33-2 ギャラリーのある家

用途: 竣工年月: 場所: 設計: 構造: 規模:

①北側全景:2階外壁と屋根は現場で仕上げた板金加工。樹木を痛めないよう、作業には気を使った
②南側全景:柿や榎、道路拡張のために少し切らざるを得なかった楓など見事な高木が建物を囲む
③1階ギャラリー:室内は白い壁で統一。温熱環境のメインシステムは、温水床暖房とヒートポンプを使った床吹出空調。建物上部の暖気も床下に送られ、室内へ
④キッチン:階段室は仕切りがガラス。左側の通路はバスルーム、洗面、トイレとつながり、玄関へ抜ける
⑤玄関脇通路:一階は隣地との境界に余裕があるため外壁に杉を採用。建物はスタイロフォームで外断熱を行う
⑥ダイニング側の大きな庇とテラス:2階中央が寝室。
⑦ダイニング:床タイルの蓄熱効果は暖房だけでなく冷房でも発揮され、ひんやりした空気が心地よいとのこと
⑧1階リビング:3つの穴は空調に空気を戻すための空気取入口
⑨キッチン上部の吹き抜けに造られたステンドグラス:ご主人はフランス滞在中にロマネスク建築に興味を持たれ、造詣が深い。左の黒い箱には空調器が入っている
⑩バスルーム:必要以外のところは思い切ってコンパクトにした合理性が象徴されている箇所

油彩画家・小堀四郎(1902-1998)は、8年間のフランス留学を経て帰国、森鴎外の次女杏奴と結婚しましたが、1935年に起きた美術界の混乱に失望し、その後ひたすら自宅で製作する日々を送りました。作品のほとんどを売ることも譲ることもなく手元におき、妻の献身的な支えもあって、晩年においても80号、100号の大作を手がけるなど旺盛な制作意欲を維持しつつその生涯を閉じました。

今回は、その小堀四郎が創作活動を続けた洋館の建てかえ工事について、施主の息子様ご夫婦と設計の鈴木孝紀氏にお話をうかがいました。

昭和8年建造の建物は当時としては画期的な建物でした。あたりはまだ緑が広がる田舎で、近所の農家に来た嫁はこのハイカラな家の前で記念写真を撮るというのが習いだったようです。敷地はかつて260坪ほどあり、(今回道路拡張工事に幾分取られたものの)広い森の中にたたずむ木製カーテンウォールのアトリエは5m近い天井高の立派なものでした。建てかえは「ギャラリーとしての伸びやかな空間とプライバシー」というキーワードからスタートしました。いくつかの案を経て、「南側の庭に面した3部構成」という以前の家のコンセプトが生かされることになりました。4.5Mスパンの箱が3つ、実はこれで木造なのです。1階の端の2部屋は、それぞれリビングとダイニング。大きな吹き抜けをもち、ガラス窓から庭が一望できます。庭には、今回、舞台のような大きなデッキが設けられました。中央には樹が植えられる予定です。2つの部屋にはさまれてギャラリースペースとなる応接間があります。作品の多くは、豊田市美術館と世田谷美術館に寄贈され、自宅にはお気に入りの数点だけを飾ることになりました。

一方以前アトリエがあった北側は、ユーティリティ機能を持つスペースになりました。キ ッ チ ン、バ スルーム、洗面所、トイレが引戸で区切られている、連続した空間です。特にガラスで仕切られた階段脇のバスルームは、キッチンから玄関へと続く廊下のようなスペースです。2階は寝室と、大きなクローゼット。階段にも蔵書の多いお二人のために本棚が用意されています。キッチンの吹き抜けの上部には、グリサイユ様式のステンドグラスが入れられました。階段の上にはご主人の隠れ家のような小さなスペースがあります。屋根にも出ることができ、庭を眺めるとっておきの場所になっています。

住宅というより「居住性のあるギャラリー」といった趣のこの空間に、ご夫婦はとても満足しています。欧米での生活経験もあるお二人は、お互いのプライバシーをとても尊重しています。お医者様であるご主人は、趣味のピアノを楽しまれ、また各地のシニアマラソンに参加して何度も入賞しているスポーツマン。大学教授である奥様は、退任後は知人や教え子が集まるサロンとしての楽しみ方を考えています。お二人とも第一線を退かれてもお子様やお孫さんに囲まれた隠居生活などは夢にも思っていません。
小堀四郎夫妻は、戦争当時も、灯火管制の下、アトリエに幕を引いて音楽をかけ、ダンスを踊っていたそうです。ご主人もほとんどの男の子が丸坊主のときにも長髪を通し、人と安易に同化しないスタイルを貫かれてきたとのこと。その生き方は、年をとっても曲げることはできないとおっしゃる言葉が印象的でした。

  (編集部まとめ)

所在地:世田谷区
構造:W造
規模:地上2階
用途:専用住宅
設計・監理:鈴木孝紀/ハル建築研究所
竣工:2002年9月

 

2002年9月13日 at 2:31 PM