188-3 関本竜太/リオタデザイン 

2015年11月9日 at 2:18 PM

必要なのは大海原に漕ぎ出す覚悟

今月は、「A-FLAT」の設計者、リオタデザインの関本竜太氏にお話を伺います。フィンランドでの濃密な時間が、人生の大きな転機となったそうです。

―関本さんのフィンランドとの出会いはどんなことだったのでしょうか?

関本:大学を卒業して最初は棚橋廣夫先生の設計事務所に入りました。5年半ほど在籍し、集合住宅や整形外科、幼稚園などを担当しました。
転機となったのは1999年に新婚旅行として行った北欧旅行です。デンマークやスウェーデンを巡り、フィンランドではアールトの建築を主に見て歩きましたが、結果的に私にとって運命の出会いとなったのは、アールトではなくユハ・レイヴィスカ設計による「ミュールマキ教会」でした。外観は素朴なのですが、内部空間が大変豊かで、光に包みこまれるような、これまで体験したことのない空間でした。それまでも世界中で様々な建築を見てきましたが、「自分が作りたい建築はこういうものだ」と思えたのは初めてのことでした。

その後帰国した私は、事務所を辞めてフィンランドに渡る決心をしました。そこからの私は、運命の渦に巻きこまれるようにいろんな人に出会ってゆくことになります。人はひとたび腹を括って前に進み始めると、行く先々で色んな人が手をさしのべてくれるものなのですね。
例えば知人に相談すると、彼の友人が近々ユハ・レイヴィスカ事務所から帰国するらしいという事実が発覚してその友人を紹介してもらって話を聞いたり、またその友人から別のフィンランド関係者を紹介してもらったりして、関係は繋がってゆきました。
そんな中ある建築家から頂いた「日本でいくら策を巡らしていてもだめ。行きたいのなら、行かなくては始まらない」というシンプルな助言が心に響き、一路フィンランドに渡って単身現地での就活をはじめることにしました。

フィンランドでは様々な設計事務所の門を叩きました。ホテルの部屋から電話帳を頼りに、片っ端から設計事務所に電話してゆくのです。もちろん全く相手にされませんでしたが、世界的建築家でもあるミッコ・ヘイッキネン氏(ヘイッキネン&コモネン)が会ってくれることになり、事務所に押しかけたこともありました。
当時のフィンランド建築界は慢性的な不景気で、どこも外国人を雇う余裕などありません。ミッコの事務所も例外ではなく、結局雇ってもらうことはできませんでしたが、別の事務所を紹介してくれたり、日本に行った思い出などを話してくれたり、とても温かな対応をしてくれました。

最後にはユハ・レイヴィスカの事務所にも行きました。ユハの事務所はもっと敷居が高くて、スタッフがなかなか電話を取り次いでくれないのです。でも何度も電話をして時間を作ってもらいました。結果から言うと、事情は同じで雇ってもらうことはできなかったのですが、ここでもまたユハの人情味溢れる対応に触れることができ、幸福で得がたい経験ができました。

―そこから、どうして留学するということになったのでしょうか?

関本:はい。その就活の旅で、最後に訪れたのが、アールトがキャンパスの設計をしたヘルシンキ工科大学(現アールト大学)でした。そこで日本からの留学生と出会い、キャンパスを案内してもらうことができました。憧れの建築学科棟では留学担当の秘書にも紹介してもらったのですが、軽い挨拶のつもりが、先方は私が留学希望者だと思ったらしく、そこでいろいろと留学の説明をしてくれました。
結婚もしていましたし、今さら留学など全く考えていなかったのですが、話を聞いているうちに、留学という選択肢がとても現実的なもののように思えてきました。何より留学をすれば、学生ビザがもらえてフィンランドに長期滞在することができるのです。こちらでの就活にもきっとチャンスが出てくるだろうと考えました。今にして思えば邪な考えですが、当時の私は必死でした。
無事留学を果たし、現地での生活が始まりました。フィンランドでの生活を通して学んだことや、受けた刺激は計り知れません。体に染みこんだ現地の空気感や北欧の人達の建築やデザインに対する考え方は、しっかりと自らの感覚として身についたように思っています。

―そして帰国し、独立されたのですね。

関本:はい。ただ、そう一筋縄には行きませんでした。いつか独立したいとは思っていましたが、当時の私はフィンランドでの生活が充実していたので、このままフィンランドに残っても良いとも思っていました。ところが、留学して次第に気づかされたのは、奇しくも遠く離れた日本という国の素晴らしさでした。

向こうの建築家や学生達は、私が日本から来たというと目を輝かせていろんな質問をぶつけてきます。向こうでも日本の建築家は大変人気があり、それに加えて日本文化に対する興味もまたびっくりするくらいあるんです。
我々は島国で、どちらかというと欧米に対して引け目を感じることが多い。しかし、特にヨーロッパの人達にとって日本という国はとても特別で尊敬に値する国なのだということに気づかされました。
そして建築実務のレベルに関しても、所員時代は決して胸を張れるようなスキルは自分にはないと思っていましたが、日本のアトリエで鍛えられた図面能力は思っていた以上に、どこに行っても通用するレベルなのだということにも気づかされました。模型に至っては、日本では若いスタッフが涼しい顔でスタディ模型を作りますが、あのような精度やスピード、細やかさで模型を作れる国などどこにもありません。現地では私が模型を作っていると黒山の人だかりができるほどでした。

私はフィンランドに骨を埋めるよりも、日本の厳しい競争社会の中に再び身を置いてみたくなりました。自信が付いたのだと思います。それはフィンランドで得たものというよりは、もともと自分が持っていたものに改めて気づかされたという方が近いかもしれませんね。
「行きたいのなら行けばいい」、そう助言を下さった方に感謝しています。何事も、自分が信じた道を進むことが大切です。自分が覚悟を決めれば、周りが変わってゆく。そういうことを、私はフィンランドから学んだような気がします。
―本日は、どうもありがとうございました。

 

関本竜太氏

1971 年 埼玉県生まれ
1994年 日本大学理工学部建築学科 卒業
1994年~99年 エーディーネットワーク建築研究所
2000年~01 年 フィンランド アールト大学留学
2001年 現地の設計事務所でプロジェクトに関わる
2001年12月 日本帰国
2002年2月  一級建築士事務所リオタデザイン 設立
2007年1 月  株式会社リオタデザイン 代表取締役
2008~14年  日本大学理工学部非常勤講師