256-1 この地に住み続けること

写真は昨年3 月に竣工した、麻布十番商店街の一角の2 棟のテナント併用住宅です。親御様から相続された土地に新たなビルを2 家族で同時に建設されました。

建て主KH 様の家の家業は、もともとお祖母様の兄上が埼玉から引っ越してきた「炭屋」さんだったそうで、明治以降、芝の増上寺にも収めていたという古いお店でした。時代の変換期を迎えて、「燃料屋=灯油屋」となり、昭和40 年代になると、大きな家の冷暖房はセントラルヒーティングが全盛期。燃料屋も地下タンクを作って商売するようになってきましたが、高校生のKH 様は家業を継ぐ気はなく、母上が「燃料屋では都心では続かない。もう燃料タンクは作らない」と裏の土地にアパートを建ててしまったそうです。
「確かに地下タンクを作る人を見ていたらいかにも『商売繁盛』のような気がしましたが、でも忘れもしない昭和48 年のオイルショック。業界では救済措置を役所に陳情しましたが、『東京のインフラは整備されて電気・ガスに移行していくだろう。地方には配慮の余地があるが東京にはもはや不要』という回答で、実際に世の中はそうなりました」とKH様。その後、KH 様は家業を手伝いながら、額縁屋に見習い修行に行くこ
とにしました。
「麻布界隈にはほんとにいいお客さんが多く、明治の時代から商売をやっていた我々のようなものを大事にしてくれていたんです。私が絵が好きだったこともありますが、そういうお客さんがいる麻布であれば、『額縁屋』としても仕事になるかもと考えました」そこで当時日本一の洋画の額縁屋だった「八咫屋(やたや)古径」
(2018 年閉店)の門をたたいて修行し、のれん分けで「古径麻布Cadre」という店を出すことができたそうです。「Cadre(カドル)」はフランス語で「額縁」のこと。今でもビル名に使われています。その後20 数年「額縁屋」のお仕事を続けられました。

しかしバブル崩壊を迎えました。麻布の商店会でもご商売をうまくやっていても相続でもめてこの地を出て行かれる方が多かったそうです。KH様は「額縁屋」の店舗をビルに建て替えられることしましたが、平成23 年、東日本大震災が日本を襲います。
コンクリートの6 層の建物(Cadre Azabujuban)が建ちあがりましたが、震災の影響が大きく、KH 様は「もう『額縁屋』はやめよう」と決心され、すべての層をテナントに貸すことにしました。そしてコロナ禍前に新たなビルが建設されました。「土地を持っていることも、良いお客さんに恵まれたことも、好きな仕事をできたことも運がよかった。今、商店会でポスターを手掛けてもらっている宇野亜紀良さんも『灯油屋さんだったよね』という事から話が始まりました。そういう顔なじみの中に志村けんさんもいました。本当に残念でした」と振り返られていました。

255-1 ターニングポイント

写真は東麻布に昨年11 月に竣工したホテル 「2269 AZAVU」です。代々続く老舗と今どきのカフェなど新旧の店舗が入り交じる麻布。麻布十番から赤羽橋に向かって環状3号線を5 分ほど歩くと通りの内側は低層マンションの並ぶ落ち着いた雰囲気のエリア。そこに2019 年夏から、ホテルの施工を承ることになりました。

コンクリートの積み木を重ねたような打ち放しの外観が目を引きます。通りから見ると窓もなく、どんな建物なのか想像が膨らみます。「都会にいても、あえて窓をなくした閉鎖的外観にすることによってプライバシーを保ち、室内に入ると壁いっぱいの窓や吹き抜けで解放感のある安らげる場になっています。ソフト面では建物の中で味わう特別な時間、食事やサービスにこだわって運営しています。自分自身で勉強のために何度も宿泊していますが、夕方や朝など、光の入り具合が素晴らしいです。打ち放しのコンクリートも施工会社さんや設計によって雰囲気が変わるものですが、好きな風合いに仕上がりました。いい建物ができたなと思います」とオーナーの古木様。

古木様にとっては、これが初めてのホテル運営となります。経験もなく戸惑うことはありませんでしたかと伺うと、「実際は逆に何もわからない分、苦労していないんですよ。完成後、個人的にホテルの運営に参加していますが、コンセプトなどが自分の中にいろいろと出てきて、それらをどんどん成長させていっています。『ホテル運営』はホスピタリティや従業員のサービスがとても大事なので、いい人材いいチーム作りを重要視しています」

コロナ禍でオープン前の3 月4 月は本当に予約が入るのか心配だったそうですが、現在、稼働率も8 割強と順調です。きちんとサービスを提供してお客様に喜んでいただくことが大事だとお気付きになったそうです。「今回初めてプロジェクトマネージャーになり、ホテルの運営までをすることになりましたが、やってみたら思いのほか楽しい仕事でした」

結果的にこれがきっかけとなり、代表取締役をされている会社で、建設するだけの予定だった熱海のホテルも「自分たちで運営しよう」と経営チームを作り始めたそうです。「今、まさに着工を控えていますが、3 棟現場で数年かけて建てるプロジェクトです。元々時間があれば海外でもどこへでも泊まりに行くのが好きで、旅館やホテルの経営に興味はあったのです。それでも、自分のやってきたことは不動産とIT なので、リアルサービスを提供することに自信がなかったのですが、東麻布のこのホテルがターニングポイントになりました」ゆくゆくは、日光や湯布院、沖縄の瀬底島などにも進出したいと思っているそうです。

