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215-1 バレエ 

 

 今月は、このたび浅草にオープンしたバレエスタジオのご紹介です。写真のように天井高は4m、対角線は17mを超える大空間です。これだけ大きなクラシックバレエのお稽古場は都内でもめったにありません。
建て主の正木亮様、本島美和様ご夫妻は、ともに経験豊かなバレエダンサーです。このたびご自宅を建てるにあたり、後進の育成にも力を入れられることになりました。

まずお二人のプロフィールを少しご紹介しましょう。

正木亮(まさき りょう)
1974年、東京都出身。バレエを始めたのは7歳。きっかけは妹さんの発表会。初めて見るバレエの舞台は6歳の男の子には夢の世界に見えたとか。ご両親は「男の子がバレエだなんて」と大反対でしたが、おじさんの助けを得てバレエの道へ。
1995年牧阿佐美バレヱ団に入団。その年、東京新聞主催全国舞踊コンクール第1位を受賞。『ロミオとジュリエット』、『くるみ割り人形』などで主役を踊り、ローラン・プティ(世界的振付家として知られるフランスの舞踊家)の振付による『ノートルダム・ド・パリ』で好演。
1999年のメキシコのガラ公演『ローラン・プティと仲間たち』やスイスジュネーブのガラ公演では、プティが彼のために振り付けた『Kamakura’s Beach』を始め3作品を踊る。同年5月、プティ振付『若者と死』に主演。
2002年、イタリアの『TODI ARTS FESTIVAL2002 』にて、リンゼイ・ケンプと共演。イタリア中を公演。
2004年、バレエ シャンブルウエスト(今村博明主宰)の海外公演『タチヤーナ』で主役、その後、バレエ シャンブルウエストの公演に参加。特に同バレエ団が行っている「清里フィールドバレエ」には、2004年より毎年参加している。

また、東日本大震災のときには「OSH(Off Stage Hypocrite)」を立ち上げ、被災者の支援活動にも尽力している。

本島美和(もとじま みわ)
東京都出身、6歳からバレエを始める。豊川美恵子エコールド・バレエ、橘バレエ学校を経て2000年、牧阿佐美バレヱ団に入団。
2001年、日本初の国立のバレエ研修所「新国立劇場バレエ研修所」の第1期生として入所、 2003年、新国立劇場バレエ団にソリストとして入団。 2005年の新制作『カルメン』で初めて主役に抜擢され、その後『ドン・キホーテ』、『ジゼル』、『くるみ割り人形』、デイヴィッド・ビントレー振付の『アラジン』、ローラン・プティ振付『こうもり』など、数多くの主役を務める。 2006年に橘秋子賞スワン新人賞を受賞。
2007年にはサントリー「DAKARA」のCMで、豚の被り物でのバレエの演技力が評価され、「ACC CMフェスティバル」のベスト演技賞を受賞。

2011年、新国立劇場バレエ団プリンシパルに昇格。

 さらに、すてきなお二人のお話をp4の「TOPIC」でご紹介します。

215-2 浅草バレエスタジオ

架構が生み出す素朴な空間

 

