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63-3 建築家紹介14 大杉喜彦/大杉喜彦建築綜合研究所

「理性と感性」

―大杉先生は、ガラスブロックを使った建物の設計で有名ですね。
大杉:最近は、少なくなりましたね。僕とガラスブロックとの出会いは、まだ大手事務所に勤務していた頃になります。
 あるとき日本硝子建材の営業部長から製品説明を聞く機会がありました。パンフレットを見るとよく見かける建売住宅の玄関脇の袖に採光窓として使用している程度。「折角ならもっと大きな面として使用すると楽しいのに」と提案したことが始まりでした。その頃自分の独立が決定。京都の西陣で歯科医院+住居の設計がスタート。デザインコンセプトのボールト屋根とそこからの採光にガラスブロックを使用した最初の作品が、“THE EEL BED”(うなぎの寝床)でした。独立前の発表作品は2件ありましたが、独立後の発表としては初めての作品です。(『新建築8005』)とにかく、間口5x奥行42mという一部変形の京都のうなぎの寝床そのものの敷地でした。坪庭を建物の中央に介入させ、屋根はガラスブロックをボールト状に積み、その室内の3階は吹抜けでガラスブロックのブリッジを掛けました。2階の床もガラスブロックを用いて、1階の歯科医院の採光面積を確保したのです。評判は上々で、その後の僕の作品“INDEX”(街の指標)シリーズが始まるわけです。ガラスブロックは様々な用途の建築の開口部に大量に用い、建築雑誌にも数多く発表しました。ガラスブロックの売上げも急上昇ですよ。お陰で日本硝子建材の本社ビルの設計をやらせていただきました。“SUMIDA INDEX”という作品です。(『新建築9212』)グッドデザイン賞や優良景観賞もいただきましたね。
―大杉先生のお陰ですね(笑)。建物も周辺から際立ちますよね。
大杉:“INDEX”は街の景観として昼間だけではなく、夜は行燈のごとく見える、昼景と夜景の表情変化を意図しています。
―ガラスブロックというとまず採光性を思いつきますが、そのような効果もあるのですね。そのほかの魅力とは何でしょう。
大杉:ガラスブロックの魅力は集合体として扱った透過壁に、壁の意味を明確に持たせることにより始まるのです。そして光は、決定的な役割を持ちます。様々なパターンのガラスブロックを透かした光、この光は瞬間的にも永続的にも使用できる光なのです。この光は外界より内界へ、また内界より外界へ圧倒的な強さで、また一方的な強引さで人の知覚に侵入してくるのです。ガラスブロックを透過した光は、自分の周辺部分全体、言い換えれば環境を自分のものとして支配してしまいます。つまり人と建築との関係の“場”を考えるにあたって、きわめて優れた物理的性質を持っている。しかもこの歪んだ光は今までに触れた全ての空間を、明るさの中における“場”しか持たなかったのに対し、もう一つの“場”、暗さにおける形態を可能にしました。それは、可視空間の存在性によって構成された建築が、一挙に抽象的思考、抽象的感覚の空間性にまで拡大されたといえるのです。―独立当初からガラスブロックにはまってしまったのですか。
大杉:“THE EEL BED”はデザインコンセプトの解決にガラスブロックを使用したわけで“INDEX”の発表作は1985年からです。独立当初は、勤めている時から思考していた「理性と感情(感性)の融合建築」を追求したいと考えていました。その考えは今でも僕自身ずっと維持しています。
―大杉先生の建築設計に対する概念のようなことを含めて説明いただくとすると・・・。大杉:僕が生まれたのは終戦間近でした。そして日本は初めて民主主義といわれる国となり、その民主主義の手本であるアメリカを始め、ヨーロッパの国々の影響を思う存分、あるいは無分別に取り入れて良くも悪くも高度成長の道を歩み続けてきました。誰もが無意識のうちにアメリカやヨーロッパ化することが「良し」とされる価値観の時代に身を置いて、その「良し」を大きな目的として今日まで来たわけです。例えば建築、特に住宅を取り上げてみても、スタイルや合理性や能率性、また目新しいものなど、従来なかった様々な変化の要因を、模索や試行錯誤を繰り返しながら積極的に取り入れてきました。その結果、現在では「暮らしの概念」そのものの変化にともなって、かつての習慣や因習にとらわれることも少なくなり、住宅建材、住宅設備、インテリア用品などの進歩によって、気候や風土からの制約を昔ほど考慮しなくともよくなりました。個人のスタイルと好みによってどのようにも暮らしぶりを発想できる状況にあります。しかし、考えなければならないのは、その多様性にはその前提に「自己」という民主主義の基本概念がしっかり確立されていない限り、むしろとりとめがなく、曖昧なものになってしまうということです。そして今がまさしくそんな状況の時代といえそうです。
―家を建てるための自問自答の答を持つよう、建て主も考えるべきということですか。
大杉:そう願いたいですね。建築家は施主が望むハウスは設計できますが、ホームに関しては、住まい方の提案はできてもそれを強要すべきではないと考えます。設計がスタートして竣工までの長い間に必要以上の打合せを行うわけですから、住まい手も理想的なホームづくりのプロの筈です。
―建て主に具体的なアドバイスがあれば、お願いします。