254-1 光を当てる

「Zet JINGUMAE」 撮影:アック東京

写真は昨年末竣工した「Zet JINGUMAE」です。地上2階、地下1階のテナントビルで原宿キャットストリートの終わる、住宅街と隣接した「際」にあります。

このビルの建て主の加和太建設㈱は静岡県三島市に本社を構える建設会社です。75年前の1946年に近畿土建株式会社として明石市に創業され、1962年に現在の三島に本社を移され、社名を加和太建設株式会社とされました。お名前の河田(かわだ)様の字母で当時台風の際にお寺さんに付けていただいた名前には「基本を大事にしつつ、皆で力を合わせていこう」という意味が込められています。

現社長の河田亮一様は四代目でいらっしゃいます。近年三島をはじめとして静岡県内で地域活性化のためにさまざまな活動や施設の運営をされています。
「まちなかオフィスプロジェクト」は、市内の中心市街地にある空き店舗や2階以上が空室となっている物件を中心に空室部分を建物所有者から借り受け、スモールオフィスへとリノベーションして本社機能を分散し事業部や課ごとにそのオフィスを利用する仕組みです。社員をまちに送り込むと同時に、コロナ禍で少人数に分散化することは一石二鳥の大変面白い取り組みです。

また三島市内を中心とし、あちこちに設置された黄色い自転車が目印のシェアリング自転車「ハレノヒサイクル」。自転車で移動するのにちょうどいい大きさの街を観光客や住人の方々にゆっくりと周囲を見て感じてほしいという想いで運営されています。
現在のように地域のために活動されるきっかけは少し意外なところにありました。「高校を海外に行かせてもらった親孝行のために、数年会社を手伝うよと戻ってきたんです。あらためて建設業の魅力に触れて、父に建設業をやらせてくださいと頼みました」と河田社長。
そうはいっても、当時はまだ地元の活性化を仕事にしようとは考えたこともなかったそうです。ところが自社の、とある土木現場監督に出会い、いろんな苦労をして道や橋を作っていることを知り、「その彼らの想いは果たしてどの位の人に伝わっているんだろう。地域のために作っているのに」と彼らの想いや物語を多くの人に届けたいと思ったそうです。「それにはまず建設業のあり方から変えないとダメだ」と考えました。

「彼らが街を作っているんだというメッセージを発信し、彼らも街の人に感謝されたら、自分の仕事に誇りをもって臨んでくれる。現場で働いている彼らにもっと光を当てたい」という想いから、現在の街との関わりがスタートしたのだそうです。今では、行政からお声がかかるほど静岡県の地域活性化のため精力的に活動されています。

253-1 引き継ぐこと

写真は、目黒区東山の小高い住宅街に完成した共同住宅です。
オーナーのN様ご一家は、5年前、大きな庭のある木造住宅に1人住まいとなられたお父上の今後を見据えて、お父上とともにご実家を賃貸併用の共同住宅として建替えられることにしました。

N様はいくつかのハウスメーカーのモデルハウスを見学しました。しかし、収益性から敷地ギリギリの計画が示されたため、ご自分の感覚と少し合わないと感じ、建築士の友人に相談されました。「まずRC造を考えているのなら、施工会社から選ぶのがいい」とRC造の施工実績の多い弊社での施工を勧められました。
「表参道周辺の辰の施工物件を見学して、やはり入居者に長く暮してもらうのなら、コンクリート打ち放しがいいと思いました。賃貸部分は1DK、夫婦+子供1人くらいのプランで、ペットも可能にしました。実は妹が猫を飼いたかったという希望があったんです。今は完成した賃貸住戸に一緒に住んでいます」とN様。

一方、設計者を決めかねていたN様に、弊社営業部長からコンペの提案が出されました。30代から40代くらいの若手の建築家3名に設計をお願いし、お庭をなるべく維持してほしいというお父上の希望条件を満たして、既存の住宅の配置も活かした麻生征太郎氏の案にご家族の意見はまとまりました。

東棟1階にオーナーであるお父上の住戸、2、3階のメゾネットにN様ご一家の住戸、西棟に6戸の賃貸住戸が入りました。
小学生と幼稚園のお子様2人の育児で忙しい奥様のご希望は、キッチンを大きくとった、家族皆が何をしているか一目で見えるようなオープンな部屋。
「2階の玄関を入っていきなりキッチンなのですが、友人が集まる機会も多いので業務用の強力なコンロも設置しています。
昨年、コロナ禍で子どもが学校に行けなかったときにも庭で遊ばせることができ、子どもに料理を教える機会も作れました。3階の子供部屋は小さいうちは分けないで、ホールのような使い方をしています。思春期になったら仕切る予定です」と奥様。

「STAY HOMEの期間も好きなゲームを家族皆でやったりして、リビングにいる時間がほんと長いですね」とN様。
「両親が守ってくれたこの土地を、自分も次の世代につなぎたいと考えています。独立して初めての新築ということで力を入れてくださった麻生さんは、ほんとに建築が好きなんだと感じました。これからもずっと相談にのっていただける若い方をご紹介くださって本当に感謝しています」とのことでした。