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53-3 建築家紹介04 日埜直彦/日埜建築設計事務所

「リノベーションとは」

今月は、日埜直彦氏に登場いただきます。日埜さんは、今、(株)辰で 施工をしている都内のクリニックの設計を担当されていますが、この夏、 水戸で開催される「カフェ・イン・水戸2004」のリノベーション・プロジェク トに、青木淳氏、アトリエワン(塚本由晴氏+貝島桃代氏)とともに参加し ています。水戸芸術館と水戸市街を会場として開催される展覧会に併 せ、街の中の古い建物を実際にリノベーションし、「街の再生のためにリ ノベーションが持つ可能性」が呈示されています。日埜さんの手がけた 「セントラルビル」は築45年の木造2階建て、店舗と下宿、計14室のアパ ートでした。7月31日、8月1日に行われたオープンハウスのため水戸を 訪れている日埜さんに話を聞きました。
-昨日のシンポジウム『リノベーションとはなに?』で話を伺いましたが、 「セントラルビル」では、解体工事の廃材を再生したパーティクルボード を1階店舗部分の壁に採用しているということでしたね。今ある建物をモ ノとして見直してみること、モノとしてリサイクルしてみることを試みられた わけですが、一方で「リノベーション∈リサイクルだが、リノベーション≠リ サイクルだ」ともおっしゃっていました。つまり社会問題としてのリノベーシ ョンと建築的なリノベーションとは違うということでしたが・・・。
日埜:社会的問題としての例えばリサイクルが、良い建築を導くとは限ら ないわけですよね。そうなる可能性はあるけど、結局は別の問題です。 ある建物の再利用は、かつてそれを主体的に使っていた人にとっては 確かに懐かしいものの再生であり甦りであるけれども、そのこと自体は一 般の人にとってほとんど無意味かもしれない。ノスタルジィの肥大はいつ のまにかキッチュになっていきます。第3者が共有できる「古さ」、「今」関 わろうとしている僕らなりの捉え方が必要だと思います。古い建物に新し いものを加えることで、2つが組み合わさって、よりよいものを生み出すこ とが理想でしょう。それは「合唱」のようなもので、古いものが歌い、新しい ものが歌い、そしてその合唱がそのどちらとも違う独特の個性をつという ことです。 セントラルビルはかなり厳しい条件でやっていて、必ずしも完成度が高 いとは言えませんが、その意味で独特のものにはなっていると思いま す。それはノスタルジィに頼ったものではないし、かといって社会的に正 しいからよい建築だというものではない。そういう尺度では捉えられない 空間をリアライズしようとしました。
-現実に、リノベーションによって「街おこし」ができると考えますか。
日埜:可能性はもちろんあると思います。ただ一般に過剰な期待がある かもしれません。「ある建物をリノベーションで新しい建物にできるか」と 言われれば出来る。しかし、その積み重ねによって新しい街づくりに繋 がる可能性はあるかと問われれば、これは簡単ではないわけです。リノ ベーションを介して、「自分の生きている空間に主体的に関わる」あるい は「自分の欲しい空間はどういうものなのか考える」ことが必要だというこ とはとてもわかりやすい。しかしそこで見逃されるのは、例えばリノベーシ ョンを大なり小なりセルフビルドと混同してしまうことです。セルフビルドに よる自分のスペース作りであれば、さっきのノスタルジィの話と同じで、そ れ自体は他人と共有しにくい。あるいはコンバージョン(用途変更)はむしろ社会的な問題ですが、その実現自体は基本的にテクニカルな問題 です。それは個別解をもたらすものではなく一般解に向かうもので、目の 前の具体的な建築を形作るものではない。セントラルビルでリサイクルを 徹底しているように、社会的問題を無視するわけではないのですが、リノ ベーションによって出来る空間には、そういう課題では掬い上げられない クオリティーがあると思います。
―今回、「街おこし」の解答を建築家に期待されていた人も少なくないの ではないか、と思うのですが。
日埜:戦後60年、近代社会がどういうものであったか皆知っているはずで す。セルフビルドで自分の部屋を作り個人的な楽しみの世界に撤退して も、正しさにすがり社会的なものへ応答するだけでも、まともな環境は出 来ない。その分裂がなにを生んだか忘れてはいけないと思います。 自分の部屋の壁の色を変えるのは誰でも出来ることですが、建物のどの 壁、どの柱を抜くことが出来て、どの壁を壊してはいけないか、という判断 は建築家が持っているような専門的判断力が介在しないと出来ないこと です。そういう具体的なことを意識しないセルフビルドの高揚感はどうかと 思います。それを無理に踏み越えてしまえば当然危険ですし、無理とあ きらめてしまうのももったいない。リノベーションで面白い空間を作ることは 実際に可能ですからね。同様にリノベーションが街づくりにつながるとい うレトリックも、今までの苦労を忘れているところがあるんじゃないか。それ では現実はついてこない。元気を失うより積極的になるのは良いことだと 思いますが、実際に何が出来るのか、そして何が出来るべきなのかをき ちんと考えることは必要ですね。簡単ではないけれども、ポジティブな取 り組みが必要だと思います。
-日埜さんは建築批評を積極的に発信することでも知られています。ま た独立前は神戸の設計事務所に勤務し、震災も経験しています。日埜さ んの事務所が入っている六本木の「ギャラリー・コンプレックス」はリノベー ションで生まれ変わった建物です。アート、それにつながるリノベーション を街の活力につなげたいという水戸市民の今後の活動にも注目していき たいと感じました。

