150-4 松村慶文氏(元辰建設会長)逝去に寄せて

2013年4月13日 at 3:53 PM

8月26日、日曜日の夕刻、当社の創業者である松村慶文氏(会長と呼ばせていただきます)の訃報に接しました。
昨年秋の第1回ZENグループ運動会には、奥様とご一緒にお元気な姿で参加されました。その後発病され、闘病生活を送られておりましたが、一時回復に向かっていたのに残念です。
8月16日、ご子息様から「父が森村さんに会いたがっている」と突然の連絡を受け、病院に駆けつけました。意識は混沌としておられるようでしたが、暖かい会長の手を握り「森村です。わかりますか?辰は大丈夫ですよ。必ず城南地区で雄になりますから!城南の雄は東京の雄、東京の雄は日本の雄ですから!」と耳元で決意表明を伝えたところ、その瞬間、昏睡状態にあった会長は目を見開き、手を握り返してくださったのです。「森村、本当だな!」と言わんばかりに・・・。
私は大きな宣誓をしたことで責任の重さを背負い込むことになりましたが、お蔭様で半信半疑に躊躇していた自分自身と決別することが出来ました。

ご本人のお話によれば、第105期特攻隊として予科練に入隊。死を覚悟していたのに終戦。荒廃した焼け跡に立ち「この国を復興させるのはこの俺だ」と気持ちを切り替え夜学に学んだとのこと。設計事務所を創業し建設会社に転進。自身で工事の道具を作り、生活の総てを建築に注ぎ、奥様共々壮絶なご苦労があったに違いありません。当時の新進気鋭な設計の先生方とも協働し、専門誌に取り上げられるなど、数多くの施工物件を残されました。その「イズム」を引き継いでいる当社の社員もまた、その作品の一つです。
私は36歳の夏に中途入社させていただきました。初めてお会いした時の、優しく人懐っこい少年のようなきらきらした目を忘れることが出来ません。


反面、震え上がるほど怒鳴られたことも多くありましたが、夜遅くまで仕事をしていると必ず話しかけてくださり、暫くするとまた現れて「これを子供さんに・・」と頂き物の煎餅などを置いていかれました。私は空腹に耐えられず、帰られた後で食べてしまうのですが、湿気っていて美味しくありません。しかし、温かくて嬉しくて涙しながら仕事をしていたものです。
会長は総ての人を快く受け入れていました。それ故に騙されたり、金銭的な打撃を受けたりしたことを私は知っています。
そのような折、その理由も話してくださり、行動で示されていたことは私の中で金言となって残って、今の仕事に生かしております。私は勿論、当社にとっても、会長は父親のような存在でした。それ故に今まできちんとお礼を言っていませんでした。
今、改めてお礼を言わせていただきます。   「松村会長、本当にお世話になりました。 ありがとうございました」 合掌