 バレエダンサーのご夫婦のための住宅と、バレエ教室用のスタジオの複合用途の建物である。敷地は西浅草にあり、周囲は3階建ての建物で囲まれていて、ほとんどが1階が仕事場や店舗、2,3階が住居というように、職と住が混在している地域である。
建築主は、最初の打ち合わせで開口一番、「とにかくバレエスタジオを、この敷地に入る最大の大きさにしてほしい」ということを言われた。この単純明快な条件を最優先に設計を進めた。
 前面道路側は、道路斜線により上部がセットバックするため、エレベ―ターや階段の縦動線は必然的に敷地の奥に配置されている。1階は、前面道路から奥の縦動線へのアプローチスペースが必要になるため、最大ボリュームが唯一確保できる2階レベルにバレエスタジオを配置した。
1階はバレエスタジオの事務室や更衣室、3階がご夫婦とお母さんの2世帯住宅という断面構成が必然的に決まった。
 次に、バレエスタジオの空間の有効面積を最大にするために、構造体をなるべく薄くすることを目指した。特に間口方向の寸法を最大限取ることと、バレエで男性が女性をリフトしても大丈夫な天井高さ4mを確保することが求められたため、柱と梁を扁平にして薄くしている。柱は350X900、梁は400X900を基本断面とし、2.4mスパンで門型のフレームを並べた架構となっている。
 1,2階のバレエスタジオは、コンクリートと木と塗装の白の色だけでストイックな雰囲気であるが、3階の住居部分だけは、かつてご主人が、イタリアに住んでいた頃のお住まいの色彩を使いたいという強い要望があり、積極的に大胆な色彩を使い1,2階とは対照的な雰囲気を持った空間となっている。天井面だけはすべての階でコンクリート打ち放しの扁平梁の架構が表れていて、共通の空間のリズムを生み出している。
バレエスタジオの空間をとにかく大きくするという単純な要望に対して、それを何の作為もなく、ストレートに追求した結果、そっけないかもしれないが、逆に根源的な強さを持った素朴な空間が生まれた。
その素朴さを強調するように、コンクリートは打ち放し用のコンパネでなく、普通ラワン合板を使い、ザラザラした木目のテクスチャーとした。
また、メーカーの違う2種類の合板を混ぜてランダムに使うことにより、コンクリートの色も、ランダムに混ざった表情を持たせた。2階のスタジオのボリュームを際立たせるために、2階にのみ黒色を入れた撥水材を塗布し、この巨大な空間がそのまま外部に現れている。
周辺の建物と明らかに異質なスケール感を持たせることによりバレエスタジオとしての存在感が生まれている。

(山縣洋)
構造:RC造
規模:地上3階
用途:バレエスタジオ+住宅
設計・監理:山縣洋/山縣洋建築設計事務所
構造設計:坂根構造デザイン
担当:田所
竣工:2017年12月
撮影:フォワードストローク