 

1971年 茨城県生まれ
1994年 大阪大学工学部高額建築科卒業
1994年~2002年 アークスコーベ勤務
2002年 日埜建築設計事務所設立
2003年 「ギャラリー小柳ビューイングルーム」JCDデザイン賞2003優秀賞
「ギャラリー・コンプレックス」リノベーション

 

 

 

67-3 建築家紹介18 野口信彦/タカギプランニングオフィス

「デザインと採算性」

 

―今月は、タカギプランニングオフィス設計室の野口信彦氏に登場いただきます。「大井町プロジェクト」の設計を担当されています。
―タカギプランニングオフィス(以下TPO)さんが設立されたのが1997年です。それ以前から代表の高木栄一さんが建築家と協働して「一歩進んだ」、なおかつ「採算性」のある集合住宅を手がけ、これまで市場を牽引してきました。現在管理している建物の数はいくつぐらいでしょうか。
野口:約80棟くらいですね。
―初期は、以前のワークショップの作品が並んでいますね。
野口:最初は3,4件でしたね。Radian(1990), Squares(1995), lattice(1997), TRINITE(1997)、 DUO(1997)など。
―野口さん自身はノグチデザイン開設時に、TPOの始めた設計コンペ「TPOレコメンデーション」1999年の受賞者となり(「puzle」)、その後「QUATTRO」、「GRETO」を設計されて、TPOの設計室開設時には、谷内田章夫/ワークショップと、「trevento」を共同設計されています。(GRETO,treventoは辰の施工)
 <TPOの物件はあまり作りこまずシンプルで入居者の生活スタイルの自由度が高いデザインが基本です。またビニールクロスなど壁紙を使わない、コンクリート打ち放し仕上げやシナベニヤのクリア塗装など、メンテナンスフリーの内装で、建て主に対し費用負担の軽減を図っています。>
―そもそも野口さんが建築家をめざしたのはいつ頃ですか?
野口:まず幼少期、実家を建てるために工務店の設計の方が家に出入りしていたことがあって、建物が建っていくもの作りの場面を見ることが楽しかった思い出があります。
実際に建築を意識し出したのは、高校で志望大学を決めるときですね。幼少期の思い出もあり、建築科を志望して武蔵工大に入りました。1,2年は教養の授業が多く、製図の授業がつまらなかったので遊んでばかりいましたけどね(笑)。
3年の後半になって、新居千秋先生という情熱を持った先生に出会って、それからですね、設計を面白く感じ始めたのは―。
それで卒業後、ワークショップ(北山恒、谷内田章夫、木下道郎各氏の共同事務所)に入りました。初めての新卒でしたね。
―その頃は、どんどんワークショップのお仕事が増えていった頃ですね。
野口:僕が内定をもらった10月から入社する4月までの間に、4人は増えていました。
―どういう仕事の進め方でしたか。
野口:担当者が用意した図面をたたき台にして、3人の所長達と喧々諤々でやりあう(笑)。
―厳しそうですね。鍛えられたでしょうね。
野口:4年半いた後、仕事を少しお休みして、それから大手デベロッパーの分譲マンションの設計を主に行なう設計事務所に3~4年勤めました。
土地の仕入れに関する、いわゆるボリュームチェックなどもしていたので、それは数字的には厳しかったですよ。デベロッパーの仕様書というのもあり、よほどの理由でもない限り、仕様書から逸脱することは出来ないので苦労がありました。そういう意味では賃貸の集合住宅の設計は分譲に比べて自由度は高いですね。また分譲は当然ながらお客さんも厳しいです。だから、最近はまだ融通が利いて、デザイン性がよくなってきたようなことが言われていますが、デベロッパーの仕事は基本的には厳しいです。ある意味当たり前のことなのですが、住宅(商品と呼ぶ場合もありますが)の機能、性能、耐久性などを侵す可能性があるデザインは出来ない。別の見方をすればつまらなくなりますね。
―その設計事務所から独立されてからは?
野口:ノグチデザイン室として、1995年から2001年まで活動しました。その後バリエーションのある仕事ができるとTPOに入りました。ノグチデザイン室の頃もTPOの仕事をしていましたが、内部の人間として設計していると、賃貸集合住宅の場合などは、竣工後のオーナーや入居者の声が生で聞こえてくるので、張り合いがあります。

