86-3 株式会社 ペット・サウンズ

今月は、ペットサウンズビルの建て主であり、1階のレコード・CD店 “PET SOUNDS RECORD” の社長、森勉氏にお話を伺いました。

森様は洋楽に対する知識の深さや、お客様に対する心遣いの細やかさでお得意様も多く、専門雑誌への寄稿やラジオ番組への出演など、その活動は多岐にわたります。
ご子息も現在はご一緒にお店の仕事をなさっています。地域でご商売を続けていく上で、日頃感じられていることなどを新しい店舗で取材しました。

<店の名前の由来になったビーチボーイズのアルバム“Pet Sounds” は、森氏も寄稿する音楽専門雑誌の企画で『60年代ロックアルバムベスト100』のNo.1に輝いた名盤。アメリカ西海岸音楽の代表バンド、ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンが、時代性を超えたサウンドを発表した名盤として今では評価されている。森氏の音楽に対する憧憬の深さ、心意気をここに感じることができる>

―ビルの工事についてはどのような感想をお持ちになりましたか。
森:一番良かったのは設備や電気のことまで細かく配慮してもらえたことですね。店舗のスピーカーコードなど、表に出てくるものの配線が現しで繋ぐだけというのがありがたかったですね。
デザインについてもしつこいくらい設計の清さんと検討しました。コンクリート打ち放しはもともと好きです。
こだわったのは駅前広場に向けてのアピール性。どうしたらいいか、何案もきちんと出していただけました。
テナントにはチェーン店展開しているようなお店には出来れば入ってほしくなくて、仕事そのものに熱意がある方を希望していました。地下1階のイベントカフェ、4階の整骨院は旧知の方です。地下1階のカフェは、昔のレコードをかけたり、落語を打ったりと面白いお店ですよ。
結局2、3階もリラクゼーションスタジオ、美容院とすべて「癒し系」の業種の方が入りました。

―武蔵小山で長年ご商売されていらっしゃいますが・・。
森:26年間、この地でレコード店を営んでまいりました。品物はCD、DVDなどどこにでもあるものですが、商売の基本は「お客様を大切にしたい」ということにあります。お得意様はもちろん、新しいお客様の開拓もしなくてはなりません。
「お客様ありき」の姿勢で、単にマニュアルに沿った通りいっぺんの接客ではなくて、個々のご要望に応えられるように知識をいつでも蓄えていたいと考えています。
時にはうちにないCDのお問い合わせもありますが、「ここに聞けばわかる」「あの店にありそうですよ」という情報までお伝えしていくことで、次に繋がる信頼関係を作ることができると思っています。自分自身がお店の人にやってもらってうれしい、と思うことをするだけです。

―地方だけでなく、駅前商店街の活性化は、都会でも今大きな問題になっています。
森:武蔵小山でも、ここ10年で商売をおやめになってしまった老舗が多いです。
アーケード(「パルム商店街」全長750mを誇る)は昭和30年代に出来たもので、そろそろ店主の方たちがリタイヤに入る世代。自分も商品としては流行りのあるレコード、CDを扱う仕事を続けてきて、50歳過ぎても一人でやっていくことの辛さを感じた時期もありました。辛い商売を続けるよりも、賃貸住宅にして貸した方が得ですよと言ってくる人もいますしね。
しかし息子が小さい頃からの環境もあるのでしょうが、一緒に商売を継いでいきたいと言ってくれましてね。レコード店などでアルバイトや社員をして修業し、5、6年前に店に戻ってきてくれました。この新しい店はすっかり彼に任せていますよ。
(お店のホームページでも息子さんの陽馬氏の読み応えのある文章を見ることができる。)

―最近の音楽環境についてはどのように見ていらっしゃいますか。
森:僕自身は、ジャンルへのこだわりはなく、音楽そのものをずっと愛してきました。僕らがまだ若い60年代は音楽業界がまだ成熟していなかったから、皆で1つのものをいろいろなメディアで共有できた時代でしたよ。
ポールモーリアが流行ったら、ラジオでもレコードでもいろいろな場所で皆が耳にして楽しんだものです。ビートルズももちろんそう。
ミュージックライフとかFMレコパルとか総合音楽雑誌も音楽好きの若者は皆で読んでいました。今は何が好きかでジャンル分けしてしまって、却ってお互いにコミュニケーションがとりにくくなっていると思いませんか。ヒップホップの人、ジャズの人、クラシックの人、皆マニア化してしまうんです。昔もマニアと呼ばれるオタクのような人はいたけれど、全体で見れば10%ぐらいだったのではないですか。今は95%そんな感じですね。足かせを作っている気がします。放送局もレコード会社とのタイアップ優先で、少数派のリクエストなんてほとんど受け付けなくなっていますね。

