UEHARA  ほか多数。