―現在設計部は何人ですか?
野口:3人ですね。あとのスタッフもいれると全員で17人。
―今後、なさっていきたいお仕事にはどんなものがありますか。
野口:今手がけているのが、<個人住宅><オーナー宅+賃貸集合住宅><テナントビル><事務所ビル>の4つなんですが、今まで単独でやったことがないのが個人住宅で、それが楽しみですね。―どんな物件ですか。
野口:個人住宅は敷地面図約300坪と都内ではとても恵まれた広さの計画です。賃貸集合住宅は、自己使用部分の割合が多く、容積的にもかなり余裕のある計画です。―広いですね。今後、都心部では住宅があまってくると言われていますが、その中でいい中古物件があれば手に入れたいと考える人も少なくないでしょう。ほんとにデザイン性もあっていいものが市場にどんどん出てくればいいですね。TPOさんではそういうものをまとめて扱うということはなさらないんですか?野口:今の中古物件市場でも、ほんとにオーナーにこだわりがあって自信があれば、相応の値段で市場に出してくるでしょう。それに買う方の目が肥えてきているし、上物である建物はただ壊すべきものという、昔のような考え方も上物にそれなりの魅力があれば少なくなるかもしれません。現在進行中のものはほかに、以前手がけた電鉄会社の集合住宅を計画中です。最初のプレゼンテーションをしてから3年経ってますね。先ほど述べた個人住宅の方は桜台に来春着工予定ですが、人形町のテナントビルの方は、建て主さんと最初にお会いしたのはもうかれこれ10年前ですね。

―仕込みにも相当時間がかかるものですね。今日はどうもありがとうございました。

 

 

野口信彦

1963年   東京都生まれ
1986年  武蔵工業大学建築学科卒
1986年  ㈱ワークショップ
1995年 一級建築士事務所 ノグチデザイン室設立
2002年 タカギプランニングオフィス設計室 設立と同時に入社
主な作品
puzzle、QUATTRO、GRETO、trevento

52-3 建築家紹介03  鈴木孝紀/ハル建築研究所 

「つなぐ建築、つながる建築」

今回は、2000年第2回TPOレコメ(ShinClub51参照)で優勝した鈴木孝紀氏(ハル建築研究所)にご登場いただきます。弊社は、ギャラリーのある家「K-house」(2002年9月竣工)、8戸を収める重層長屋「m-house」(2003年5月)の施工を行っています。

