189-4 11月社内勉強会 大村益次郎氏をお迎えして

2015年12月18日 at 1:11 PM

「継続のコツは明確な目標を持つこと」

11月7日の社内勉強会の講師にお迎えした大村益次郎氏は、旅が大好きで、弊社社長森村とも互いに旅をしていたときに出会った仲とのことです。今でも若い頃と変わらず新たな目標に挑む姿勢が、同世代の方の共感を呼んでいます。若い世代の人たちにも大いに学ぶ点がありそうです。

 

高校卒業後、私は海上自衛隊に入隊しました。徳島に配属され、通信部門で暗号を担当、しかし東南アジアに行こうと3年で辞めました。当時は、『何でも見てやろう』という本がベストセラーになっていて、自由気ままな旅が流行していたのです。でも外国に行く前にまず国内。野営やユースホステルに泊まりながら、3年かけて自転車で日本を一周、16200㎞を踏破しました。森村さんと会ったのもこの頃のことです。
その後、仙台で証券会社、不動産会社などに勤め、石膏ボードのメーカー「三井東圧化学」に中途入社することができました。最初の赴任地、会津ではいきなりお客様に名刺を投げられました。それもそうですよね。同じ名前の大村益次郎は幕末期、長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった人ですから、幕藩側の会津では今でも恨まれています。でも一発で名前を覚えられるというメリットもあって、次第に仕事が楽しくなってきました。旅好きの仲間15人でヨットを買って、「親潮レース」に出場。有給休暇をフルに利用して、夏休みは長期クルージングしたものです。しかし交通事故を起こしてしまい、札幌へ転勤となりました。

 

 札幌で出会ったのがトライアスロンでした。ハワイの海兵隊がマウイ島で始めたトライアスロンは日本でもブームが巻き起こり、当時は、4㎞泳いで、150-200㎞を自転車、そしてフルマラソン42kmという鉄人の競技でした。仕事はほぼまじめにやっているのですが、頭の中は週末のトライアスロンのことばかり。毎日朝10㎞走り、夜はウエイトトレーニングや水泳で鍛えて、体重80kg、ウェスト92cmの身体も絞れてきました。指導者が良かったのか、フルマラソンにも出るようになりました。
さて、トライアスロンをやる人間の憧れの的がハワイの世界大会です。1999年、51歳の時、良いタイムが出て行けることになりましたが、ちょうどその頃、会社では石膏ボード部門の譲渡話が出ていました。しかし年齢的に後はない。妻と娘を伴って参加して良い思い出になりました。仕事の方はそのまま出向先に転籍し、それ以降、トライアスロンに出るのは難しくなり、マラソンが目標の中心になりました。マラソンのいいところは、練習量を増やせば増やすほどタイムが縮まるということです。当時はフルを3時間で走れるくらいになりました。
61歳、会社を退職。今度は四国八十八ヶ所巡礼のお遍路さんの旅に挑戦しました。弘法大師と同じように、1日20~30km歩いて45日で周るという旅です。定年後の不安、家のローン、退職金のことなど考えていたのは最初だけ。歩き始めて3-4日くらいから無我の境地になりました。お金ではなく、「時間を持てること、健康なこと」は何にも代えがたい贅沢なことだと実感しました。翌年は山陰・九州・中国地方を自転車で旅しました。
年金生活だけでは大変なのでボイラーの仕事をやることにしました。朝7時から夜6時までと勤務時間は長いのですが、作業は簡単、時間はたっぷりあります。そこで運動だけでなく頭も鍛えなくてはと思い、年に2回はなにがしかの資格を取ることにしました。最初の年はボイラー技士2級、次は危険物取扱者、第2種電気工事士。今は英語をやっていますが、毎日少しずつ努力していくと何とかなるものです。
そして一昨年、65歳。いよいよ長年の夢、アメリカ横断自転車旅行に挑戦することにしました。札幌からロスアンゼルスに飛び、自転車でニューヨークへ行くのです。ところが、今回のアメリカの計画は最初から想定外のことだらけでした。ロサンゼルス空港では当然ながら日本語の表示はなく、ウロウロ。やっとサンタモニカのホテルにたどり着いたら、日本人は2人だけで、看板を見ても何を食べたらいいかわからない。日本一周に毛が生えた程度と思っていたのは大間違いでした。訛りの強い英語は全く分からなかったし、スマホがあるから翻訳もできると考えていたら、androidの翻訳機能の操作が出来ず。そもそも電波が飛んでこないとか、陽射しが強くて画面が見えないとか、この歳で初めてわかったことばかりでした。

夜になったら路肩や教会で寝ればいいだろうと考えていましたが、走っても街らしい街がない。スーパーマーケットではハム1つ買うのも大きいサイズしかない。グランドキャニオンに行く途中では、喉が乾いて水を飲もうとするとお湯になっている。唾液が良く出る飴をもらいました。また、向こうのキャンプ場はキャンピングカー専用で、「1人でテントを張るなど浮浪者でもやらない」と言われてしまいました。
アリゾナでは、フリーウェイの隣の一般道を走るつもりでしたが、4,5年前に封鎖されていてフリーウェイを自転車で走ることになる。ここを走るとすぐにパトカーが来る。道路は何百キロも続いています。結局現地の人に助けてもらいながら走りました。後でわかったのは、道路脇にテントを張るのは違法で、運が良かったとのこと。カリフォルニアやアリゾナを昼間走ったら脱水症状で死ぬから、普通は朝に走って、昼間は走らないということでした。何を食べたらいいか、どこに泊まったらいいのかがストレスになって、25日目に「かっこ悪いけれど帰るしかない」とフェニックスから札幌に戻りました。妻が言うには、1週間くらい拙い英語の寝言を叫んでいたそうです。

今、夏の間は、福島に行って除染作業を行っています。原発反対運動の前にまずは収束させることが大事だと思っています。1日1万6000円の報酬も60代の人間にはあり得ない金額です。仕事は労働作業で、日本中から多くの人が働きに来ていますが、ギャンブルに明け暮れる人も少なくありません。被爆量によって働ける期間が決まっていますが、私は影響が出る頃にはもう歳ですから構いません。原発内は50歳以上の人は入ることが出来ないそうです。私は逆だと思っています。

来年も、夏の3か月は除染作業をするつもりでいます。そして70歳になったら、再びアメリカ横断(縦断?)旅行に挑戦するつもりです。モチベーションを持ち続けるのに必要なことは、明確な目標を持つことです。達成すれば、新たな目標が生まれます。

大村 益次郎

北海道札幌市在住
1948年生まれ(67歳)
日本一周自転車旅行、トライアスロン、ヨット、四国八十八ヶ所巡礼、アメリカ大陸自転車横断旅行に挑戦。
定年退職後は、年金生活の傍ら、ボイラーマンや除染作業員に従事。現在もアメリカ大陸横断を夢見て、トレーニング中。