大杉:曖昧な中から自分にとって一体何が大事かを見つけることは難しい作業です。豊富な情報、物質、様式、提案などの多様性は、逆に管理されやすく、また画一的な発想や表現に陥りやすいともいえます。住宅とは、言うまでもなく住み手個人のものです。ならば原則的には住み手個人の発想が誰にも邪魔されずに表現できる空間になりうるわけです。もちろんそこには「調和」という大事な要素がありますが―。
では、一体何に調和させるのかといえば、住み手の自己、つまり個性とそれから空気や空や木々の自然にであって、けっして流行とか無節操なアメリカ化とか、あるいはライバルの隣の家の大きさではないはずです。自分の生活意識、志向性、感性を知り、それに適った自分のスタイルを持つことが住まいを考える上で大切なことだと考えます。選べる能力を発揮できてこそ、自分にとって機能的で魅力的で個性的な私的空間を持つことができると思うのですが、如何なものでしょう。

―住宅の本質とはどのようなことだと考えられますか。
大杉:前に「理性と感情(感性)の融合建築」と述べましたが、住宅においては緊張感のある空間をぜひ取り入れるべきだと僕は考えます。それは一見、人の気配を拒んで猥雑な生活の匂いを受け付けないように見えますが、そこに一つの生活のあり方を主張させているのです。言い換えれば生活の猥雑さを拒んだ静けさの中で、惰性に流されず、自分を見つけられる緊張感を日常生活の中に取り込もうとする意識的な暮らしぶりが見つかると思います。非日常的な空間によって初めてリフレッシュされる感性を大切にしたいという意識を持つ人にとっては、快い空間になるわけです。室空間の美とは人間の活動が美しく見えることであって、室はその装置です。装置である室空間が材質や色彩面で猥雑になればなるほど、人の存在を消し去ってしまい、そこには感性の乏しい住まいが露骨に現れてきます。

―緊張感のある非日常的空間によって、張り合いのある暮らしがもたらされるだろうことは容易に想像がつきます。
自分を高める気持ちをいつまでも持ち続けたいもので すね。本日はどうもありがとうございました。

 

大杉 喜彦(おおすぎよしひこ)

1945年 京都生まれ
日本大学、早稲田大学卒業後、知的障害者施設プロジェクト参加のため渡米。
設計事務所3社勤務の後、1979年㈱大杉喜彦建築綜合研究所設立、現在に至る。
主な受賞
1981年・82年 建築士会住宅コンクール入賞
1982年 パリ・ビエンナーレ招待作家
1986年 ARCHI-FILE、コルネット賞
1995年 NEG空間デザインコンペティション入賞
1997年 通産省グッドデザイン施設部門入賞
1999年 すみだ優良景観賞・まちなみ建築賞

主な仕事
G&G、 THE EEL BED、 THE CAT’S BOX、 FRICK  COURT、 THE HUSK、 KYOTO AZUR、 BY THE WAY、 スパ昭島、 WEST HILLS、 BY-AND-BY、
”INDEX”シリーズ21件、 他

47-3 神宮前5179計画(ベルコート神宮前)

表参道ディオールの脇道をキャットストリートと平行に250メートル程進んだ右手に、黒い建物が建ちあがりました。店舗・賃貸住宅を併せ持つ個人住宅です。設計の桑原聡氏に話をうかがいました。

桑原:施主は神宮前に生まれ育った方です。敷地は施主が幼少時に過ごされた場所で、その後、「芙蓉荘」という名の木造アパートとして利用されていました。
4年程前から建て換えの計画があり、プレハブメーカーの設計施工での計画により、着工直前までこぎつけたのが2年前の3月でした。しかしそのままのプレハブ案で、はたしてテナント付けができるのかどうか不安になった施主が、古くからこの地で不動産仲介業を営む豊田土地建物に相談し、計画がスタートしました。

