54-3 建築家紹介05 佐藤尚巳/佐藤尚巳建築設計事務所

2004年9月4日 at 12:51 PM

「景観を考えた建築」

今月は、中野の集合住宅(Estudio)の設計者、佐藤尚巳さんです。
―いつ頃から建築家になろうと思っていましたか?
佐藤:昔からプラモデルとか工作とか、ものを作るのが好きでした。何か ものつくりに関わっていたいと思っていたことと、クラシックが好きでした ので、自分の手でコンサートホールを作りたいという気持ちから建築学 科を目指しました。
いざ建築を勉強し始めると様々な面が見えてきて奥深い領域であるこ とも理解できましたが、やはり「作りたい」気持ちが強く、入所後すぐ現場 に出させてもらえると先輩から聞いていた菊竹事務所に入れて頂きまし た。菊竹事務所で多くの得がたい経験をさせて頂きました。7年勤めて 辞め、ハーバードの大学院に留学しました。もちろん建築も勉強しました が、アメリカという多民族国家の中で生活することで、言語、文化、宗教、 生活習慣など異なる価値観が存在し、どれも同等に正当性を持ってい ることを学んだことは大きかったですね。「日本が一番!」なんて思って いても、世界から見れば結構変な国なのですよ。公共という意識、街並 みや公共空間を大切にする文化もそこにいなきゃわからなかったと思い ますね。また「歴史というものがいかに大切なものか」も痛感しました。良 いものを継承してゆくことが文化だと思うのですが、日本は歴史の古い 国でありながら、古いものをどんどん壊していきますね。今の日本の建築 教育は、コンセプト至上主義で、新しい提案、奇妙な発想ほど大切にす るようなところがあります。これは建築家のエゴにもつながり、都市はエゴ の産物であふれかえることになります。

―アメリカじゃその辺はどうなんですか。
佐藤:コンセプショナルなことも教えますが、歴史教育や都市デザイン、 ランドスケープについても同等に扱っています。現実に社会に入って仕 事をするとわかりますが、変なことするとすぐ訴えられますからね。かっこ いいものを作っても使えないものを作っちゃうとすぐに訴訟。設計者も現 実の都市に対しては理性的に取り組んでいます。
もう一点、アメリカはヨーロッパ文化に対して劣等感がありますから、常 そちらを向いていて、ヨーロッパの文化や歴史をコピーする意識が非常 に強いといえます。メディアもそういうものを賞賛する傾向があって、建築 は文化欄で頻繁に扱われています。一般市民の建築に対する理解度 が良い意味で(大衆的ですが)、高いレベルを持っている。日本では、 漏水とか事故で記事になるくらい。せいぜい社会欄でしょう。最近は朝 日新聞の文化欄で少しは書いてくれるようだけど、それにしても全体から みれば、一般市民の文化や歴史的観点からの建築に対する理解度は 低いですね。
―建築が難しいので、評価をできる人が少ないのではないでしょうか。
佐藤:評価と言うより、まず一般市民の理解だと思いますね。最近「景 観」という話が出てきて多少そういうものが意識に上ってきた、とは思いま すが・・・。

―建築家側にも努力することがありませんか。
佐藤:一般的に、建築家は与えられた敷地の中でしか仕事をしていませ ん。「街の中でこの建物がどう見えるか、隣の建物とどう関わるのか」とい うことを考えない設計者は多いと思います。隣が将来どうなるかわからないのに配慮しようがない、という意見もあるでしょうが、個人の資産が社会 資産に比べるとはるかに大事にされていると感じますね。ヨーロッパでは 景観に対する市民意識は非常に高く、街中で建物を新築する場合、「い や、そんな高いものを建ててはダメ。壁面がどうの、色がどうの」とすぐに 厳しい意見が出てきます。京都のように歴史的な街並みや建物を保護す る条例はありますが、一般的な都市では景観を大切にしようなんて状況 ではない。東京もこれだけ外国人が来ているのに、観光資源として都市 景観を積極的に創ろうとする気運がない。行政が勇気をもって指導力を 発揮すれば、街はもっと魅力的になるはずなのに、と思います。

―ヨーロッパでは建築家が市長になるケースもよく見られますが、日本の 建築家ももっと政治に踏み込む必要がありませんか。
佐藤:前港区長の原田敬美さんは、菊竹事務所の先輩で一級建築士で す。いろいろ話を聞いていますが、政治的活動もなかなか難しいようです よ。簡単にはいかないようですね。

<佐藤さんは、現在吉祥寺で市政センター跡地に建設中の、「武蔵野市 吉祥寺シアター」の設計を担当されています。市が指名した6人の設計者 の選考会は一般公開され、佐藤さんに決定しました。外観は建物の高さ をおさえ、テラス状の都市回廊や高木並木を設けるなど街並みと都市景 観に配慮したデザインとなっています。>

佐藤:ハーバードを出て、いくつか設計事務所に勤務し、帰国を考えてい た時ちょうどヴィニオリが『東京国際フォーラム』のコンペを取りました。す ぐに彼の事務所に入り、日本事務所代表として6年半やりましたが、人生 の一番いいときを捧げた感じですね。あれだけお金使って、完成度の高 いものを作る仕事をしてしまうと、達成感というか、しばらく人生観が変わ ったようなところがあって不思議な感じでした。今は建築の流れが変わり つつあるような気がしますが、今後も「街並み」をよくしていくために地道 にやっていきたいと考えています。

―どうもありがとうございました。

 

1955年       東京都生まれ
1979年       東京大学工学部建築学科卒業
1988年       ハーバード大学デザイン学部大学院修了
1979~1986年 菊竹清訓建築設計事務所
1987~1987年 Cambridge 7 Associates (Canbridge,MA)

1988~1990年 I.M.Pei and Partners (New York)
1990~1990年 Rafael Vinoly Architects PC (New York)
1990~1996年 ラファエルヴィニオリ建築士事務所、日本事務所、所長
1996年     株式会社佐藤尚巳建築研究所
主要な作品 目白の家増築(1997) 南通英青服装有限公司工場(1997)
日本外国特派員協会改装計画1期、2期(1998、2000) 南通英瑞会館(2000)
神保町一丁目南部地区第一種市街地開発事業(デザイン協力)(2003)