247-3「建築の向こう側」竹内巌/ハル・アーキテクツ一級建築士事務所 代表

2020年10月10日 at 7:37 AM

今月は、『COCOSPACE恵比寿南』の設計者、竹内巌氏にご登壇いただきます。

—リチャード・ロジャースの事務所にいらっしゃったんですね。
竹内:ちょうど時代はバブルの頃で、海外の建築家が日本に多数やってきた黎明期の頃でしたね。新宿でビルを手掛けることになって、ローカルアーキテクトが必要になり「アーキテクト・ファイブ」が参加したのです。リチャード・ロジャースを出た後、私は「アーキテクト・ファイブ」に入り、10年勤めて独立しました。

ーここは、その「アーキテクト・ファイブ」も含めて4つの事務所でシェアされているのですね。
竹内:ええ。2000年に独立したわけですが、90年代に携わった建築とランドスケープや家具デザインの仕事、そしてパートナーシップという共同創作のスタイルや印象的な旅行から、以下の6つのエレメントを「ハル・アーキテクツ」の土台、建築の軸としました。

1.物事を合理的に考える
2.事象の本質を表層に惑わされず見極める
3.建築を取り巻く自然や文化、環境との一体化を図る
4.思考・アクションは多様な人の集積で、未知のエネルギーを
生む
5.大切なものは何かを想像し続ける
6.変化し続ける事が新しさの根源

合理的に考えることは、無駄や装飾を抑制して建物の美しさを際立たせると同時に、プランニングにおいても時短、最短で与条件を満たします。「Less+」や「エストラルゴ目黒」では全体像やエントランスでその思考が発揮されています。
「鳥取県立フラワーパーク」では、ランドスケープを通して自然環境の素晴らしさ、その環境と建築は一体化できることを示すことができました。また最小限の構造はさらに、「花鳥風月+水の家」や「加賀の家」などの住宅やいくつかの別荘で発展的に昇華されて、優しさや癒しといった心的な様相と融合しています。

一方でこの間、時代はバブル崩壊、阪神淡路大震災、NYのテロ、東日本大震災など多くの深い悲しみを経験してきました。が、そこには必ず再生があり、新しい文化の萌芽も芽生えました。
そのような転換期は、苦しみの一方で新しいチャレンジを生み、今まで許容されづらかった空間を構築しました。その一例が、「エストラルゴ目黒」や「ジョイス大森」でトライしたシースルー・スペースと、大きく確保した収納という新しくも異質な面積バランスに現れています。

そしてこれらをクリエイトする私達は、関わる方たちといつも協力関係、相互補完関係にあって互いに影響し合い、新しい価値観を生み出してきました。それこそがコラボレーションであり、真のパートナーシップだと思います。予測不能なアイディアのぶつかり合いは、最近、組織事務所と一緒に共同参画したマニラやソウルの高層ホテル計画でも生かされていると思います。

建築は様々な要素のエッセンスによって形作られていますので、私達は、建築をモノ・カタチとしてだけ捉えるのではなく、むしろココチを大切にしています。
建築の本質は、そのプロセスと目に見えない時空間にこそあると感じています。空間を造ると同時に価値観を作り、いつも誰かを刺激し続け、問いかけていきたいと思います。

今回の「COCO SPACE 恵比寿南」では、そうした多様なエッセンスがうまく街に溶け込む作品に仕上がりました。
それが、「ハル・アーキテクツ」が創造しようとしている「建築の向こう側」という言葉の意味なのです。

―本日はありがとうございました。

 

竹内 巌(たけうち いわお)

1960年 東京都生まれ
1983年 法政大学工学部建築学科 卒業
1987年 都市建築設計事務所
1989年 リチャード・ロジャース・パートナーシップ・ジャパン
1990年 アーキテクト・ファイブ
1999年 城戸崎博孝建築研究所
2000年 建築設計事務所「アトリエ空」設立 代表建築家就任
2001年 現「ハル・アーキテクツ一級建築士事務所」に変更
2020年 東京地方裁判所 鑑定委員(有識者)
現在に至る(創立21期目)