206-3 児玉卓士/アーキベルク一級建築士事務所
建築と人間性
今月は、「大門KUROGIビル」の設計を担当された、アーキベルクの児玉卓士氏にお話を伺います。
児玉:店舗などの和空間のデザインで多くの実績のある、京都の杉原デザイン事務所からのお誘いですね。これまでも、私が入れ物の建築をつくり、杉原さんが内部のデザインを担当するという仕事をいくつか手掛けています。
児玉:もともと広島出身で、芝浦工大に入り、大学院まで相田武文先生にお世話になり、4,5年ゆっくりしていたわけですが(笑)、ちょうど卒業時にオイルショックがありまして、就職なんか考えられない状況でした。留学も流行っていまして、僕はポストモダンに移る時期でもあったし、「シュペーアも面白いぞ」とドイツを選びました。
また戦後閉じていた古文書館がオープンとなり、建築資料も初めて出てきた時期だったので、ベルリン工科大学に行くことにしました。当時はまだベルリンの壁があり、西ベルリンにはいくつも大学があったのですが、都心のベルリン工科大学に入学すると兵役、社会労働が免除になるというので、西ドイツから若い人が集まってきていて活気がありました。
設計は、施設関連が多いですね。個人の住宅はそれほど多くありません。大学での研究では、「せっかくドイツまで行ったのだから」と博士コースができた時に、相田先生に勧められて「ドイツ近代建築史」の位置付けで、ナチス期の収容所の研究をまとめました。各収容所は個々に研究も進み、記念施設になっているところもありますが、俯瞰して全体像を眺めることをドイツ人自身はやはりやりたがらないんです。そこで外国人の私がやる意味もあるかと思いました。
児玉:そうですね。収容所のプランニングをやったのもユダヤ人、末端で管理者として働かされたのもユダヤ人、ということがわかっています。組織管理は集団行動の合理化であり、最終的に人間性を保てるかどうか、それが問題ですね。今、介護の現場では、終の棲家ということが問題になっています。実際には社会に戻れないまま、高齢化が進むと「最期まで集団の中でケアを受けるのではあまりに寂しい」と個室化が進んでいます。
一方で「山ゆり」みたいな事件があると、地域に開いた授産施設、福祉施設であっても、セキュリティが大事ということで、運営する側も方向性を変更せざるを得なくる。災害が起こったときにも、一般集団から隔離せざるを得ない現況がある。
―本日はどうもありがとうございました。
1953年 広島県生まれ
1976年 芝浦工業大学建築工学科卒業
1980年 芝浦工業大学大学院修士課程修了
1981-83年 ベルリン工科大学留学
1983-87年 相田武文設計研究所
1987年 アーキベルクを広島に開設
1990年~ 事務所を東京に移転、現在に至る
1993-2000年 芝浦工業大学非常勤講師
2000年 博士”学術”学位取得
2000-2003年 芝浦工業大学特任助教授
2004年~ 東京農業大学非常勤講師
2006年~ 芝浦工業大学非常勤講師
2007年 芝浦工業大学相田武文賞受賞