皆で普通に聞ける音楽番組なんかあるといいんですよね。小学生や中学生が初めて何かの音楽に触れて感動する瞬間、そんな出会いの場面が減っていると感じます。
ケーブルテレビにしても専門チャンネル化して、最初からマニア向けを意図してしまっている。やっぱり地上波のテレビ番組で、子供が偶然出会った音楽に惹かれる自分を発見する—そういうことがないと、音楽ファンが育ちません。簡単に入れる道筋が必要だと感じています。

―森さんは、レコード雑誌などにも文章を寄せていらっしゃいますね。店内のPOPも熱のこもった、思わず品物を手にとって聴きたくなるコピーがたくさんあります。

森:いろいろなお客様とお付き合いする中で、「文章を書いてみないか」というお声がかかることもあって「ファンの代表」という立場で好きなものだけ書かせてもらっています。
店での日々の仕事は楽しんでいますが、原稿を書くというのは大変な仕事ですね(笑)プレッシャーを感じるときもあります。

ラジオのお話が来たこともあります。今、FMラジオ局として若い人に人気のある「J-WAVE」が80年代の開局当時に「モア・ミュージック・レス・トーク」という音楽専門局としてのコンセプトを前面に出した『ノンストップ・パワープレイ』という番組を始め、私も選曲者の一人として参加させてもらいました。
極力トークを減らして、CMも挟まず、選曲した人のテイストで構成した30分番組で、選曲を依頼されたのは僕のようなアマチュアの音楽愛好家や、ミュージシャンなど4、50人ほど。日に6回のプログラムで4年間、これは開局当時、ライブラリが少なかった「J-WAVE」にとっていいソースになったはずです。番組の最初と最後にだけ僕の名前が英語で紹介される、楽しい仕事でした。

20代の時に店を持つ夢を見て、10年後また決断の時期があって、物事はいっぺんに実現するものではなくて、段階的に現実になるものだと振り返って思います。若い人にもそういうことを伝えたい。
仕事はやはり周りの方との巡り合わせが良かったと感謝しています。仕事以外にも楽しみがあって、またそこからいろんな話が繋がっていくんですね。

―本日はありがとうございました。

PET SOUNDS RECORD
品川区小山3-27-3-1F TEL:03-3787-0818 FAX:03-3482-1691
http://www.petsounds.co.jp

79-2  トヨタ土地建物株式会社

街をクリエイトする神宮前の不動産

今回は、原宿で不動産業を営まれて 49年、まちづくりのキーマンとして活躍されてきた、トヨタ土地建物株式会社の豊田豊彦代表取締役に話を伺います。
辰ではご紹介により『神宮前 5179』(設計:桑原聡建築研究所、2003 年竣工)やいくつかの改修工事を施工させていただいています。
豊田さんは、3 年ほど前から「雑学教室」という月刊紙を発行され、不動産業の立場から、あるいは 1 人の「未来学者」として、日々の出来事に対するご自身の思いを毎月発信されています。「まちづくり」のあり方を、豊かな経験と知識、そして鋭い感性で伝えていらっしゃる姿勢に注目します。

 