215-3 山縣洋/山縣洋建築設計事務所

揺らがない骨格を持つ建築

 今月は、「浅草バレエスタジオ」の設計者、山縣洋氏にお話を伺いました。
大手ゼネコン竹中工務店に15年勤務の後、独立。それから15年、「ちょうど半々のキャリアになりましたね」と語る山縣氏。事務所のある生田は、ご実家も近く、同じ沿線にあるご自宅ももちろんご自身の設計です。(写真③)ガラスで囲まれた開放的な内部空間、豊かな自然環境を活かした家の領域が魅力的な住宅です。
-学生時代から、住宅づくりを希望されていたのですか。
山縣:いえ、最初はそういうことではなく、大学を出るときに、「一番技術力のある会社に入るぞ」という気持ちから、私の目からみて当時一番だった竹中に入りました。設計も重視している会社でしたし、学べることはどんどん学ぶ、という気持ちでしたね。
―竹中工務店では、もちろんRC造をかなり手掛けられたのですね。
山縣:大学校舎、病院など、ある程度の規模のものが多く、トータルで15年くらい勤務しました。7年経ったところで、2年間オランダのOMA、レム・コールハースの事務所ですね、そこで「ボルドーの住宅」を担当しました。いわゆる企業研修留学です。帰国して、6年ほどまた竹中で設計業務を行い、「オーディオテクニカ」の事務所を最後に担当して、独立しました。
 独立してからは、やはり個人の住宅が多いですね。ときどき事務所ビルも設計する機会がありますが、半分以上は木造です。予算と構造、住み心地も熱環境的には小さい規模の住宅は木造がいいですね。コンクリートは蓄熱性が高いので、1度冷えると温まりにくい。唯一、音の問題は、コンクリートの方が安心です。今回のスタジオのように、音が出る要素を持つ建物であれば、RC造です。
 建築のおもしろいところは、毎回クライアントが違うところです。敷地の条件、建てたいものが建て主によって毎回違う。だから、やっていて飽きない。楽しいですね。新鮮さを感じます。毎回「そこでしかできないものは何なのか」を考えます。だから、無理にRC造にしませんし、木造に拘るということでもありません。「このお客さんには、こういうやり方がいい」と判断します。また、設計だけでなく、土地探しや家具など、クライアントのいろんな要望にも応えています。
―今回は、大きなバレエスタジオを持つ住宅ですが、打ち放しのコンクリートの持つ力強さが際立つ1,2階部分に比べ、3階の住宅部分の色彩が鮮やかです。
山縣:1、2階のコンクリートの打ち放しの色と白、黒の色分けをする一方、ご主人は、イタリアにいらした頃、住んでいた家の壁の赤をとても気に入られていて、これまで東京でお住まいになっていたマンションでも、壁を赤く塗られていたと伺いました。日本人の感覚からするとショッキングな色ですが、それが、意外といい。私も最初、どうかなと思っていて、奥さんも反対でしたが、ご主人はどうしてもやりたいとおっしゃいますので、いろいろな赤のサンプルを出していくうちに、結局「いいね」ということになりました。
私も勉強になりました。リビングの基本の赤と、キッチン廻りはオレンジっぽい赤を、お母さんの部屋はピンクがかっている赤を合わせ、トイレは真っ青なティファニーブルーを使っています。それは、お母様のお好みですね。
これまでずっと設計をしてきましたが、色を使い分けるチャンスはめったにないんです。白とコンクリートと木の色。この基本色が多い。いろんな色を使いたいのですが、センスを要求されます。そういうことに長けているお客様の場合は、お話をよく聞いて、チャンスですから、もっと色を使っていきたいですね。天井も黒く見えるけど、実はこげ茶なんです。赤とこげ茶の組み合わせ。ガラスの仕切りが光を効果的にしています。
―今後は、どういう建物づくりをされていきたいですか。
山縣:建築の骨格として、しっかりとしたものをつくり、クライアントの要望を取り込んでいっても揺らがないようなものを創りたいと思っています。
―いくつかの学校で教鞭もとられています。
山縣:これまで、明治大学、東海大学や東京都の職業訓練校で教えてきましたが、学校で教えることは、図面を見て、その評価を瞬間的にアドバイスしなくてはならず、こちらにとってもいい訓練になっています。
最近の若い学生は皆、真面目ですね。ほんとに素直に言われたことをやってきます。でも、コミュニケ―ション能力が落ちていると感じます。携帯一つで何でも簡単に検索できてしまう。連絡もすぐにつく。実際に人と会って話をして解決する能力が、建築では重要なのですけどね。

-ほんとに、そうですね。本日は、どうもありがとうございました。

山縣 洋(やまがた よう)
1962年  東京都生まれ
1985年  東京工業大学建築学科卒業
1987年  東京工業大学大学院修士課程修了
1987年  株式会社 竹中工務店入社
1994-1996年 OMA (オランダ レム・コールハース事務所)
竹中工務店より研修勤務(「ボルドーの住宅」担当)
2002年  山縣洋建築設計事務所設立
2004年~ 明治大学兼任講師
都立品川技術専門校非常勤講師
2007年~ 東海大学非常勤講師
2011年~ 東海大学大学院非常勤講師
東京都立職業能力開発センター 赤羽校非常勤講師
川崎市住宅政策審議会委員
2016年~ 早稲田大学芸術学校非常勤講師