-「借地権上の契約条項により堅固な建物が建てられない」「北側に高さ3Mを超える大谷石の擁壁を背負っている」などの悪条件を逆手にとって、計画は進められました。
桑原:検討の結果、2.5M掘り下げた半地下部分を、借地権上は基礎とみなすことでRC造として成立させ、大開口と高天井をもつテナントスペースを確保しました。そしてその上部に軽量鉄骨で鳥篭状にフレームを組み、3.6Mの天井高を確保した最上階部分には、施主の息子さん夫婦の住宅、中間階部分には貸室2戸を納めました。軽量鉄骨造とはいえフレームは開放的に扱い、大開口や横連窓、屋上を横に切取る天窓まで自由に配置したように見せています。フレームは全て200ミリ弱の壁厚の中に仕込みました。当初3日の予定だった鉄骨建方が1週間を超す難工事になりました。もちろん現場責任者である中川さんの、予算との辛い戦いがあったことはいうまでもありません。感謝。
-屋上に上がると、都心ならではの景色が広がります。表参道のファッションビルがすぐ目の前に並び、休みの日にはキャットストリートを歩く若者が眼下に眺められます。
桑原:改めて敷地周辺を歩いてみますと、店鋪併用住宅が実に多いことに気付かされます。古くからの住宅が1階部分だけテナントスペースに改装されていたり、新築であればテナントスペースの上階にオーナー住宅があったり。しかし、そのどれもが気をつけて見ないとそれと解らない位、街に背を向けてひっそりとたたずんでいるように見えます。このプロジェクトではそうした姿にしたくはありませんでした。ですから思いっきり街の変化を見渡す窓を数多く取り入れています。施主の暮らしも、街の変化と共により高いところへステップアップしていくものと期待をこめて設計しています。
用事があって近くを通るときは必ずふらっと寄り道して行きます。そんな時に中の生活の雰囲気がほんの少しだけ透けて見えたり、テナントスペースの内装工事が進んでいるのを見下ろしたり、散歩の末にふと見つけた宝石箱を眺めるような気分になります。そんな気分を街行く人々に与え続けることができたらと願っています。

構造:鉄骨造、一部RC造
地下1階 地上2階
用途:共同住宅 物販店舗
設計:桑原聡建築研究所
撮影:ナカサアンドパートナーズ

 

47-2 田園調布M邸

「外国人が日本で家を建てるということ」

M・Sさんは、シアトル出身のアメリカ人です。外資系メディア・カンパニーでAsia Head of Sales として仕事をされています。学生時代は北京師範大学(Beijin Normal Univ.)で中国語を学んでいましたが、1989年、「天安門事件」に遭遇し、中国に取材に来たCNNの現地ガイドとして活躍、その後、香港で日本人である奥様と出会い結婚、今では3人のお子様に恵まれています。今回弊社施工で家を建てられたスミスさんに、設計の鈴木基紀氏(空間設計社)とお話をうかがいました。

-ほとんどの外国の方が、会社の補助で賃貸住宅に住んでいる中、日本でなぜ家を建てようと思ったのですか。
Mr.S:これからもアジアで仕事を行なっていくし、自分の子供の教育もあるので、それなら財産として残る形で住宅を建てたいと考えました。そして、家を建てるのなら価値が変わらない、古くからある由緒ある町をまず考えました。田園調布は、危険もなく、よい環境です。さらにここは通りから一本入っており、車の出入りもなくプライバシーも守られます。高台なのでほんとに景色がいい。何しろ富士山まで見えるんですから。
-家を建てる方法としては、いくつかの選択肢があったと思うのですが、なぜこの設計・施工の方法を選んだのですか。
Mr.S:そうですね、ハウスメーカーは、建物がきれいで早く出来るのですが、素材がいつまでもつのか(lasting)、不安に思えました。 建売住宅には、住みたいと思える家が一つもありませんでした。仕切りが多すぎて・・・。

奥様:入るなり、「NO」でした。壁をトントンたたいて、materialがcheapで満足できないようでしたね。

Mr.S:最初にもちろん中古住宅を修繕することを考えました。父が一時建物のリノベーションを手がけていましたから、小さいときから建物をデザインするのを見ていました。しかし、日本の中古住宅はあまりに古かったり、せまかったり、修復しなくてはならない部分が多すぎて結局仕事量が多くなる。それであきらめました。
奥様:3歩入ったら、もう見ないんです。shockだと言いまして。(笑)
Mr.S:大手ゼネコンの設計施工でも良かったんですが、親しくしている不動産会社の人が辰を紹介してくれまして、社長が正直で率直ですし、設計の鈴木さんの仕事にもとても満足しています。