― 3 大都市圏の基準地価が 16 年ぶりに上昇しているというニュースが流れましたが、ここ神宮前地区も上がりました。どのようにご覧になっていますか。

豊田:今は、適正価格だと思っていますよ。バブルの後、本来下げなくてもよかったはずの価格を、金融機関の資金回収で下げすぎた。それがバブル以前昭和 61 年くらいの水準に戻ってきている。妥当な線だと思っています。
―昔の水準といいますと、具体的にはどのくらいの金額になるのでしょう?
豊田:昭和 61 年頃、まだ建物の建方にゆとりがあった頃は坪 6000万くらいでしたね。3 年前に建ったルイヴィトンはお買い得で、坪3000 万くらいだと聞いています。表参道のどん底は平成 9,10 年。坪 1500 万くらいだった。もっと昔、昭和 50 年までは坪 800 万くらいでしたかね。昔は山手線の原宿駅なんて 10 人足らずの乗降客しかなかった。それが昭和 54 年に地下鉄が出来てからにぎやかになったな。ハナエ・モリビルが建ち、その頃の街並みには余裕が感じられたね。
「表参道のどこがいい」と聞かれると多くの人は「ケヤキ並木」をあげますが、でもそれだけではダメですね。今はどこの街も並木くらいはある。そのほかに何が必要か。それはバランスのとれた美しい建物、そしていいテナントと人の流れを作ること。建物の使いやすさ、街の歩きやすさが出てこないと人は入ってこないんだ。
―どんなところがいい建物といえるのですか。今でも残っている建物ではどんなものがありますか。
豊田:太田美術館、グリーンファンタジア、ピアザビル、コープオリンピアなどは古いが趣がありますね。こだわりとしては例えば、私が建てた神宮前 3 丁目の「BEAMS」が入っているビルは、外装を陶板タイルにしたのですが、いろいろとサンプルを作ってね、天気によって色が変わって見える。焼加減を滋賀の工場まで行って指示した、素材にこだわったものです。
―話はさかのぼりますが、いつ頃からこの地でご商売を始められたんですか。
豊田:もともと静岡の実家は機屋をやっていました。昭和 30 年頃、一家で上京しました。32 年には母が個人で賃貸アパートの斡旋などを始め、実は私自身は早稲田を卒業後、6 年間ほど調査会社、いわゆる興信所に勤めておりました。あるとき銀行から「上野で支店候補の店舗を探している。近所の不動産を調べてほしい」という依頼を請けました。銀行支店の決定に街の不動産屋も使うことを目のあたりにし、これは面白い商売になると直感しました。当時はまだ不動産業そのものが街のアパートの周旋をやる程度の時代。母の仕事を手伝うようになり、住宅並みの保証金と家賃で企業を引き寄せることが出来、自らもビルを建設して賃貸物件にするというビジネスを始めたのです。
昭和 42 年、「トヨタ土地建物株式会社」の称号で法人を設立。地元の信金から融資が可能になって、今の「キラー通り」(コシノジュンコが命名したのは有)の小さな三角形の土地に自社ビルを建てることになりました。6.5 坪、土地相場で 100 万は高いとは思いました。しかし通常坪 25 万くらいの建築費を、40 万をかけて 3 階建てのしゃれたビルを建てました。この街はファッションに敏感な街にしたいという思いがありましたからね。竣工後は注目され、VANジャケットの石津社長にもほめられたし、テナントにデザイナーの金子さんのブランド「ピンクハウス」が入居して、結構話題になりました。
その後、ファッションに理解があるというので、若いデザイナーやアパレル業者が集まるようになってきました。ニコル、バツ、ビギ、ファイブフォックス、アトリエサブ、パーソンズなどDCブランドを立ち上げた人たちだね。保証金を割り引いて入居させたり、出世払いにしてやって、家主だけれども事業の保証人になったりしました。
―その後、軽井沢にホテルを建てたり、順調にご商売を発展させた豊田さんでしたが、バブル崩壊後、ほとんどのビルを手放されることになります。さまざまなご経験をされて、土地についてどのような思いをお持ちですか。
豊田:やはり、土地は国からの預かり物だから、その土地で事業を起こすのであれば、地域に貢献するように、はっきりとした目的を持つべきだと思いますね。買う側に融資をする金融機関は、投機商品と間違えないでほしい。表参道にステータスを求めて採算を度外視する人も来ますが、それはそれでいいと思う。問題は右から左へ単に売り飛ばし利益を得るような扱い。金融機関の計画性のなさ、経営理念のなさがバブル崩壊を招いたのであり、取得の目的がはっきりしていれば価格設定の失敗はないと思います。
また土地規制にはもっと厳しい規制があっていい。「登記事項に使用目的を記載し、その変更を 2 年以内は認めない」など、まだまだできることはあると思っています。
今、私は明治通りの表参道交差点から宮下公園までの「プラタナス商店街」の会長の職にあるのですが、この地域では歩道を拡張する計画があります。公的機関の資金も受けず、ビルオーナー達が自主的にセットバックの建築を心がけ、良好な街並を作ろうとしています。オーナーとテナント双方の選択であり、努力の結果です。規制があろうがなかろうが、そういう感性を持った人が住み、また店を営んでいくということも、良い環境の街づくりになると自負しているんですよ。
―本日はどうもありがとうございました。

71-3 株式会社リブコム 加藤隆昌 専務取締役

不動産の付加価値の連鎖を創造する

 

