180-1 パブリック

2015年3月28日 at 6:57 PM

「日本キリスト教団 生田教会」 撮影:アック東京

写真は、新しく川崎市多摩区に完成した、プロテスタントの教会です。個人的には、教会の礼拝堂というと、威厳のある、閉じた厳かな空間いうイメージがあったのですが、この建物はとても開放感にあふれたものになっています。それは、宗派の違いもあるでしょうが、この教会の活動方針を表したものにほかなりません。

献堂式(竣工式にあたる)で、牧師様は「教会創立12周年を迎えた1965年5月に以前の会堂を献堂し、45年が経ちました。老朽化、耐震問題も出てきて、今なら新しい会堂を建設できると決断しました」と振り返られました。建物完成に向けて建築委員会を設置し、新しい教会にどのような機能を盛り込むか、設計事務所と4年近くの設計期間を通して話し合い、思いを結実されました。
日頃から教会の中だけではなく、積極的に一般の方への奉仕活動や地域活動を行っている教会員の方たち。そのような活動をより充実させるためにどのような建物が望ましいのか。
「打ち合わせでは建物のデザインなどへの要望はなく、機能についてだけでした」と設計の西沢立衛氏。その要望も、「教会単体だけでなく、地域全体の中でどうあるべきか」という点に向けられたものだったそうです。公共の建物の設計機会も多い西沢氏ですが、今回は真の意味で「パブリック」な建物だったという実感を持ったそうです。

「パブリック=public」は辞書で見ると、「国民全体の、一般大衆の、 公衆の、公共の」という訳が載っています。日本では、国全体を考えるとき、欧米に比べて、まだまだこの「公共の」という意識が低い気がします。何か、国全体になるように考えるのは、「お上」に任せておけばいいという意識の人が少なくないのではないでしょうか。逆に、コミュニティに入れない人には、存外冷たいこともあります。パブリックとは、もっと大きな、普遍的な意識を持つことです。外人だろうが、子供だろうが、大人だろうが、誰から見ても、正しいと思えるところに最終的に価値を置いているところに意義があります。
公共の建物は、発注者である行政と利用者が別の場合が多いのですが、往々にして「ハコだけ用意したけれども、利用者が少ない、不便だ」という話になりがちです。そこで最近では、行政が立案の段階から市民団体や地域の活動組織に、建設への参加を呼びかけることも多いと聞きます。
今回は民間の建物ではあるものの、宗教を通じて社会貢献をするという目的がきちんと皆様に共有されていて、「施工者冥利につきるものでした」と弊社社長森村は、献堂式で述べました。

自分に同調しない者への不寛容が、世界中で顕著になっていると感じます。日本人は、元来、親切で従順で、他人に寛容な国民性を持つと言われていましたが、個人が前に出ない反面、昔に比べて、たとえ近くに救いが必要な人がいても「注意を払わない、おせっかいをしない」という距離感が感じられるようになりました。特に都会ではその傾向が強いでしょう。しかし、これから大人になっていく子供たち、高齢者、経済的弱者などに対し、信頼に足る大人としての振舞を忘れたくないものです。
教会やお寺などは、本来救いを求めてくる人のための施設です。今後、その役割はどんどん大きくなってくることでしょう。そんな時に、誰もが気軽に立ち寄れる、開かれた建物がそこにあることで、さらに1人でも多くの方が救われたらと願わずにはいられません。