―建築家を志したのは、いつ頃ですか。
鈴木:僕の場合、東京オリンピック。代々木体育館を見たときにすごいなと思ったのが伏線だと思います。
―設計は丹下健三さんですね。オリンピックで東京は変わりましたからね。
鈴木:今は「箱物行政」と批判されて大きな公共建築の建設を手控える空気が強いですが、僕は一定の時間軸の中で力を持った質の高い建築が現れるのは必要なことだと思います。それについて評価があり、批判があり、また新しい動きがある―そういう爆弾のようなものが落とされるのは大事なことですよ。
―その後、建築学科に進まれて・・・。
鈴木:大学を出てからは、坂倉建築研究所に8年勤務。そこでは新宿のホテルの設計でオフィスチームに配属され、設計や現場監理を学びました。独立しようと思っていたところ、横浜国大の先輩だった3人(北山恒、谷内田章夫、木下道郎の3氏)が主宰する「ワークショップ」に呼ばれまして、苗場のホテルやビヤレストランや、個人住宅、集合住宅の設計にも参加しました。その後独立して、大学の同期長島一道と「ハル建築研究所」を設立しました。彼は、医療や福祉の建築計画やコンサルティングなどが専門で、僕は建築の設計をしています。共同で設計する場合もあって、彼にはいろいろ教わっていますね。
―コンペで受賞した「a-cube」は、東急田園都市線青葉台駅からすぐですね。
鈴木:基本的な条件を整理した上で、提案として「この立地で僕だったら、こういうものが欲しい」という思いがありました。審査員には僕の意図が好意的に受け取られたと思いますね。例えば「バスルームは大きくてテラスのような明るい場所がよい。リビングはいらない。でもある程度きちんと料理をしたいので、キッチンはちゃんとしたものが欲しい。」とか。
―集合住宅そのものについては、どう考えていますか。
鈴木:個人住宅に比べ、「社会性」を問題にしなくてはならないと思いますね。集合住宅は、あるシステムを持って作らないとできない。物理的空間、構造、設備だったり、近隣との関係だったり。そしてそのシステムには、単純に法的規制などの与件として割り切れるもののほかに、建築家としてメッセージがあるべきだと思います。
 僕は、それを「社会性」という言葉で捉えたい。例えば「環境」の話がある。物理的に負荷を掛けないという意味でもあり、都市の環境にどうフィットして使われていくか、という意味もある。それから10年後、20年後にどう社会情勢と適合しているかという点がある。適合しなければスクラップ&ビルドになる―それではかなわない。フィットできるようなシステムを考えておくことが大事ですね。リニューアルやコンバージョンを容易にするシステム。
例えば、隣と2戸を1戸にしてしまう、上下階の床を抜くことができる、隣の2,3件をまとめて借り、住まいと仕事部屋に利用するなどの物理的フレキシビリティや、上階に住んでいたけど下の階に移れるような環境を用意しておくとか。それから近隣にある学校や病院、アミューズメントなどいろいろな環境に対応し、「だからこの場所にこの建築が必要」といういろんな読み方があるわけです。必要だったらほかの用途に変更する。周辺の環境を読み取って、適合させ、建築を使い続けられるシステムを設定してレベルを高くする。その仕事こそが建築家がやりたい部分だと思いますね。
 社会性ということを最近「つなぐ建築、つながる建築」という言葉で考えています。建築をどう設計するかということなんですが。いろんな意味が込められています。例えば集合住宅の住戸と共用部との関係。それから集合住宅が都市全体とどうつながりを持っているのか。イメージとしてのつながりもありますね。街が持つイメージとのつながり。場所性の問題になるでしょう。もう一つは時間のつながりです。「記憶に残る建築=長続きして使ってもらえる建築」を考えたい。使う人に長く使ってもらえるように、長期使用に耐える融通さを持ったものを目指したいですね。それらがすべてきちんと読み込まれてなんらかのシステムとしてセットされている建築を考えたい。
それには、人間の行動パターンを目的でなく、時間軸で考えていかなくてはなりません。10年、20年後にどういう行動パターンを取るようになるのか。そう思って見回すと、今僕が住みたい集合住宅はないですね。都市の中で多様に人が住むことができる集合住宅がないと思う。30代くらいまでの人が、一人あるいは二人で住んでも、その後ずっと住み続けられるのかということになると難しいですね。年取って一人になっても都心で暮らせるものがあれば老人ホームはいりませんね。成熟した都市にするために、どういう暮らし方があるのか。空間・イメージ・時間をトータルに考えて、提案するのが建築家の仕事だと思います。
 極論を言うと、都市は集合住宅だけでも成立するのではないかと思います。劇場・美術館・病院・学校などは、住宅の集合の中で、バグが発生しているようなもので。しかし、超高層の集合住宅ではなくて、面的に複雑に絡み合う、関係性が密でつながりあっているのが、都市として成熟しているのではないかと思います。
集合住宅ではないのですが、5,6年前に長島と設計した老人ホームは、今では珍しくないのですが全室個室です。一番重要な個人のプライバシーを、与えられた条件のなかで広く獲得するために、共用部を必要最小限のオープンなスペースとしました。将来の状況の変化に適合させるためです。
地域につながるオープンなスペースも持たせました。マニュアル通りではないわけで、完成してから監督官庁におこられました。建築のシステムは、社会のシステムを変える力を持つべきだと感じましたね。
―どうもありがとうございました。
鈴木 孝紀
1953年 東京都生まれ
1979年 横浜国立大学工学部工学研究科建築学専攻修了
1979~1987年 坂倉建築研究所勤務
1987~1993年 ワークショップ勤務