215-4 正木亮様・本島美和様にインタビュー 

「タイミング・ハプニング、そして・・フィーリング」

 今回弊社で施工した「浅草バレエスタジオ」の正木亮様、本島美和様にさらにお話を伺いました。
―ご自宅部分の壁はとてもきれいな色使いで、正木先生がイタリアにいらしたときのお住まいの影響もあるそうですね。
正木:15年くらい前に、イタリアにいるリンゼイ・ケンプのところへ一緒に舞台をやってほしいと頼みに行ったんです。当時はビザも厳しく、僕は裏方をやりながらトディで一緒に舞台をやって、それからイタリア中をツァーで回りました。
―巨匠ローラン・プティ振付の作品もお持ちだということですね。
正木:とても気難しい方なんですが、プティ振付のオリジナル作品を持っているバレエダンサーは、日本にはあまりいないと思います。
―美和先生は、新国立劇場の研修所ができて、すぐにお入りになったのですね。
美和:2000年に牧阿佐美バレヱ団に入りましたが、以前から留学して海外で学びたい、という思いがあったんです。でも新国ができて、日本に居ながらにしてバレエについて学べると知って、研修所に入りました。2年後、新国のバレエ団にもオーディションで入ることができました。
―ソリスト2名のうち1人!その新国も20周年を迎えました。
美和:そうですね。今は毎年ですが、昔は隔年しか募集がなく、私たちの時は7人。1期生だったので、生徒も先生も当時は手探りでした。
―2011年には、プリンシパルに昇格されています。ご自身で好きなレパートリーなどあるのですか。
美和:ちょうど、デヴィッド・ビントレー監督のときでした。もちろん古典作品は好きですが、新作に取り組んでいるときも、エキサイティングで好きですね。古典はどの振付バージョンで行くということさえわかれば、すぐに踊れます。ですが新作ですと、曲も初めて、動きも初めてということで、身体が喜ぶというか、新しい発見があります。
―今回、正木先生と後進の指導に当たられることになったのですが、ご結婚のきっかけは?
美和:実は結婚する前から、正木家では家を建てる話が出ていて、付き合って間もないのに、間取りが変っちゃうから、「どうするの?」とどんどんスケジュールが進んでいって(笑)。でもそんなきっかけでもないと、お互いにいい年でしたから。「結婚って、3つのingが合って起こる」とよく言われるみたいですね。タイミング、ハプニング、そして…何だったかしら。(編集部注:フィーリングでした)
正木:僕は、自分自身、結婚不適合者だと思ってたな。
美和:私たちが結婚するなんて周りがびっくりしていました。4年前、彼が参加していた「清里フィールドバレエ」に、私も「白鳥の湖」でゲスト参加することになったのですが、最初組む予定だった方がケガをされて、正木さんに白羽の矢が立って…。清里萌木の村の夏の特設会場で、2週間だけ屋外で上演されるのですが、森の中で本当に白鳥たちが踊っているような幻想的なステージなんです。夜は天の川が見えたりして、自然ってほんとに舞台では得られない魅力があります。
正木:天候に左右されて、雨が降ったり、虫がたくさん来たり、中止になることもあり、毎年自然との闘いですけどね。
(―3つのingが起こったわけです)
美和:付き合い始めた時は、30代前半でまだずっと踊っていたいという思いがあり、「スタジオを作る」と言われても実感がわかなかったのですが、3年経った今、この年になってみると周りには明らかに年下のダンサーの方が多い。そして、私自身、若い子たちに「こうしたらもっと良くなるのに」という気持ちがわくことも多くなりました。こういう気持ちが後進を育てる最初のきっかけかな、と感じています。
ーバレエ人口は日本は多いそうですね。お教室もたくさんあります。
正木:たまたま浅草は少ないけど、都内は駅周辺に10から20件はありますね。1つの貸しスタジオを複数の教室が曜日を変えて借りていたりもします。使い勝手のいい大きなスタジオを作りたかったですね。
「なんで(天井が)高さ4mも必要なんですか。3mじゃだめですか」と山縣先生に言われて、随分やり合いましたね。
―クラシックバレエは、他のダンスと比べて少し敷居が高いところがいいし、やはり全ての踊りの基本みたいなところはありますね。
美和:フィギアスケートでも、今はバレエの動きをしっかり取り込んでいます。上半身の動きなどは、ほんとに昔とは違います。
正木:バレエはルネサンス期にルイ14世の庇護で発展した文化ですが、今は当時のようにバレエに湯水のごとくお金を使える国がなくなっています。20年くらい前から世界中が戦争に向かっていて、文化の質が落ちている気がします。予算を削られ、舞台数が減る、ダンサーが育たない、質が落ちるーバレエの衰退が始まっているんです。
美和:平和な時代でないと文化は発展しないと思います。これから出てくる若い子たちにいい未来を、そしてバレエ界全体がいい状態になることを願っています。
正木:このスタジオを踏み台に、世界に羽ばたいてほしいですね。
―本日は、ありがとうございました。