178-3  安倍修二 吉野屋ホールディングス会長

2015年1月14日 at 3:50 PM

未来の信頼

今年最初のフロントラインは、「ミスター牛丼」として22年間、牛丼チェーン「吉野家」の経営を指揮され、昨年8月退かれた、吉野家ホールディングスの安部修仁会長にご登場いただきます。年末、基本メニュー「牛丼並盛」が380円に値上げされたというニュースが流れましたが、外食産業の行く末を占う「吉野家」の動向は常に注目されています。
安部会長は高校卒業後、リズムアンドブルースに魅了され、プロミュージシャンを目指して福岡より上京。その後アルバイト先だった吉野家に正式入社。それが経営者への道のスタートでした。入社後は2度に亘る困難を経験されましたが、現在は、国内1000店突破、「はなまる」「京樽」「どん」を子会社化するなどM&Aにより業務の多角化を進め、「海外吉野家」も600店舗を超えて新たなステージに立っています。

―吉野家に最初に惹かれたのは、どういう点だったのですか。
安部:親父こと、創業者の松田瑞穂の魅力と、牛丼の魅力。そして活動が先進的な事業体だったという点ですね。フランチャイズ化が進んで、国内、アメリカとも非常に成長率が高かった。親父には22歳で店長に抜擢され、28歳では地区本部長になるなど育ててもらいました。しかし、急激な規模拡大が長期化して、人・金・物、すべてにダメージを与えることになっていった。30歳の時に、会社更生法の適用を申請、受理され、事実上倒産となりました。それまでの急成長期から急ブレーキの更生再建期間を体験したのです。いろいろありましたが、病理的な症状でいうと、循環器系の突然死ですね。栄養失調ではなく、知力・筋力は残したまま。財務上の悪化原因が明解だったから、吉野家の本来のあるべき形に戻して再生できると信じていました。このビジネス自体は高いオリジナリティーがあるという自負がありましたので、むしろ証明したいという思いで地道に活動して、みるみるうちに持ち直していきました。

―その後2003年、今度はBSE【牛海綿状脳症】による米国産牛肉の輸入禁止という事件がありました。米国産牛肉だけを使う吉野家さんが牛丼販売停止となり、その後再開するまで3年近くかかりました。
安部:振り返ると、大変なアクシデントでした。アメリカの安全基準は高く、安全性のみで行政措置されればすぐに解決できたのに、情緒的な「安心感」という問題にすり替えられ、なかなか解決しなかったですね。
国産やオーストラリア産牛肉を使わなかった理由は大きく2つです。1つ目は、ヘビーユーザーの味の期待に応えられないということ。2つ目は、牛丼バリューづくりで培ったコンテンツを活用して、他の新しいメニューで外食のアベレージなみの利益は作れる自信があったのです。
吉野家には70万人のユーザーがいて、初めて店を訪れる人は1%未満。今日の吉野家にいつもの吉野家を期待して、選んでくださっている方たちが最優先です。いつも通りの味であれば美味しい、そうでなければまずいということですね。また、肉の味の話をしますと、アメリカと日本は穀物の飼料、オーストラリアは牧草地で牛を育てており、それで肉の味が決まってくる。結局、たれの構成を変えなくてはならない。いずれ輸入再開が決まっているのなら、変更しないでいた方がいいという判断でした。
社長になったときに感じたのは、吉野家にとっての「牛丼」、その特別なポジションを未来につなげなくてはならないということです。他と同じことをしてもしょうがない。松田瑞穂が作った価値を未来に健全につなげていくことが継承者の役割なのです。方法論はその時々にいろいろ使っていけばいい。その味を伝えていくために、やらなければならないことを健全な形で行う。ブランドとは、未来の信頼を得るためのものでなくてはならないのです。

―昨年、経営の一線を退かれ、若い社長にお譲りになりました。
安部:今回はスキップジェネレーションです。これまで一緒に危機を経験してきた幹部は皆、55歳過ぎています。現在、日本全体が常に有事みたいな状況だから、次の時代を担うには若い世代がいい。もちろんいきなりは無理ですから、経験は、小さい会社や事業体のGMとして、既に積ませています。3年前にHDを継承させたときから、その体制で行こうと意識していました。
社長を引き受ける覚悟は使命感。使命感というのは、ほんとに自分の感情とは別のものです。創業者は自己実現の発揮ですが、僕らは使命感でやっている。自己実現より使命感の方がステージは高いと思います。今だけでなく、ずっと先の未来のためにあっちもこっちもやらなきゃならない、というときがしんどい。お客様、取引先、株主がいる。自らの保身で考えてはだめです。逡巡するときは、自分の中に決定のメカニズムを作っておかなくてはならない。どういう立場でもそれは同じですね。そこをピュアにやっていると、周りは協力してくれるようになります。

―本日は、ありがとうございました。

 

安部修仁

 

1949年 福岡県に生まれる
1972年 アルバイトとして吉野家に入社
1977年 九州地区本部長。アメリカへ語学留学
1980年 吉野家が会社更生法適用申請。アメリカより帰国、再建事業に参加
1983年 取締役本部長就任
1992年 42歳で吉野家代表取締役社長に就任
2003年 アメリカのBSE問題で米国産牛肉が輸入禁止
2004年 牛丼の発売を停止
2006年 牛丼発売再開
2007年 吉野家HD代表取締役社長就任。「吉野家」代表取締役社長を退く
2009年  価格競争激化
2010年  事業会社「吉野家」代表取締役社長に再び就任
2012年  吉野家HD会長に就任
2014年 5月 吉野家HD代表権返上
8月 事業会社「吉野家」社長退任