1993年 ハル建築研究所設立、現在に至る

ハル建築研究所代表。主な作品に「a-cube」「house MH」「ベルホーム」「花みずき」等。個人住宅、集合住宅、老人ホーム、障害者施設など幅広く設計している。

※2007年  鈴木孝紀建築設計事務所/SASに改称

66-3 建築家紹介17 菊池林太郎/プロパティデザインオフィス

「不動産から新しいまちづくり」

 今月は、不動産プロデューサーの菊池さんにご登場いただきます。
菊池さんは、現在辰で施工中の練馬集合住宅PJの建設にあたってコンペを行い、不動産の立場から新しい街づくりへの提案を行なっています。2005年3月にオープンした青山本店にお邪魔してお話を伺いました。
―素敵なお店ですね。間接照明の下、本棚やお酒もあって不動産屋さんとは思えません。週末の夜には「Bar不動産」としてご利用いただいていると聞きました。(インテリアデザイン:高橋紀人/ジャモアソシエイツ)
菊池:物件のオーナーやクリエーターの方たちのコミュニケーションの場として提供しています。いろんな方たちのネットワークづくりに利用していただければ、と考えています。
―豊島区要町のお店も「探偵事務所」をイメージした、個性的なお店だそうですね。
菊池:お客様の情報を大切にするという姿勢をアピールして、大事な情報を入れる「引き出し」をファサードに表現した店です。(デザイン:橋本夕紀夫デザインスタジオ)。新しい不動産屋のあり方を示していきたいと考えて店舗のデザインにこだわりました。
―もともとはどういうお仕事をされてきたのですか。
菊池:学生時代はインダストリアルデザインと建築を学び、卒業後CIA(シー・ユー・チェン主宰)に入り、それから北山創造研究所、ストリームなどで建築プロデュースの仕事を担当していました。しかし、プロジェクトを管理して進めていっても、いろいろな制約が出てきて、結局いいものができない―もっと、不動産の仕込みの段階から関わることができたら、というもどかしさが出てきたんです。また建築設計は、「できれば終わり」ということにも、物足りなさを感じてきていました。
 そんなあるとき、菊池さんは不動産を回る機会があり、多くの不動産屋の顧客満足度の低さに驚く。大家や不動産屋の立場でしかモノを言わない、借り手の気持ちに配慮しないで「早く決めろ」と言わんばかりの不動産屋が多く、こんなことでは街はちっともよくならない、と考えた。
菊池:不動産の客付け、入居を経て、管理をしていく中でお客様とも2年3年とお付き合いして更新をしていただき、長く建築を見ていきたいと思ったんですね。いろいろな不動産物件を内見すると、建物として過剰な設計をしていたり、逆に機能を満たしていないものもあったり、たとえデザイナーズマンションとして最初は人気を博しても、値崩れして部屋が埋まらない状況も出てきている。古くなっていく建築に対して、価値が落ちないようにするには、ローコストにして、10年、20年その地域の相場に合わせた価格設定をして安定した入居率を確保するとともに、周辺にどう影響を及ぼすか、建設時に十分意識していかなくてはならないと思いました。
 
