198-1 パスカル

2016年9月17日 at 10:51 AM
写真は、新橋に竣工した油圧機械商社「日工産業株式会社」様のビルです。渋谷駅の再開発に伴い、新橋へ移転され、初めて自社ビルを建てられることになりました。
取材にお伺いしたときに油圧機械についてお尋ねしたところ、会長様から「油圧式とはパスカルの原理をもとにした技術です」と言われました。
久しぶりに聞いた「パスカル」という名前。「定理」は思い浮かびましたが、「原理」ははて、ということで復習しました。すなわち「流体が密閉容器の中に入れられていて、各分子が静止している場合、あらゆる地点の圧力は等しくなる」というものでした。油圧の原理はここからスタートします。また、台風のニュースなどで耳にする気圧の単位は「(ヘクト)パスカル」となっています。これも、流体力学、気圧研究への彼の貢献に対して設けられたものです。フランスの旧500フランのお札の顔にもなっていたパスカル。どのくらいすごい人だったか、改めてご紹介します。
 1623年、フランス、クレルモンに生まれたブレーズ・パスカルは、10歳にもならないうちに「三角形の内角の和は2直角である」といった理論を自分で証明するなど、幼少期より天才ぶりを発揮。行政官だった父は教育熱心で、一家はパスカルが10歳のときにパリへ移住します。自宅は数学者や科学者などが訪れるサロンのようになって、家庭で英才教育を受けていたパスカルは、そうした集まりでも様々な知識を得たと言われています。
16歳で「円錐曲線試論」(パスカルの定理)を発表。17歳で「機械式計算機」(パスカリーヌ)の構想・設計・製作に着手し、2年後完成。以後、数年の間に真空に関する実験などを行い、パスカルの定理をはじめとする、自然科学に関する幾多の偉業を完成しました。
一方で、23歳の頃から、当時流行っていた、ジャンセニスムというキリスト教の一派を信仰します。28歳のとき父が死去し、妹はポール・ロワヤル修道院に入りました。当時この女子修道院は「学校」として多くの学派が生まれる場所となっており、一時、社交界に出入していたパスカルも、ある宗教的体験から熱心な信仰生活に入り、この修道院に近い立場でイエズス会に対抗して、神の恩寵について弁護する論を展開します。
『プロヴァンシアル(イエズス会の道徳観を非難)』を発表した33歳頃からは癌と思われる病と闘い、病の痛みを忘れるために研究に没頭していったと言われています。そして39歳という若さでこの世を去りました。
 有名な『パンセ』は著作ではなく、死後残されたノートやメモなどを友人らが編集して作られたものです。残されている多くの箴言にかの有名な「人間は考える葦である」という言葉があります。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だがたとえ宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない(以下略)」 と、鋭い人間性分析で、キリスト教以外の人にも響く言葉が連なります。
亡くなる半年前に、パスカルは「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車のシステムを着想・発明し、パリで実際に創業しました。当時、馬車といえば、富裕な貴族が個人的に所有する形態しか存在しておらず、パスカルの実現したこのシステムは今日のバスに当るもので「世界で初めての公共交通機関」と言われています。ソーシャルビジネスの先駆者でもありました。