-それにしても、Sさんは図面を見て実際にどうなるか、きちんとイメージできるようです。
鈴木:試行錯誤を重ね、基本設計には5ヶ月を費やしましたが、Sさんは図面をよく読め、ロジカルな思考展開が出来ると感じました。どこかで勉強されましたか。アメリカではこのような建て方は普通なのですか。
Mr.S:いえ、専門に勉強はしていません。好きなんですね。アメリカでは2x4の住宅がほとんどです。規格化住宅ばかりです。家具職人のダレン氏に今回の設計図を見せましたが、「日本の設計者はこんなにたくさんの仕事をするのか」と驚いていました。あちらでは大きな図面はせいぜい4,5枚ですから。
奥様:主人は一つの事が納得できないと、次に進まない人なんです。だから、私はお任せでした。
Mr.S:そういう意味では僕はラッキーですね(笑)。夫婦が二人とも自己主張していたら、家は建ちませんね。
鈴木:今回日本で家を建ててみて、日本の建設業界について何か感じた事はありますか。
Mr.S:キッチンなど家具一式は全て父の代から親しくしているアメリカの職人に注文しましたが、運搬費を入れても日本の既存のメーカーよりもかなり安く出来ました。いろんなものが高すぎます。素材も欧米では質の良いものが安い。日本では土地も高いし、アメリカなら同じ金額で豪邸が買えます。でもこの家は、日本風なところと欧米的な素材がミックスされたいい家になったと思います。日本の木造の伝統技術は本当にすばらしいですね。軸組みなどには感心しました。私は今回のプロジェクトをとても楽しむことが出来ました。
―地鎮祭や上棟式なども設計の鈴木さんの英訳でご理解いただき、楽しまれたようですね。本日はありがとうございました。

46-2 川崎の家Y邸

撮影:編集部

昨年10月にお引渡しした、川崎市のY邸は、東側に公園のある緑豊かな環境の住宅です。母屋の地下室はRC造、離れは木造、1、2階は鉄骨造という混構造。オーナーY様の弟である、八木幸二氏(東京工業大学八木幸二研究室)の設計のため、オーナーも行き届いた配慮にすっかり満足されていました。お二人にお話をうかがいました。

Y様「実家の家財を引き取ることになり、大きな収納室が必要になりました。また高齢の母との同居を視野に、以前からの住宅を建て替えることにしました。この敷地以外にも広めの土地を探しましたが、高台の南端という日当たりの良さや公園の隣という緑豊かな環境は、ほかにはなかなか見つからなかったので、この場所で建て替えることにしたのです。」 八木「容積率、建蔽率を最大限に利用し、地下室を設けて収納スペースをいっぱいにとりました。」

Y様「実家は、祖父までは15代続いた医者の家。父は日展の画家で、蔵にはかなりの家財がありました。長持ちなんか10個以上あった。それでも美術館に寄付したりしてだいぶ処分はしましたが」

―祖先から引き継いでいる貴重な品々を廃棄することはやはりためらわれたようで、地下室はほぼ埋め尽くされました。八木氏は地上への排水を独自に考えた除湿システムを実験中です。
母屋の1階はワンルームのリビング・ダイニング。オープンに見える階段室とはガラス引き戸で仕切っています。
八木「玄関口にカーテンを設け、熱が上階に逃げるのを防いでいます。ガラス引き戸には小さなフックも表面に張ってあるので、壁面としても利用できます。」
1階離れは、6畳の和室で施主の母君の部屋として設けられました。残念ながら入居直前に他界されてしまいましたが、お子様たちの家族が泊まっていくのに便利だそうです。母屋との間の廊下に洗面所・トイレ・バススペースを設け、気兼ねなく出入りできるよう、外への出入り口もつけました。部屋に入ると、窓越しに母屋のダイニングを見ることができ、和室にいるときも家族の様子が窺えて安心です。
離れの屋上部分はファイバーグレーチングのブリッジで母屋2階とつながっています。約1mの高さの壁で囲まれたデッキスペースで各面にあいている窓のため通風がよく、物干場となっています。緑化パネル(セダム)が置かれていて、中庭の植栽とともにこちらの成長も楽しみです。

母屋の2階は、寝室としての2つの和室と書斎コーナー、バスルームを含むユーティリティコーナーがあります。片流れの屋根と壁の間にスリットが入っているので、屋根が浮いたように見え、空が建物全体を回りこんでいるイメージです。内部も天井が仕切られていないので(上部にガラスが入っていますが)フロア全体が開放感のあるスペースになっています。

八木:「『離れ』について、思い出すのは、鎌倉で15,6年前に作った住宅のことです。打合せをするうちに、お姑さんをあまりわずらわせないで友人との団欒を持ちたいというお嫁さんの気持ちが見えてきました。そこで居間・食堂などを母屋の1階にして、子供5人を含む若い世帯は上階へ個室を作り、お姑さんには離れを用意して別の入口も設けました。もちろん母屋の1階で食事や風呂、トイレなどを一緒に利用できるようにしました。つまり上の世代と下の世代では、生活動線が異なる方向に向くようにしたのですね。今回も兄夫婦のどちらかが次の世代と暮らす時に、ある程度の距離感を維持できるように『離れ』がいいと考えました。庭も公園の借景も、南側の景色も開放感があり、別荘のような感があるこの土地をうまく利用できたと思います。」
―世代を超えて使いこなしていく家を考え、広さだけでは決められない現在の敷地の恵まれた点を生かした、2世代、3世代住宅となりました。