―そこで、不動産業に入っていったわけですね。
菊池:建築家自身は、作品をつくりたいが、長期的な収支計画を立てることは得意ではないでしょう。だから、顧客・地主と建築家を仲介する機能を自分は満たしていきたいと思いました。借り手の相談にも親身に乗っていきたいと考えています。
一方、10年以上建築プロデュースに携わって、北山孝雄さん(北山創造研究所所長)や浜野安宏さん(浜野総合研究所)のような先駆者が見せた「人」を中心にしたきちんと街づくりを考えた企画であれば、何年経ってからも街を活性化することになるとわかっていましたから、そういうプロデュースを不動産屋の立場からもやっていきたいと思っていました。
 
-今回の練馬集合住宅PJは、まさにその「街づくり」の部分で、菊池さんがプロデュースされたものです。
菊池:オーナーは練馬駅北側周辺の点在した土地を所有しており、古い木造の家が密集した狭い路地の多いこの地域に、今後どういう集合住宅を提供していけば街づくりに貢献していけるか、将来的な開発計画を依頼されました。3人の設計者にコンセプトに沿った案を出してもらい、最終的に若松均さんの設計に決まりました。
―どんなコンセプトですか?
菊池:「美しい集合住宅の完成により周辺の住環境の改善を目指すこと」、「デザイン性だけではない、地域とのつながりを考慮した集合住宅を建てること」、「感性の豊かな若い人が住まう場と彼らが集うのに適した場所を提供すること」などです。
―若松さんの案の採用理由はどんなところですか?
菊池:1階のピロティ部分が近隣に開かれ、新たな通路、コミュニティスペースとして利用可能なところですね。街は人と人とのつながりこそ大事です。練馬はこれまでこれといった個性が見られない、郊外の住宅街でした。僕は、ニューヨークのSOHOのように、アーティスト、クリエーターが集まる練馬独特のコミュニティを創出できれるようになればいいと期待しています。―今後の目標は?
菊池:今まで商業施設の企画開発や店舗のブランド開発に携わってきた経験を活かして、商業と住宅環境が融合した物件を開発していきたいですね。箱を作る不動産屋ではテナント個店の企画開発など、細部まで見ていくことは不可能ですが、弊社では店舗デザイン、アイディンティティ開発、商品計画、運営計画等のプロデュース業務を行うことができます。 小さな物件でも街の活性化に繋がっていく物件をプロデュースしていき、代官山ヒルサイドテラスのような魅力ある街並みを作るのを目標としていきたいと考えています。
―どうもありがとうございました。
 
 
 
菊池林太郎(きくちりんたろう)
1973年  東京都生まれ
インダストリアルデザイン、建築デザインを専門学校で学ぶ
シー・アイ・エー、北山創造研究所、ストリームで、建築プロデュース、店舗のプランニングなどを行なう
2002年:有限会社プロパティデザインオフィス(PDO)を設立。
豊島区要町店をオープン
2005年:青山本店オープン
宅地建物取引主任者、2級建築士
<主な仕事>
店舗プロデュース:渋谷ガーデンフロントアネックス、ほか。
不動産業務とともに、都市環境、商業施設、店舗、住居の開発、プランニング、設計、リーシングおよびブランド開発に携わる。