建築施工を通し、辰が出会うさまざまなお客様。 なかには新しいムーブメントで、社会に貢献しようという企業も数多く いらっしゃいます。
そのような先進企業の新しい取り組みを折々にご紹介していくコー ナーが、この「Close up Company] です。
(不定期でお届けします。「建築家紹介」はお休みとなります。)
今回ご紹介するのは、港区・渋谷区・目黒区・世田谷区など城南 4 区 で不動産物件・オフィスビル・商業施設・マンションを提供している、 株式会社リブコムです。 このたび辰の施工で、「駒沢パークサイドテラス」がオープンの運びと なりました。加藤隆昌専務取締役にお話を伺いました。

 

―創業はいつごろですか。
加藤:平成3年です。もともと建売住宅を扱っていましたが、5年ほど前 から都心の高級住宅を手がける会社として実績を伸ばしてきました。富 裕層向けビジネスに絞り、高級戸建、宅地の分譲などを行い、うまく波 に乗れて都心のプライスリーダーとして認知されてきました。
しかし、最近では、土地の価格も上がりすぎたため、住宅用だけでな く、都心の商業系ビルも購入し始め、それがうまく寄与して、売上の7割 がいまや商業系となっています。ホームページや会社案内も、実情とリ ンクしなくなって、この2月から一新しました。
―土地は値上がりしているのですか。
加藤:この1年は異常な値上がりです。もはや土地だけで売る仕入れと しては買えません。従来のデベロッパーはとりあえずハコを作って売る だけでしたが、それではきついです。最後まで加工してきちんと付加価 値をつけて売ることまで全力を尽くさなくては。数年前から、そういう考 えは持っていたのですが、なかなか形にまでならなかった。デベロッパ ーだけでは無理ですからね。そこで我々は、あらゆるビジネスパートナ ーと組んで、様々な文化、付加価値を創造し、企業として「ビジネスプラ ットフォーム」を目指すことを明確にしてきました。「バリュークリエーショ ン事業部」を設け、飲食、ブライダル、アパレル、いろんな業界の才能 あるプロデューサーとのネットワークを駆使してプランニングを行ってい ます。今回ロゴも変えました。「アンド」という字を使い、いろんな人との つながりを強調する付加価値の連鎖をイメージしています。
―デベロッパーがただ安売り競争を行っていると、結局ヒューザーのよ うな話になってきますからね。
加藤:そうです。そして、この事業部に直結した試みが「東京サイトプロ ジェクト(TSP)」です。2週間ほど前、「東京ウォーカー」という雑誌に用 賀の物件が紹介されました。「東京新名所プロジェクト2006」という企画 ですが、表参道ヒルズや秋葉原UDX、渋谷Q-AXシネマなどの大きな プロジェクトと並んで、われわれの「TOKYO SITE PROJECT MB-1(マドビル)」が出ています。小さな物件ですが「その土地に必要な価 値が盛り込まれた開発でこの東京をよくしていこう」というコンセプトで 建築しているものです。
「不動産と建築、そこに文化を融合させよう」と いうことです。バブル当時は派手な建物がたくさんできたけど、そこに は文化が少なかった。結局、築年数が浅くても壊されたりしている。コ ンクリートの建物の寿命は100年、きちんとした耐震構造を持つことな んかは当たり前、いい形の建物ができれば皆さん注目してくれます。
さらにデザインだけではない。不動産が本来持っている潜在的な力を どこまで引き出せるかがポイントです。
本当にお金がある人は、もう資産を増やすことにはさほど意味を感じ ていません。「どこに意味があるか」を考えています。自分自身にリタ ーンすることではないんです。そういう人たちが「文化・芸術に使うこと がかっこいい。ここだったら使いたい」という不動産企画を提供してい きたいですね。100年存在する建物はエコに繋がるわけだし、それこ そが本当のデベロッパーだと思います。
日本は海外と比べると、まだ まだ考え方がせまく、恥ずかしいと思います。
―そうですね、まだ築年数だけで建物が考えられている。せっかく建 築家に設計を頼んで建てた家でも、単に坪数、築年数、駅からの距 離で計られています。
加藤:これからは変わると思います。それにデザイナーの建てた建築 だとしても、きちんと住宅として機能しているかが問題。新しく住む人 に良さが伝わらなくては意味がありません。将来的にデザイン変更に 応じられるか、など骨太の建物には、基本があります。

―ライブドア、東横インの問題が明らかになって、企業の社会的責 任がより厳しく求められています。
加藤:もちろん、企業として儲けることは大事です。でもそのために存 在しているなんて悲しい。存在意義のあるデベロッパーになりたいで すよ。「あそこのはいいよね」とお客さんに一目置かれたい。TSPによる 物件も、土地の仕入れから手がけたものが、この春から10棟くらい出 来上がってきて、現実に形になってきています。ぜひ見ていただきた いですね。