256-1 この地に住み続けること

2021年7月12日 at 1:57 PM

写真は昨年3 月に竣工した、麻布十番商店街の一角の2 棟のテナント併用住宅です。親御様から相続された土地に新たなビルを2 家族で同時に建設されました。

建て主KH 様の家の家業は、もともとお祖母様の兄上が埼玉から引っ越してきた「炭屋」さんだったそうで、明治以降、芝の増上寺にも収めていたという古いお店でした。時代の変換期を迎えて、「燃料屋=灯油屋」となり、昭和40 年代になると、大きな家の冷暖房はセントラルヒーティングが全盛期。燃料屋も地下タンクを作って商売するようになってきましたが、高校生のKH 様は家業を継ぐ気はなく、母上が「燃料屋では都心では続かない。もう燃料タンクは作らない」と裏の土地にアパートを建ててしまったそうです。
「確かに地下タンクを作る人を見ていたらいかにも『商売繁盛』のような気がしましたが、でも忘れもしない昭和48 年のオイルショック。業界では救済措置を役所に陳情しましたが、『東京のインフラは整備されて電気・ガスに移行していくだろう。地方には配慮の余地があるが東京にはもはや不要』という回答で、実際に世の中はそうなりました」とKH様。その後、KH 様は家業を手伝いながら、額縁屋に見習い修行に行くこ
とにしました。
「麻布界隈にはほんとにいいお客さんが多く、明治の時代から商売をやっていた我々のようなものを大事にしてくれていたんです。私が絵が好きだったこともありますが、そういうお客さんがいる麻布であれば、『額縁屋』としても仕事になるかもと考えました」そこで当時日本一の洋画の額縁屋だった「八咫屋(やたや)古径」
(2018 年閉店)の門をたたいて修行し、のれん分けで「古径麻布Cadre」という店を出すことができたそうです。「Cadre(カドル)」はフランス語で「額縁」のこと。今でもビル名に使われています。その後20 数年「額縁屋」のお仕事を続けられました。

しかしバブル崩壊を迎えました。麻布の商店会でもご商売をうまくやっていても相続でもめてこの地を出て行かれる方が多かったそうです。KH様は「額縁屋」の店舗をビルに建て替えられることしましたが、平成23 年、東日本大震災が日本を襲います。
コンクリートの6 層の建物(Cadre Azabujuban)が建ちあがりましたが、震災の影響が大きく、KH 様は「もう『額縁屋』はやめよう」と決心され、すべての層をテナントに貸すことにしました。そしてコロナ禍前に新たなビルが建設されました。「土地を持っていることも、良いお客さんに恵まれたことも、好きな仕事をできたことも運がよかった。今、商店会でポスターを手掛けてもらっている宇野亜紀良さんも『灯油屋さんだったよね』という事から話が始まりました。そういう顔なじみの中に志村けんさんもいました。本当に残念でした」と振り返られていました。