188-4 「社内講演会『都市のエージェントはだれなのか』~北山恒氏をお迎えして」 

2015年11月9日 at 2:18 PM

10月の社内全体勉強会は、横浜国立大学大学院 Y-GSA (Yokohama Graduate School of Architecture)教授、北山恒先生をお迎えしました。
2010年に、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展「トウキョウ・メタボライジング」のコミッショナーとして展示を担当された北山先生。その時の考察を下に、パリ、ニューヨークなど世界の都市の成り立ちを比較し、東京オリンピックを前に建設ブームとなっている今、東京に求められているのはどんな建物なのかを語られました。2時間という短い時間ではありましたが、都心で中・小規模建築の施工を手がける施工会社として、大きなうねりの中で自分たちの仕事の意味を改めて考えさせていただく機会となりました。

 

<パリとニューヨーク>
パリは、1853年から70年までのたかだか17年間で一気に作られたことはあまり知られていません。大通りと広場の「スタープラン」は、当時王政に反対する市民の暴動が多く、見通しをきかせるために、行政官オースマンが考えたものでした。通りに対して連続した建物の壁は、その外側をパブリック、内側をプライベートとする概念を生み出しました。
そして、ニューヨーク。こちらも1900年からわずか30年程でたくさんのビルが作られました。1871年のシカゴ大火から始まった「現代都市」は、それまで都心を作っていた広場や教会や行政機関の代わりに、オフィスビルという新しい建築物を中心としており、ニューヨークでさらにマンハッタン・グリッドという経済資本的なゾーニング法で資本家がビルを建てやすいシステムを生み出しました。その後、世界の主流となるモダニズム建築、グローバリズムに繋がる動きです。

 

<東京の近代化>
江戸時代すでに大都市だった東京。関東大震災の前年に撮られた江戸の街並みの写真を見ると、低い瓦屋根の家が続き、豊かな庭木が間を埋める庭園都市の様相を呈しています。武家屋敷はだいたい100坪が基本で、町人は街路に面した店構えを立派なものにしたと言われています。

しかし、1923年の関東大震災で過半が消失。再生しますが、1945年第二次世界大戦の東京大空襲で再び壊滅的な被害を受けます。そして1950年代からの高度経済成長期でスクラップアンドビルドにより、面白いように建物が作られ始めました。都心にはアメリカ同様、オフィスビルが建ち並ぶようになります。

その折、戦前「東京緑地計画」として制定され、戦時中防空空地として指定された「環状緑地帯」にインフラ整備がされないまま、仮設的に多くの住宅が建設され、また山の手地区にも不良住宅が建てられました。それらが、現在の木造密集市街地となっています。政府は幹線道路や学校、公園などを整備したほかは、住宅は自力の再生に任せていたために、それらは全て合わせると7000ha以上にもなってしまい、建替えもままならなず、予想される地震などの災害、それに続く火災の発生が問題になっています。
そこでY-SGAでは「1番密集しているところを不燃化すると町全体が不燃化する」という実験に取り組んでいます。上手に工事すると4階建くらいが建てられるので、小規模集合住宅に建替えやすいように法整備を整えてほしいという働きかけを行っています。建物も、お互いが見えるような、人と人のつながりを新たに生むようなコンセプトでプランをつくります。

以前、辰の施工で、廊下部分を透明なガラスにして、互いの顔が見えるという複合ビルを三宿に作りました。洗足でつくった集合住宅(他社施工)では、居住者の視線を検討しながら、建具を障子のように移動させる仕掛けを作り、建築学会賞をいただきました。

大規模再開発でなく、中・小規模で建物を作っていく技術の習得が今後の建設業界には必要です。小さな敷地で設計も様々ですが、このようなマーケットは急激に進む可能性があります。空き家になり、その不動産を相続した人も扱い方がわからない。そんなときにこういう解答がある、と示す仕事―これをどうこなしていくかが、2020年以後の本当の街づくりの戦略となることでしょう。 (以後、省略させていただきました)