203-1 金沢

2017年2月20日 at 10:05 AM
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日本橋Nビル 撮影:淺川敏/ZOOM

 

 写真はこのたび、日本橋に建ち上がった事務所併用住宅ビルです。以前、弊社が近くに本社ビルを施工させていただいた、摩擦計測機械メーカーの会長のご自宅です。会社のサービスラボが1,2階に、3階に関連会社のオフィス、4-6階の上層階に住宅が入りました。設計を手掛けたE.N.N.の小津誠一氏は、現在、東京と金沢を拠点に、建築設計やリノベーションだけでなく、まちづくりのプロジェクト、個性的な不動産を扱う「金沢R 不動産」や飲食店経営など、多角的に活動されています。

もともと金沢出身の小津さんは、東京の大学で建築を学んだ後、印刷会社の空間系代理店と設計事務所で二足わらじで仕事をしていました。当時はバブル。景気よくプロジェクトから独立した設計事務所に勤めることになりましたが、すぐにバブルが崩壊。次々とプロジェクトは停止に追い込まれました。気が付いたら電車代にも事欠くことになり、事務所を辞めたのかと心配する友達から個人的に仕事の話がもたらされるようになり、むしろ自分の営業力を活かして事務所で番頭として仕事をサポートできるかもと、件の先生に新しい事務所の姿を相談しました。すると「辞めていいよ」と言われ、あわや決裂かという事態に。でも、ひょんなことからその先生が行くはずだった京都の大学で、教鞭をとることになりました。

 京都は、歴史あり、サブカルチャーあり、右あり左ありで多くの人材を輩出している面白い街。小津さんは1995年から7年間過ごし、教えるだけでなく、好きな飲食店の改修など学生とDIYで行なっていました。大学で研究などを続けられれば良かったのですが、先細るアカデミックの世界では、自分の居場所はそのうちなくなると悟り、2001年末、東京へ戻り、再び東京で設計の仕事を始めることにしました。

転機となったのは、2004年に建設が決まった21世紀美術館。「そこに入るカフェを作らないか」と友人から相談がきたのです。これは面白いかも、と企画書を作り、公立の現代美術館のカフェのあるべき姿を提案しました。その企画書の評判が良く、結果的に一等は取れませんでしたが、新たなNPOとして提案した仕組みに興味を持ってもらい、企画書のコピーが金沢のあちこちに出回り、まちづくりのNPOの立場として相談を受けたり、イベントなどの活動を行うようになりました。たまたま廃墟ビルのリノベーションの相談があり、「a.k.a」という料理店を自分でも事業としてやるようになって、完全に金沢と東京の二重生活が始まりました。

 一方、日本橋で今回の会長から受けていた住宅のプロジェクトは、隣地との権利関係の調整で一時的に止まっていました。2011年の東日本大震災を機に、小津さんは本格的に軸足を金沢に置くことに決めました。東京にいなくても仕事はできる、基本的に、設計の仕事はどこでもできるもの。特に東京のクライアントは設計者がそのときどこにいようが、あまり気にしません。そう決意したところ、止まっていた計画が動き出し、2014年3月、弊社施工で竣工することになりました。
会長はというと、小津さんが金沢に拠点を移したと聞いて、金沢を頻繁に訪れるようになりました。加賀百万石の金沢の魅力はここで改めて言うまでもありません。兼六園や金沢城周辺の街並み、伝統工芸や加賀料理。金沢の滞在を楽しまれ、3つ目の住宅も手に入れて、新たに会社の営業所も作られました。北陸を拠点にするメーカーとの取引もあるからです。そのセカンドハウスの不動産仲介、事務所の改装も小津さんが手掛けました。
2015年、北陸新幹線が開通し、ますますアクセスが良くなった東京ー金沢間。趣味の車で、軽井沢から金沢ー東京のドライブを楽しまれていた会長も、最近は便利な新幹線を利用されることが多いようです。小津さんとのコミュニケーションは双方にとって楽しい時間のようです。
(続きは、203-3のフロントラインで)